モノを生み出すと言うこと。
モノを生み出す過程は、生命の繁殖と非常に似ていると考えられます。
単細胞の生物はコピー、
つまり同じデータを持った個体を作り出す事しかできません。
コピーは単一的な物事にしか対応できず、
一度に死滅する恐れがあります。
生命は多様性を保持するために性の交わりを選択し、
多様な正形態を作り上げてきました。
これと同じように、
創造的なプロセスでも異なるアイデアや視点が融合することで
新しいものが生まれてきました。
多くの発明品が、
全く違う分野との結びついて編み出されたように、
私たち個人においても、正反対の異なる考えの交わりから閃く事があります。
これは「左脳」と「右脳」の働きにも当てはまります。
左脳は論理的思考や言語処理を担当し、右脳は感覚的認識や創造的思考を司ります。
これらの相反する機能が結びつくことで、革新的なアイデアや創造物が誕生するのです。
つまり、自分の中の女性性と男性性が融合して生まれるという側面があるのです。
創造過程における「女性性」と「男性性」の概念は、
物理的な性別を超えたものです。
どちらの要素もバランスよく持ち合わせることが、
創造的な思考やアイデアを生み出す鍵となります。
モノを生み出すということは、
このように異なる要素の結合から生じる「融合」を意味します。
男女の交配で子孫ができる過程は物質的ですが、
創造物が生み出される場合、
考え方、思想や文化など非物質的なものが必要です。
色んな事を知り、関わることが重要です。
この創造の過程を理解し、尊重することは、
より豊かで多様性に満ちた創造物を生み出すための鍵となります。
ただ、この自分の中での融合をどうしても阻害する事があります。
それは長年培われた偏った視点に囚われてしまうからです。
謂わば「利き脳」効果が作用してしまうからです。
「利き脳」とは「利き手」のようにどちらかで扱う事に慣れてしまって、
二つあるのに使わない事が当たり前になっている事を意味します。
これが個人の女性性、男性性の偏りになります。
人間など生き物には二つ持つ臓器や器官が沢山あります。
鼻の穴も耳も二つあります。
また、腎臓や肺なども二つありますが、
左右、順番に時々休んでいるそうです。
しかし、手や足、目、脳に関しては、
使いやすい方を「利き〇〇」として、
いつの間にか定着させてしまうのです。
この「利き脳」の払拭とバランスの取り方は、
創造性を高める上で非常に重要なアプローチです。
脳の左右の機能を理解し、意識的に活用することで、
新しいアイデアや解決策を生み出す可能性が高まります。
例えば、日常生活で意識的に非利き手を使う練習をすることは、
利き脳のバランスを整える効果的な方法の一つです。
このような小さな変化は、脳に新しい刺激を与え、
異なる視点から物事を見る機会を提供します。
また、異なる分野や文化、思想に触れることも、
創造性を刺激するために有効です。
異なる要素の組み合わせからは、
予想外のアイデアが閃き、ソリューションが生まる可能性が高まります。
この新しいものに触れる「創造の旅」において、
私たちが直面する最も大きな障害は、「恐れと抵抗」です。
新しいことを試みる際には、
失敗や批判への恐れがしばしば私たちの足を引っ張ります。
しかし、創造性を発揮するためには、
これらの恐れを乗り越え、自らの内なる声に耳を傾ける勇気が必要です。
恐れを受け入れ、失敗する勇気を持ち、
それを成長の糧とすることで、
私たちは自分自身の限界を超えていくことができるのではないでしょうか。
また、創造の過程は孤独な旅であることが多いですが、
他人との交流から得られるインスピレーションもまた貴重です。
時には全く興味ないコミニティーに参加し、
他者との対話や協働を通じて、
新たな視点を得たり、自分では思いつかなかったアイデアに触れることができます。
このようにして、
私たちは自分だけでは見つけられなかった創造性の源泉を掘り下げることができるのです。
創造性を追求することは、
最終的には自分自身との対話であり、自己実現のプロセスです。
私たちが何かを生み出すことは、自分自身の一部を外に表現することであり、
それによって自分自身をより深く理解することができます。
創造のプロセスを通じて、
私たちは自分自身の感情、考え、価値観を探求し、
それらを形にして、子供の誕生のように外に生み出す事ができるのです。
反対的な事を敢えて体験する
創造力を高めるために、
女性性と男性性を刺激する方法に、
普段自分が嫌っていることを敢えてやってみるという試みがあります。
それもただ経験するというのではなく、
その行為の魅力を理解してみる、
つまり肯定的な視点に立ってみるのです。
女性の場合
例えば多くの女性はギャンブルをする男性を嫌います。
それは男性を自分の伴侶候補として考え、
破滅的な生き方を毛嫌いするからでしょう。
しかし、その男性が自分の伴侶になると考えなければ、
何故そのような破滅的な生き方をするのかと傍観者として観察すれば面白い存在かも知れません。
そして、その気持ちを理解するために、
ギャンブルを経験してみるのです。
ギャンブルといっても宝くじはいけません。
比較的的中しやすい公営ギャンブル等がいいでしょう。
可能ならばブラックジャックやルーレットの方がベターです。
ギャンブルの的中、不的中は
好きな異性にアタックして、O.Kかフラれるかによく似ています。
多くの男性が放っておいてもモテるということはありません。
いつか自分から仕掛けないとお付き合いすることは出来ないのです。
この恐ろしい背水の陣のような鉄火場を経験してみるのです。
この経験は例えば次のようなことに活かされます。
女性のクリエイターさんは、
マネをされるのを嫌う傾向にあります。
その為、保守的になり過ぎて、発信発表が消極的になる。
またはアイデアだけで実際の行動がない等、控えめになりがちです。
そこに「どうせダメ元」の男性的精神注入を促すのです。
女性はギャンブル以外にも、
ひとり旅、ゴルフ、キャンプ、プラモデル、ドライブ、筋トレなどいいかも知れません。
男性の場合
男性は
ガーデニング、裁縫、編み物、お菓子作りがいいかも知れません。
男性は性別上、能動的な行動を取りがちです。
女性のように異性にモーションをかけられ、
「選ぶ」という受動的立場になる事は少ないでしょう。
なので、自分が愛情を込めて育てるという経験をする事で、
母性を学ぶのです。
心を込めて大切にしてきた事、
世界に一つしかないという想い、
それを誰かに大事にしてもらいたいという気持ち、
そういった精神的なこと、
心の内面を想像し、細やかさを育むのです。
この経験は例えば次のようなことに活かされます。
男性のクリエイターさんは、
作ったモノの品質は良くても、
心の刺さる背景、物語が不足しがちです。
何故そこに辿り着いたか、
丁寧な説明が希薄なのです。
能動的に発信ばかりが先行し、
「数打ちゃ当たる」になりがちです。
男性はガーデニングなどの他に、
自分を少しでも綺麗に見せる、オシャレや化粧、
愛情を込めた手料理を作るなどいいかも知れません。
自分の反対側を忌み嫌うのではなく、刺激するために。
創造の限界年齢は死ぬまで
子供を残そうとすれば、
男性なら60歳、女性だと40歳ぐらいが、
限界だと言われています。(一般論として)
しかし、人生100年と考えれば、
何かを創造してつくることは、
子孫繁栄よりももっと長い時間可能で、
生涯現役と言えます。
その間、私たちは時に女性になり、
あるいは男性的視点に立つことを繰り返す事で
真のクリエイターを目指す事が出来るのです。
その道は生きることそのものの喜びと充実を見出す旅なのです。