前年の昭和38年は激動の年だったようです。
それに比べると昭和39年は穏やかな一年だったように感じました。
日本中の大きな話題はやはり東京オリンピックでしょう。
しかしここでは東京オリンピックは置いといて、
千里ニュータウンの小さな出来事を振り返ります。
昭和39年1月1日 新年の挨拶
昭和39年の挨拶は吹田新庁舎完成の喜びの挨拶で始まっていました。
大きな新庁舎の写真と共に、悲願!と書かれていますが、
それは挨拶している吹田市長や役人からの目線であって、
市民はそう考えているとは限らない。
が、この頃の吹田はニュータウンで毎年右肩上がりで市民が増加、
それと共に税収もアップ。
村田静夫吹田市長は新庁舎完成の喜びの後、先日の1ヶ月足らずの訪米視察で色々勉強になったと述べている。前年まで追いつけ追い越せの経済成長や町の安全についての話題がなくなり、やれ美術館建設、博物館建設などに触れ、
ちょっとした浮かれムードが感じられる。
後ほど紹介するが、利権がらみの争いも出てくるのがこの昭和39年。
豊津池の利権争いを揶揄していた千里ニュータウンだが、
やはりどこも軌道に乗り出すと利権争いになっていくのは世の常か。
受付嬢から守衛まで業者癒着に疑問の声
役所の印刷物の50%が、同じ業者による発注だったり、
新庁舎で働く受付嬢や守衛も同じ業者ばかりという事に警鐘を鳴らす声。
現在のようにオンブズマンなど見張るような体制がないため、
かなり市長や市議との癒着があったと推測される。
1964年の展望
住居は4000戸に入居、15,000人の増加見込み。
1962年の佐竹台入居に始まり、1963年に高野台、津雲台、
そして、この年4月には新たに2つの地区が入居開始。
合計で2万5千人を超える見込み。
当然ながら出産率も鰻上り。
全国平均の約倍という凄まじさ。
教室満杯
当然ながら、小学校の受け入れが追いつかない状態。
初めからわかっていたはずなのに、
新庁舎などにうつつを抜かし、春からの授業で50名を超える学級も出てくることが問題視されている。
高野台に時計台
この頃、時計が誰でも持てるものでは無かった。
その為、公園など人が集まる場所に時計設置はみんなの夢。
そこで東京の服部時計店が高野台の小学校道路脇に高さ20メートルの時計台を寄贈したことがニュースに。
この頃、あらゆる面で千里ニュータウンで活動することが全国ニュースとして流れるので、
千里ニュータウンがいかに注目の的だったかが分かる。
市有地を無断で
吹田駅近くの市有地に銀行建設の噂が出ると、
元々の地主同盟が勝手に板囲をして、物々しい雰囲気になっている。
前年、阪急新千里山線が開通したとはいえ、
千里ニュータウンの主たる玄関口は依然として国鉄吹田駅からのバス。
その為、吹田駅周辺もにわかに土地価格が上がっているのだ。
万博開催も決定し、
この手のきな臭い話があちらこちらで増えていく。
豊津中学校1クラス50名オーバー
千里ニュータウンだけでなく、
古い豊津でも児童が急増。
ついに1クラス50名を超えてしまった。
しかし、いずれ減少に転じるのだからと府教育委員会は見て見ぬふり。
今となってみれば確かにとも思えるが、
父兄やPTAは怒り心頭。
G地区「藤白台」H地区「古江台」
千里ニュータウン、G、H地区の名称が藤白台と古江台に決定。
古江台は豊中市と隣接する地区。
その為、吹田市と豊中市で行政協定の必要性が浮上。
道路など何処から何処までを管理し合うかが必要になってくる為だ。
高野台小、中学校開校
高野台小学校、中学校が4月より開校。
高齢者、春の嵐
吹田市は60歳以上の高齢市職員84名に退職奨励発表。
この頃、当時定年の年齢は55歳が多かったので、
吹田市の60歳以上で84名の職員が働いていたというのは多すぎる。
それもこれも吹田市には定年制度がなかった。
(当時はどの自治体も定年制度がなかったらしい。ホントかよ。)
それらの人に一斉に退職を奨励。
ちなみに退職金の平均が113万円。多いのか少ないのか?
そうして一斉に首切りを行ったにも関わらず、
吹田消防署長と次長が顧問として残るということがニュースに。
それより下の高齢者は綺麗さっぱり切られたのに、
さすが税収鰻上りの署長次長クラスは屁のカッパで居残りの面の皮の厚さが話題に。
やはりいつの時代も一緒。
古江台、藤白台地区入居開始。
5月23日、古江台、藤白台の入居が開始される。
1080戸、約4,000人。
古江台には古江台マーケットと銭湯がオープン。
しかし、藤白台にはマーケットも銭湯もない。
その為、藤白台は取り残された感あり。
高野台に銭湯オープン
藤白台に銭湯がなく、古江台まで行かなければならなかったが、
それは高野台も同じ。
しかしようやく高野台に念願の銭湯「寿湯」がオープン。
佐竹台の銭湯は夕方芋の子を洗うような混雑具合だったが
緩和されることが話題に。
ということは古江台の銭湯も藤白台民が訪れるためすごい混雑だったことが容易に想像できる。
高松宮ご夫妻 ニュータウン視察
6月1日、高松宮夫妻がお忍びでニュータウンを視察に来られた。
出迎えは村田吹田市長、小笠議長。
ニュータウンは緑7割の理念の元、公園や庭園が豊かであるとの説明を受け、
非常に興味を持たれていた様子。
団地だけでなく一般住宅にも興味を示され、
高野台3丁目の庭園ある北口氏の住居にも訪れられた。
10月1日にはソ連レニングラード支部長グレブ・アレクサンドリッチ・チェボタレフ、
アンナ・アレクサンドロブナ・カラソフスカヤ、
ゲオルギ・アレクサンドロビッチ・トロイツキの3氏が視察。
東京五輪の後にもカナダやドイツの要人が千里ニュータウンを訪れた。
大阪大学移転で地上げ
中之島にある阪大病院、そして大学も移転という事で土地買収に取り掛かる。
しかし、どういう訳か情報が漏れていたようで、
阪急グループが予定の土地を買い占めていた。
坪12,000円の予算が15,000円になる見込み。
全て税収から賄われる訳だから、税金が阪急に流れるという批判。
しかし、その情報を流した人物も阪急から賄賂をもらってる筈なのは言うまでも無い。
千里丘センター(現南千里駅ショピングセンター)の商業戦線加熱
大阪ガスや銀行など大手の入店予定は落ち着きを見せ、
今度は一般が入る入店説明会が開催。
その説明会になんと1,000名を超える人が集まった。
この時点で千里ニュータウンの中心地は新千里駅(現南千里駅)
しばらくは南千里が中心であり続けると誰もが思っていたので、
このような入店希望の経営者が集まってきたのである。
分譲地に空き家放置
津雲台は千里ニュータウン構想で初めての分譲計画が進められた地区。
団地の入居も厳しい審査があった。
例えば収入や勤務状況。
入居は良いが途中で支払いが困難になり居座られては困るからだ。
分譲地も同じく非常に厳しい審査が設けられた。
その結果色々と不正をした輩もいたようだ。
某病院事務長もその一人。
手付金欲しさに病院の金を横領。
それがバレてしまい建築中の病院事務長の家がそのまま放置されてしまう結果に。
潰すこともできないし、
占有者がよくわからないので立ち入り禁止の状態に。
隣の人は放火でもされたらと心配で、
折角手に入れた土地に新居を建てられない状況。
四住区に公衆電話ボックス
4月に藤白台、古江台が入居を開始し、
4000戸、今年中に2万に迫る住民の数。
しかし、この時点で電話のある家はたったの203件。
その他工事用90。公共施設に18。
実に一般家庭でたったの5%しか電話がなかった計算になる。
そこで必要なのが電話ボックス。
佐竹台、高野台、津雲台、古江台に一台ずつしかなかった電話ボックスが
8月中に八台増設されるという。
場所はこちら、
佐竹台、高野台、津雲台、古江台近隣センターに一台ずつ。計4台。
新千里山駅。
高野台小学校
あやめ橋津雲台側南詰
藤白台1丁目バス停
新たな電話架線状況発表
1964年度の新たな電話架線状況発表によると、
高野台地区120ー130台
津雲台地区60−70台
古江台地区約10台
これが限界との茨木電報電話局。
どれだけ希望しても一年でたったこれだけしか一般家庭は電話を引けなかったのかと思うと驚きだ。藤白台は一般電話は0だったのですね!
そう言えば、隣の独身の人が電話を借りにきていた記憶がある。
あの家も電話がなかったのだろう。
二十代男性は天国
戦争の後遺症か、
男女の人口比率が世代によって歪であった。
佐竹台地区においての世帯数1513戸、4,912人の男女分布がこちら。
- 1−19歳 男性870名、女性839名
- 20−29歳 男性477名、女性791名
- 30−39歳 男性804名、女性543名
- 40−84歳 男性305名、女性287名
40歳以上は一纏めにされているところを見ると、
40歳以上はすでに老人扱いだったのか?
80歳以上はわずか4名とのこと。
20代と30代で男女の比率が極端だ。
8月1日 津雲台にピーコック、喫茶店オープン
近隣センターだけが頼りの食料品や日常品
ようやくスーパーマーケット「ピーコック」が津雲台にオープン。
同時に喫茶店もオープンし、
お買い物をしてその後優雅なお茶、といった
「豊かな生活」を提供したいと意気込んでいる
前年から津雲台はお金持ちの地区という流れが続いている
下駄禁止
この頃の団地は全て階段。
しかし一般男性の手軽な履き物は下駄。
これが団地では致命的な騒音問題に。
2階以上の人は下駄を脱ぐか草履にしてくれと注意書きが散見。
そらそうだろう。
危険な野犬
人口が増えるにつれて野犬も増加
子供や女性が襲われる被害続出。
また、死体や糞尿で衛生面でも問題に。
ざっと数えると300匹以上はいると言う。
この状況に住民は吹田市に要望。
しかし、本格的な野犬狩りは翌年から。
幼児を持つ親は怖くて公園で遊ばせる事も出来なかったよう。
絶好の運転練習場
佐竹台から津雲台、古江台に抜けていく府道。
この当時、まだ中央分離帯もない。
15メートル以上の道幅である。
この広々とした道路が絶好の運転練習場と化した。
吹田近隣はおろか、京都や兵庫、奈良など近畿一円の人々が
ここ千里ニュータウンの広い道路を目掛けて、
運転練習にやって来る事になってしまった。
車だけではない、バイクもやってきて猛スピードで飛ばしているという。
まだ、高速道路がない時代、
千里ニュータウンの府道は若者には高速道路のように思えただろう。
事故も増加傾向になり、
吹田警察署が本格的に無免許運転を取り締まった結果、
6月だけで150件の摘発があった。
実に空いた管轄の75%の無免許運転がこの府道で行われていた計算になる。
取り締まりを強化してから無免許運転は減らず、
千里ニュータウンの工事車両でも職人の無免許運転が常習化しており、
かなり危険意識は低かったよう。
そんな中、死亡事故や小型ダンプによる横転事故が発生。
住民は更なる取り締まり強化を要望した。
開かずのトビラ
オープンして2年の佐竹台ショップセンター
開店当初に数日営業しただけでそのままシャッターが閉まったままの店が問題になっている。
その店とはコロッケや天ぷらなどの揚げ物店。
主人は儲からないと営業意思もなく、
そのまま住居として住んでいるだけのよう。
周囲の店は盛り上げていきたいのに、
津雲台にスーパーマーケットが出来たり、色々と厳しい中
ショップセンターの美観も悪いし、近隣居住者に対するサービス精神にも欠けると憤慨。
やる気がないなら店の権利を府企業局が返還させ、
新たな人選、誘致するなど対策を要望。
店を出させろと、揉めていたのが昭和37年。
すでにシャッター店の予感が交錯する昭和39年。
わずか2年なのに、、、
吹田給食協同組合発「腐敗弁当」今なら大問題
吹田給食協同組合が大変なことをやらかした
発足以来人口増加で順調に業績を伸ばしてきたが、
冬場ということで安心したのか怠慢なのか腐敗したスパゲッティーを出していたのだ。
これだけでも大問題なのに、
気付いた人からの苦情に対し、
「腐っていると気付いたのなら残して腐っていないものだけを食べたら」と返答。
現代なら倒産沙汰と思うのだが、
さすが昭和39年謝って済んだよう。
その謝罪文面がこちら、
「スパゲッティーが腐っていたので、その隣にある魚の天ぷらも食べれず、
結局つけものくらいしか食べられず誠に済みませんでした。」
これ、謝ってる?