多様な才能を育てるべき 人生は十種競技
人生は専門職でなはい。
それぞれ満遍なく出来た方が良い。
総合力が問われることを知っているから、
日本の義務教育は大きく分けて13種類の項目を育てることを目的としています。
- 国語・・・読解力
- 社会・・・社会情勢、自分の国、町を把握
- 算数・・・四則演算、収支計算
- 理科・・・自然法則、科学
- 生活・・・生活上必要な技能
- 音楽・・・音楽を通じて豊かな情操
- 図画工作・・・造形的創造
- 家庭・・・衣食住の知識
- 体育・・・健康の保持増進、向上
- 道徳・・・道徳的な心情、判断、実践
- 外国語・・・海外の言語や文化、コミュニケーション力
- 総合的な学習・・・自己勉学、探究、発表
- 特別学習・・・クラブ活動、集団行動、遠足、集団宿泊
これらは文部科学省が定める小学生の「生きる力」を身につける指導要領としています。
内容、バランスともに素晴らしく、申し分ない要領だと思います。
しかし、どこで歯車が狂ったのか、
これらの「生きる力」を身につける総合的教育から、
いつの間にか有名校に受かるための偏った教育に取って代わられ、
音楽や図画工作、家庭科、体育などの科目がお荷物扱いされることがあります。
これは文部科学省が掲げる理想からかけ離れた状況であり、深刻な問題です。
しかも、一部の私立校では総合的な学習や特別学習が排除されている現状なのです。
文部科学省が掲げる素晴らしい指導要領が、
何故、このように変わってしまったのでしょうか?
元々「生きる力」を身につける「総合教育」が、
会社に入れさえすれば何とかなるという「受かる力」を身につける「進学教育重視」に変化したことが原因でしょう。
それも会社が元気な高度経済成長期はそれで良かったかも知れません。
現代では会社の平均寿命は短命となり、
終身雇用という日本独特の制度に限界がきています。
つまり「会社に入りさえすれば何とかなる」の時代は終わったのです。
にも関わらず、教育現場は対応が遅れてしまっているのです。
もう一刻の猶予もないほど「生きる力2.0教育」にアップデートしなければなりません。
しかも、それを国や学校、塾などに頼る事は当てにできないので、
自分で探してやらなければならないのです。
本当は親にも責任があると思うのですが、
残酷なことに、その親も、そのまた親も進学重視教育しか知らない結果、
本当の意味で子育てが出来ない親になってしまっていたのです。
鷹やペンギンでさえ子供に教えている「生きる力」。
それが何なのか考えもせず、ここ半世紀以上も義務教育というものに洗脳され、
やってきたことと言えば、
「ちゃんと学校に行きなさい。」
「宿題しなさい。」
「塾に行きなさい。」
「大学くらい行かないと苦労する。」と宣い、
そしてその為にお金だけを注ぎ込む、
口と金だけの教育参加が実情だったのです。
確かに、生き方や働き方がこれほど多様になるとは誰も想像できませんでした。
だから、これからは大きな組織で一度に大勢を教育しようということ自体が無理ゲーです。
変化が急すぎた。
そういう意味では仕方がなかったとも言えます。
とは言え、誰かに責任転嫁しても始まりません。
これからは全員が人生を多様な才能を育てる場と捉え、
学校教育だけでなく、
人生を通じて学び続けることの重要性を認識することが大切だと思うのです。
ある意味、本当の「死ぬまで勉強」の時代になったのです。
65歳最強説
私は個人的に人間は65歳前後に
この総合的な能力がMAXになるのではないかと思っています。
勿論これには、
「そんな馬鹿な、65歳なんて人生の末期。」と異論を唱える方もいるでしょう。
確かにそう考えるのも無理はありません。
何故なら、多くの企業が60歳、65歳を定年年齢とし、
社員という立場から退出させられるからです。
しかし、私が65歳最強説という仮説を立てたのには理由があるのです。
それはゴルフというスポーツを通じてです。
多くの人とゴルフをラウンドする中で、
ゴルフ人生の円熟期が65歳前後でピークを迎えている人に出会ったからです。
ゴルフはスポーツの中でも様々な要素が加わっています。
ボールを飛ばすパワー、
状況に対応する観察眼、
それに対応するテクニック、
戦略的ストラデジー要素、
傾斜など、ボールの転がり、スピードの読み、
単にスポーツというと、体力勝負だと思いがちですが、
ゴルフは多くの要素が絡み合い、だから老若男女が楽しめます。
これらが全て噛み合い、
熟練の域に達するのが65歳前後ではないか?
落ちてきた飛距離をテクニックで補い、
しかもそれを熟知して、
精神的にも強く完成された状態。
多くのアマチュアゴルファーを見てきて、
そう思ったのです。
ゴルフはあくまで心技体の充実を表したサンプルです。
しかし、多くの分野で65歳前後に一番大きな作品や事業を成した多くの偉人がいるように、
人生の充実期はこの頃ではないか?
そう思うのは私だけではないだろう。
しかし、先述の通り、
多くの企業・会社が、
この65歳という年齢の頃に退場を迫る。
創業者や役員にでもならない限り、
バイトや嘱託といった
やり甲斐の下がる位置に降格させられるのだ。
にも関わらず、
そのいつかは放り出される組織に入ろうと頑張っている人の何と多いことか、、、
だったら、
65歳前後で最強になる自分を信じて、
様々な面で学び、自分の力を発揮出来るよう準備しておくべきではないか。
これが「受かる力」、つまりは組織に入るための学びでなく、
自分のための「生きる力」をつける学びではと思うのです。
老後の能力資産
65歳前後を人生の充実期と見なす視点は、
年齢による衰えよりも、蓄積された経験や知識の価値を重視するものです。
この年代の多くの偉人が人生の中で最も大きな業績を達成している事実は、
年齢を重ねることのポテンシャルを物語っています。
しかし、社会や企業の構造は、
このようなポテンシャルを十分に活かしていないことが多いです。
退職年齢やキャリアの終盤における仕事の質の低下は、
単に能力の低下ではなく、
多くの人が出世が見込めない事、
もしくはすでにバイト扱いによる給与の低下からくるモチベーション低下も含まれます。
これは組織と個人の双方にとって大きな損失です。
そして、最後まで勤め上げた報酬としての退職金と、
とても十分とは言えない年金生活に入るのです。
ずいぶん昔に問題になった老後の2000万円問題はその典型です。
しかし、65歳の時点で、
自力で年間300万円を稼げる力があったとしましょう。
もし、それが自分の得意分野で85歳まで働けたら、
20年間で合計6000万円を手にできるのです。
退職金よりも遥かに多い額ではないしょうか。
65歳最強説は、
年齢を重ねることの価値を再評価し、
人生の後半を豊かに生きるためのインスピレーションを提供します。
歳を取ることは決して人生の終わりを意味するものではなく、
新たな可能性が開かれる始まりであるという視点を持つことが、
より豊かで満たされた人生への鍵となると信じています。