千里中央再開発

昭和38年の千里ニュータウン 当時の新聞から読み解く

昭和38年は激動の一年だったようです。
昭和20年8月に第二次世界大戦が終わり、
その後は戦後復興でお金のかかることばかりでした。
とにかく物がない。
色んな建物を建て直さなければならないわけですが、
資材など海外から多く輸入しなければならなくて、
日本は貿易赤字が17年続きました。
しかし、ようやく昭和37年に黒字転換。
実に17年掛けて戦後の焼け野原から、
貿易で黒字に出来るまで回復したのですね。
戦争には負けたけど、さぁこれから戦前以上の発展を世界に見せてやる!
そんな当時の日本の息吹が、鼻息が聞こえてきそうです。
ただ、そんな日本の順調な経済復興とは裏腹に
世界情勢はかなり混沌としています。

昭和38年1月1日 新年の挨拶

左藤大阪府知事は「明けましておめでとうございます。」という新年の挨拶の後、
国際問題としてキユバー問題を最初に取り上げられています。
(この頃、キューバはキユバーと明記されている点も現在と違いを感じます。)

アメリカと貿易をしていたキューバは露骨にアメリカから不利な条件で取引をさせられていた。しかもその不利な貿易を扇動をしていたのがフルヘンシオ・バティスタ大統領。
アメリカからの支援を得て、私服をこやしていたのだ。
これに怒ったのが革命先導者のフィデル・カストロ。
1959年にバティスタ大統領を失脚させた。
バティスタ大統領は以前からフロリダでカジノ経営して、こちらでも大儲けしていたため、
そのままフロリダに亡命する。
この辺りの描写は映画ゴッドファーザー2でもチラリと描かれている。

そして、カストロはアメリカとの縁を対等な立場で戻そうとしたが、
キューバ国家を転覆させた首謀者として相手にしなかった。
当時、アメリカの民間会社がハバナでカジノなどリゾート事業を展開。
キューバは何の恩恵も受けていなかったので、
カストロはこれらを解体し、キューバ国営にしていく。
それに対してアメリカはキューバに経済的制裁措置。
穀物等の輸出を禁じた。

結果、カストロはソ連を頼る事になる。
ソ連はサトウキビを輸入し、石油を輸出するなどキューバを経済支援する。
そんな中、ソ連はアメリカへの核攻撃をいつでも出来るように、
キューバに核ミサイルを配備することになる。
ソ連は秘密裏に核配備をしたかったが、
カストロは不意打ちのようでそれはよくない。
配備するなら正々堂々とソ連に要求。
カストロは私たち日本人には独裁者として教育されたが、
本当は中立の人だったのかもしれない。
昭和37年10月にアメリカの戦闘機が核ミサイルの発射台の建設を発見。
事態は「キューバ危機」として一気に世界を駆け巡る。
ケネディ大統領はトルコにソ連を狙っている核ミサイルを撤去する事と引き換えに、
ソ連にキューバの核配備をやめさせた。

この時が一番核戦争が本当にあってもおかしく無かったと言われており、
世界に緊張が走った。
世界で唯一の被爆国である日本は発覚した前年10月から核戦争の危機で国民は大揺れ。
その為、この昭和38年のお正月の挨拶は、
「キユバー問題」の懸念から始まっているのだ。

また2年後に控えた東京オリンピックを大阪は経済で後押ししたいとも語っている。
交通事故の増加が社会問題になっている。

核戦争懸念時に鉄腕アトム放映開始

1月1日、大阪府知知事の年始の挨拶がキューバ危機の核戦争懸念
しかし、この日にテレビアニメ第一弾「鉄腕アトム」が放映開始。
私たちの鉄腕アトムのイメージは原子力エネルギーで巨大なパワーを持つ鉄腕アトムが悪を倒すという内容。これでは原子力、つまり核エネルギーが世間では悪なのに対して、
テレビアニメの中では単純な勧善懲悪の善という公式になってしまう。
実際は発達しゆく科学に疑問と警告をテーマに書き上げた原作漫画が捻じ曲げられていると作者の手塚治虫は極めて不満と漏らしていた。

愛知大学山岳部薬師岳遭難事故発生

昭和38年はのちに三八豪雪と呼ばれ全国的に大雪に見舞われた。
その代表が愛知大学13人の遭難死亡事故。
日本海沿岸は3メートルを超える降雪を記録。
阿蘇山で123センチ。枕崎市でも26センチを記録。
2月のインドネシアの火山爆発も遭いなって世界的に気温低下起こる。

少年犯罪が社会問題に

しかし、身近に起こっている一番大きな問題は少年犯罪。
まずは小さな懸念の記事。

憂うべき中学生たち
覚醒剤乱用の風潮

この頃から中学から高校へ進学する流れが顕著になり、
吹田豊中でも9割が進学。1割が中学就職。
そうなると受験が激化してくる。
子供に勉強させる為、
親がオールPという現在でも売られている強壮剤を与える事がにわかにはやり出すのだ。
子供の間でも疲れが吹っ飛ぶ!など、学校内で話題となっていく。
しかし、このオールP、
カフェイン含有量がレッドブルの4倍という強壮剤。
常用すると震えや頭痛の副作用があるというのだ。
そのような注意を呼び掛けるとともに、
親に子供に与えないように、
同時に千里界隈の薬局に取り扱い注意を促しているとの記事が出ている。

さて、これは前置きのようなもので、
次が衝撃の内容。

昭和37年犯罪白書

昭和38年2月、吹田警察署から昭和37年の犯罪発生状況が発表された。
それによると495人の検挙人があり、
そのうち240人が19歳以下の犯罪であったが、84人は14歳の以下だったというから驚きだ。
犯罪で一番多いのが窃盗の151人。
暴力関係が40人。
凶悪犯が一件あり、それが何と12歳の小学生による強姦というから本当かと疑ってしまう。
窃盗、つまり盗みの151人のうち91名が中学生。
暴力沙汰の40人中19人が中学生。
とにかくこの頃の犯罪は若い世代が半数で占められていたのに驚いた。

沖縄視察

昭和38年は沖縄はアメリカの領土で、日本からはパスポートがないと行けなかった。
その為、一番手軽にアメリカの経済活動や観光産業の運営の仕方を手本に出来るという事で、全国から視察に向かう財界、行政の動きがあったようだ。
その際の飛行機代が3人で96ドル。
まだ円は360度に因んで1ドル360円。
船なら一人8ドルなのに、高くて痛いと書かれている。
しかし視察でのんびり船旅とはいかなかったのであろう。

訪れた沖縄県那覇市は百貨店があり、
そこには噂には聞いたがオメガなどの時計、ワニ革の財布、
万年筆、ウイスキーなどがあって驚いたと書かれている。
そうか、日本国内では腕時計や万年筆、ウイスキーなど高嶺の花だったのか!
しかも、店によって同じ商品なのに金額もバラバラで、
粘ればマケてくれるという。
いくらが正解かは分からず、油断ならぬと書かれている。

3月寿屋がサントリーに社名変更

ビートルズがオリジナルアルバム「Please Please Me」を発表
新幹線が試験運転で世界最速の256キロ達成。
その時の車両が後の0系新幹線の元になる1000形。
3月31日、映画「天国と地獄」をヒントにした吉展ちゃん誘拐殺人事件発生。

4月大阪駅前に日本初の横断歩道橋設置

NHK大河ドラマ第1作目「花の生涯」放送開始
女性週刊誌「女性セブン」創刊
サントリーがサントリービールを発売。ビール業界に参戦

5月千里丘陵に銀行第1号

銀行が出来るのを今か今かと待っていた佐竹台住民。
5月24日に大和銀行千里支店が初お目見え。
千里丘陵ニュータウン地区の銀行第一号として営業開始が新聞に掲載さるる。

全国的事件 狭山事件発生

6月 関西電力 黒部川第四発電所完成

山形県酒田市沖で無灯火の不審船発見
海上保安庁による初めて公表した不審船事案。

高野台地区 新市民8千人

下記の地図でCに当たる佐竹台が一番初めに千里ニュータウンとして入居が始まった。
次の入居がB地区の「高野台」
6月15日から村田静夫吹田市長の「お祝い申し上げます」との言葉が送られる。

これは大阪市により近い場所から住宅が建てられていった為だ。
とは言え、まだ南千里駅も山田駅も無いわけで、
主力交通機関はバスのみ。

7月16日 名神高速道路 栗東ー尼崎間開通 日本初の高速道

千里ニュータウンでこの頃からマイカー族が現れ始める。
それと共に自動車の盗難が相次ぐ。
マイカー族が心配で夜も眠れないということを受け、
警察が張り込むことになる。
しかし、張り込み中に自動車の鍵をこじ開けられ、自動車を乗り逃げされる事件があった。
犯人は3人組。
まんまと逃げられた警察に対し、住民が不信になっているとの事。
また、同時期に救急車の到着が遅れて妊婦が流産したことで、
佐竹台の住民に不満が募っている事が話題に。

「公有地の処分に対し明暗別れる」

前年の昭和37年、千里丘陵ニュータウンのずっと南、豊津の溜池の処分方法で、
豊津、垂水、榎坂で揉めていることを書いた。
この揉め事は年を越しても続いており、
傷害事件など警察沙汰になっている。
溜池は元々は農地のための用水池。
しかし畑が年々不要になっていく中、埋め立てて住宅地として売りに出せば現金収入が入る。そのお金は誰のものだ?という事で利権争いに発展してしまったのだ。
釣り堀池にして、レジャー施設にしようという意見もあったが、
売ればすぐに現金にできるという魅力もある。

結局埋め立てて、切り売りするのはいいが、
こういう類の争いは大体揉めるものだ。
例えていうならケーキを買ってきて、3等分して分けるとする。
実際切ってみると、どうしても相手に行ったケーキが自分のよりも大きく見えてしまう。
そのような感じだろう。

対して、佐竹台をはじめとして、
千里ニュータウンの池は埋め立てるのではなく、
大阪府が買い取って住民の憩いの場として公園にすることに決定。
その為、千里ニュータウン各地域には池付きのゆったりした公園があるのだ。

その見苦しい利権争いと、住民の為の公園となった状況を見て、
公有地の明暗としてコラムに書かれている。

「盆踊り」の凄い盛り上がり

私の記憶によれば「盆踊り」せいぜい二日。
近年では1日開催が主流と思っていた。

しかし昭和38年の佐竹台の「団地盆踊大会」は8月3日から7日までの5日間。
リオのカーニバルでも4日間じゃなかったっけ?

そして、その告知は1ヶ月前から行われ、
7月に入ると、「団地盆踊り速報」と新聞に掲載され、
踊り方の練習の会が開かれるから夏休みに入ったら
「佐竹台小学校講堂」に集合!とあるのだ。
しかも、5日間の盆踊り大会の最終日にはコンクールが行われると言うのだ。

「盆踊り愛が凄すぎる!」

それだけでは終わらない。
団地盆踊り大会の練習が始まる一週間前に、
何と日本民踊同好会が来てくれて、
佐竹台自治連合会の為に「プロの盆踊り」を教えてくれると新聞の2面に掲載。

ごめんなさい。
私、盆踊りにこんなに集客パワーがあったとは知りませんでした。
子供の頃に盆踊り大会に行けばタダでジュースが飲めて嬉しい、、、
そんな程度の記憶しかなく、
大人たちが熱い血潮をたぎらせて、

「盆踊り命!」
「今年は5日間、踊りまくるぜー!」

となっていたとは全く知る由もなかった。
この頃の熱い盆踊りへの情熱を、
当時一番盛り上がっていた方達に聞いてみたい。

8月7日「愛と死を見つめて」の原作モデル大島みちこさん死去
難病で恋人と別れるテレビドラマ、映画、小説などの原点であり、
1970年公開の「ある愛の詩」よりも数年早い作品。
「世界の中心で、愛をさけぶ」や「いま、会いにゆきます」などの先駆け。

8月15日政府主催による全国戦没者追悼式が開かれる。
以降毎年8月15日に開催され終戦記念日として定着していく。

ニュータウン発の電車発進するか?

阪急千里山線 新千里山駅(現南千里駅)の営業開始が決定した。
8月29日午前4時57分が梅田行き始発。
天六行きは6時6分。

さぁ、いよいよ便利になるぞ!

といった感じではない。
現在の南千里駅の周囲を見てみよう。
実際、団地はもう少し離れているのだ。
で、駅に行くには阪急バスがあるが、バスの始発は佐竹台周りで始発が5時55分。
高野台周りで6時2分。
折角4時57分の阪急電車一番電車があっても誰も乗れないという状況なのだ。
(始発の阪急バスに乗っても、6時13分発の5番電車しか利用できない事が明記)

同じ阪急系列なのに、
阪急電車の運行に対して、阪急バスが全く協力せず、
「電車は開通したけれど、バスそっぽ」
こんな見出して記事が出ている。

因みに新千里山駅から梅田までの運賃は15円。1ヶ月定期が450円で、高すぎると佐竹台自治連合会が市会に懇願。
併せて陸運局と阪急にも抗議文を提出している。

津雲台地区の住宅計画変更発表

佐竹台、高野台の入居が始まり、
次の入居は津雲台地区。
昭和37年の地図では津雲は「九十九」と記されていたが、
ここで正式に津雲台と明記されている。

佐竹台と高野台は大阪府営住宅が先導して建てていたにも関わらず、
津雲台は大阪府は参加しない事になり、公団、協会、民間による分譲住宅で占められ、
残りは官公庁会社住宅で構成されると発表される。内訳は、

  • 住宅公団住宅810戸
  • 住宅協会住宅540戸
  • 不開発センター分譲住宅350戸
  • 企業局分譲住宅149戸
  • 厚生年金住宅100戸
  • 給与住宅(会社)40戸
  • 独身寮100人分

この年の10月1日から翌年3月31日までに建設する予定だった府営住宅150戸が
丸々今回の発表から消えていると言うのだ。

で、何故そのような事に急になったのかと見解されている記事が出ている。
理由はこうだ。
新千里山駅(現南千里駅)が出来た事で、建設中のセンタービル(駅ビル)に
大阪ガス、関西配電(現関西電力)、大和銀行、池田銀行が入る事が決定し、
それ以外にも大きな指定業者が選定されて大きな商店街が形成される運びとなった。

そうなると府営住宅の安い建物を建てるよりも、
単価の高い方法で住民の住宅への購買力を煽る方が得策だと考えたのではないか?
と言うのだ。
また、団地でなく高級マイホームへシフトチェンジすることで、
今後のニュータウン構想の開発を色々試せるという目論見があるのではと論じている。

高騰していく公団や土地に住民目線から見れば、悪と考えるだろうが、
運営する側から考えれば少しでも高く、そして高級感のある町にと言うのも当然だ。
これは非常に難しい見解。

政治家に対して厳しい見解

昭和38年秋、衆議院は解散総選挙。
これが日本全国選挙の話題で持ちきりというのだ。
そして、出てくる立候補者をみると、
元検察界の重鎮とか、学校職員とか、水道局長とか、
市議会や代議士とかが人気を得たので国政に乗り出すなど。
そして、全然ゆかりもないにも関わらず、
宣伝カーで「吹田の皆さん!」とがなりたてていると言う。

こんな奴らを前回の選挙で通したのも私たち市民の責任。
今回はこの3年間の惨めさを味わったのだから、
今度こそ候補者を見極めて投票しなければと呼びかけている。
「恥を知っている人を選ぶべきだ!」と結んでいる。
「恥を知っている?」
「恥を知れ?」どこかで聞いた言葉だ。

この時の吹田側のニュータウン有権者4200人のうち
約7割が投票したというから恐ろしい投票率だ。
これも恐ろしほどの水道代のせいと言うから、
住民の不満と投票率は因果関係にあると言うのも頷ける。

豪華思考の津雲台 ニュータウン初の宅地分譲

10月も後半に入り、津雲台の高級感が取り沙汰されている。
新千里山駅周辺はデラックス商店街と言われ、
先に開発された佐竹台、高野台からはは羨望の眼差し。

そして、ニュータウン発の宅地分譲が開始される。
申し込みは11月26日から30日までの5日間。

小学校の先生酒乱で大暴れ

昭和38年の吹田は、年明けから吹田警察発表で少年犯罪の多さに驚き、
村田吹田市町の「清潔な市政」の理念が掲げられた。
とにかく大人が子供たちの見本となるようにと。
また村田市長は教育畑出身だけに、特に学校関係者には口酸っぱく言ったという。
しかし、年末に市立小学校のある教師がやらかした。

そのある教師、元々酒乱の気がある方のようで、
酒を断ちますと挨拶、
そして、酒断ちの最後の忘年会とあいなった。
しかもそれは小学校の職員室。
昔は小学校の職員室で最後の忘年会をする程、危機意識が低かったんですね。笑

そこでこの先生、酒乱で大暴れし、
警察が呼ばれます。
その夜は警察署でお泊まりすることに、、、
これがバレて市長が年末に謝るという全くバカな話。
酒断ちの席で酒で暴れる。まるでコント。

千里生協 初詣にバスツアー

千里消費生活協同組合が昭和39年の初詣バスツアーの計画。
参加者募集を行なった。
日時:昭和39年1月7日
コース:多田神社、中山観音、宝塚ヘルスセンター
会費:大人200円 小人100円
弁当付き

いいなぁ、私の個人的な意見ですが、
今からでも行きたい!

11月22日、アメリカ大統領J・F・ケネディ暗殺

新年の挨拶で大阪府知事が前年10月のキユバー危機と併せて、
暗いニュースが続いたことを嘆いておられました。

なのに師走直前の11月下旬に大統領暗殺の大事件
翌11月23日に初の日米間の衛星中継放送実験が成功
その初めてのニュースがケネディ大統領暗殺事件になるとは

この昭和38年は記事を見て振り返っているだけで、
少し気持ちが沈みます。
ただ、一生懸命日々の生活をされている人々の姿がチラチラと脳裏をかすめます。
そして、何とも言えない気持ちになります。

先人のご苦労があって、
今の千里ニュータウンがあるのだな、、、そう考えずにはおられません。

最後にこの年の5月23日に発表されたボブ・ディランの作品
「Blowin’ in the Wind」邦題(かぜにふかれて)が
この1963年という激動の一年を表しているように思います

「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永遠に廃絶する気になるのか」
「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」
「人は何度顔を背け、見てないふりをできるのか」
「一人一人に幾つの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのか」
「人はどれだけの死体を見れば、人が死に過ぎだと気付くのか」
「人はどれだけ経験すれば、一人前と認めてもらえるのか」

ボブ・ディラン本人はこの詩に対して、このように述べられてます。

何かがあって、その答えをポンと出すやつは信用できない。
映画や本、テレビの討論会にも答えはない。
答えはフワフワと漂っていて、折角掴めるところまで来ても
誰も拾って読もうとしない。
そうして誰にも見られず理解されず、また飛んでいってしまう。

俺は今21歳だが、
間違っている事に気づいている大人はいるはずだ。
だけど、間違いから目を背ける大人が沢山いる事も分かっている。

俺より頭がいいはずなのに、、、

ボブ・ディランの魂の言葉

切ない

https://youtu.be/297cHLj8xso