自分育て

#7 目的よりも過程が大事

「過程の価値:目的を超えて」

私たちが陥るスランプの入り口に、
目的により焦点を当ててしまうという事です。
簡単に言うと、
「必ず達成したい!」という願望ですね。

例えば、パリ旅行を計画するとき、
色んな観光地に時間を無駄にせず、
回りたいと考えるとします。
そうなると、
目的全部の観光地を回ることを優先し、
結果的に落ち着かない旅行になる危険性があります。
また、途中の交通事情で、
もし行きたかったのに行けない場所が出たとすれば、
それ以外の場所への喜びも半減するかもしれません。
このような事態は誰もが陥りがちな事です。

このように達成志向の考え方は、
重要なことを見落とす原因となり得ます。

と言うのも、
私も知らず知らずにこの「達成思考」に陥り、
何も手につかない、と言う経験があるからです。

そんな時に大事なのは、
「バカになる」という事です。
少し過激な言い方ですが、
計算し過ぎる思考を捨てて行動する事が一つの薬になります。

日常生活においても、
この達成思考から離れることはとても重要に思えます。
例えば、散歩は目的がなくても、その行為自体が価値を持ちます。
散歩中に見つける新しい道、季節の変化、地元の商店など、
日々の生活における小さな発見は、
心を豊かにし、新たな視点を提供します。
健康の為に歩く。と言うよりも、
日々の散歩が楽しくて、歩いているうちに健康でいられた、と言う方が
強迫観念もなくポジティブな感じがします。

目的地への旅はもちろん重要ですが、
その過程での体験こそが、
私たちの人生を形作る重要な部分かも?
そうつくづく思うこの頃です。

だから、最近のコスパやタイパ、という考えに
私は近づかないようにしたいと思います。

目的地に達成する達成思考はぼんやりと頭の片隅に置いて、
到達するための過程での発見や学び、成長、気付きに
その時、その瞬間、焦点を当てる。
それは目的地そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に価値がある!
そう信じる事で、このやる前から考えすぎてしまうシンドロームから脱出できる筈!
と思えるのです。

日々の小さな散歩から、遠い旅行まで、
小さな作品から、大作の制作まで、
目的を超えた過程での体験に注意を向けることが、
より豊かな人生への鍵かもしれません。

「幸せの概念と目的志向性の罠」

幸せの追求においても、達成思考の落とし穴が存在します。
例えば、高級品を手に入れることが幸せの象徴と見なされる場合、
その目的に到達するためにローンを利用することが一般的です。
しかし、このようなアプローチは、長期的に見ると問題を引き起こす可能性があります。

高級品を手に入れること自体が目的となると、
実際にその品物を手にした後に生じる負担やストレスが見過ごされがちです。
ローンを利用することで、一時的に欲しいものを手に入れることはできますが、
それに伴う金銭的な負担や心理的な圧力は徐々に足枷となり、
最終的には感じた一時的の幸せよりも、
長期的な辛さや負担の方が大きかった、となるかも知れないのです。
私も実際に買った後で後悔したことは数知れずです。

このように、目的志向のアプローチは、
一時的な満足感や達成感をもたらすかもしれませんが、
それが長期的な幸福感につながるとは限りません。

インドの未完成の家々

インドでは上階が鉄筋剥き出しの家が多く見受けられます。
もちろんムンバイなどの商業施設が立ち並ぶ街では
日本の東京と変わらないデザインの凝ったビル群を見ることもできます。

しかし、そんな近代国家でも、
少し離れた住居地に入れば、
屋上が太い鉄骨、細い棒状の鉄筋が剥き出しの家々を見る事ができます。

一時的に椅子などを置いて、
テラスのようにしたり、
洗濯物を干していたりして、
未完成の鉄骨剥き出しの家々は何処かのんびりとしており、
また、貧乏臭くもあります。

雨が降れば雨ざらしになるし、
何故、早いとこ完成させてしまわないのか?
私たち日本人の目には、
未完成の家に住むインドの人々が不思議に映ります。
ここに日本人とインド人のアイデンティティーに決定的に違いがあるのです。

インド人は今ある財産で出来るところまでを仕上げ、
その後は未来の家を予想しながら、
それを発奮材料に日々の仕事を頑張るというのです。
出来上がり予想は、半年や一年経てば変化するかも知れません。
家族構成が変わることだってあります。
その変化を楽しみながら、
どんな家にするかを夢見て日々頑張るというのです。

一方日本人は、
早い人だと20歳後半、遅い人でも40歳くらいまでに持ち家を持つ人が多いですね。
その取得方法は殆どの人がローンを組んでという事になるでしょう。
取得した家は新築のマンションか、
分譲地に2階建て、3階建ての新居。
その家に対して、30年から35年、
自分の収入から考えて、月々10万円前後の支払いを続ける事になります。

入居瞬間の嬉しさは完璧です。
綺麗に仕上がった誰にも侵されていない空間。
真新しい部屋部屋。
伴侶や子供たちとどういったカーテンにするか、
家具にするか、楽しくて仕方がない。

しかしそんな新鮮な気持ちは
数ヶ月もすれば薄れてくる。
マンションであればもっと駅近に良い物件が最近完成した事が目に入る。
新築の家もコンセントの位置や階段の急さ、
屋根がない、あるいは入出庫し辛い狭い駐車スペースにイラつく事も出てくるでしょう。

インド人が未完成を楽しみながら、
それを材料に頑張るのに対し、
日本人は最初に完成を手にして
それに対して逃れられないストレスの中で仕事を頑張る事になります。

未来に対して、
苦楽の持ちようが正反対なのです。

このエピソードは、
家を持つという「目的」と
月日を掛けて家が出来上がっていく「過程」の
どちらを重要視すべきか大変分かりやすくしてくれています。


私はこの罠に引っ掛かる精神状態に、
他人に対しての見栄とそのジレンマとの戦いと考えています。
つまり、人に対して格好をつけようとしなければ、
このトラップには引っ掛からないように思えます。

みすぼらしい鉄筋剥き出しを自分で卑下しない。
ありのままの自分を受け入れる。
そして少しずつ出来る範囲で行動する。

「目的よりも過程が大事」と言うのは忘れた頃に自分に言い聞かせたい言葉です。