千里中央再開発

昭和43年の千里ニュータウン

入居開始から7年目を迎えた千里ニュータウン。
開発はさらに加速し、副都心としての 千里中央計画 が本格化。
万博まであと 2年、果たしてどのように街が進化していくのか?

昭和43年1月1日 新年の挨拶

藤白台幼稚園の 鼓笛隊 が結成され、元旦の新聞一面を飾った。
これまでの新年号は市長の挨拶や団地開発がメインだったが、前年に当選した 山本市長 が「子ども優先」の政策を掲げた影響で、 幼稚園の充実 に予算が投入され、楽器の購入も実現。
時代が確実に「子どもたちの未来」にシフトしつつあった。

新年お年玉セール

北千里駅・南千里駅の ファミリーストア「オアシス」 が1月4日から初売りを開始。
広告に掲載された特価商品を見ると、当時の物価や流行がよく分かる。

  • 歩行人形(1,400円)→950円
  • 人形ミッチーちゃん(1,000円)→700円
  • ボンゴ熊(500円)
  • ケロヨンファミリートレイン(940円)
  • ゴム・ドッジボール(100円)
  • サクラクレパス25色(130円)
  • サクラ絵の具18色(200円)

まさに 昭和レトロなアイテム ばかり。
「ケロヨンファミリートレイン」なんて、今なら骨董品扱いかもしれない。

山本市長、新年の決意

前年の選挙で当選した山本新市長が 「無茶苦茶な街づくりを是正し、真の都市づくりを誓う」 と宣言。
そのスローガンは 「良識と実行力と愛情」
過去の行政の混乱を立て直し、 住民ファーストの政策 を進める決意を示した。

新御堂筋延伸がようやく軌道に乗る

長年揉め続けていた 大阪市営地下鉄の御堂筋線延伸工事 がようやく進展。
さらに 中央環状線・中国縦貫自動車道 の建設も本格化し、万博までの完成を目標に掲げる。
これが実現すれば、大阪国際空港や新大阪駅とのアクセスが格段に向上。
都市交通の 大動脈 となる計画が動き出した。

当時の江坂の様子

現在ではオフィス街・商業エリアとして栄えている 江坂 だが、昭和43年当時は 「何にもない」 状態だった。
前年に問題になった 下新田の大規模墓地 の立ち退き問題もようやく解決し、再開発に向けて動き出す。
この頃は 「江坂=吹田の片隅」 という認識だったかもしれないが、後に地下鉄が開通し、様相が一変することになる。

千里中央「副都心構想計画」発表

いよいよ 千里中央が北大阪の副都心 としての具体的な計画を発表。
当時の市民にとってはピンとこない内容だったが、そのビジョンは 「未来都市」 そのもの。

  • 東西南北に高速道路が交差し、都市交通のハブとなる
  • オフィス街が形成され、3万5千人が働くビジネスエリアへ
  • 「子どもの遊び場」も充実し、家族が楽しめる都市づくり
  • 庶民向けマーケットと百貨店が共存する商業施設
  • 駐車場ビルは1万台規模を予定
  • 市民センター(シビックセンター)を設置
  • 全ビル冷暖房完備、駅コンコースも充実

まるで 未来都市の設計図 のような壮大な計画だった。
実際、この計画の多くは 現代の千里中央の形として実現 している。

千里中央公園・千里南公園の整備へ

千里ニュータウンの計画では 緑地が豊富 という点が大きな特徴だったが、実際の開発では 宅地造成が優先され、緑が後回し にされてしまった。
その結果、吹田側の公園は どこも中途半端 な状態に。

  • 佐竹台の菩提池公園 → 貸しボートが初年度から失敗
  • 藤白公園 → コンクリートの滑り台だけの公園
  • 津雲台の菖蒲池公園 → 保育所よりもお粗末な設備

そんな中、 豊中市側「本来の緑地を活かし、遊具にも予算を惜しまない」 という強気の姿勢を見せる。
その象徴とも言えるのが 「万国博展望台」
ここからは 万博会場の建設状況 を一望でき、千里ニュータウンの発展を実感できる場所だった。

万博誘致に敗れた泉北ニュータウンも躍進

千里ニュータウンのライバルだった 泉北ニュータウン
万博の誘致に敗れたものの、 「千里に負けてたまるか!」 と開発に尽力。

特に、

  • 上下水道の整備
  • 歩車分離の徹底
  • 広大な緑地公園の計画

などは 千里ニュータウン(吹田側)の欠点を反面教師にした ものだった。

国鉄吹田駅前の再開発も本格化

かつて 千里ニュータウンの玄関口 だった 国鉄吹田駅
しかし、昭和40年に 新千里山駅(現・南千里駅)が開業 して以降、利用者は減少。
さらに 千里中央副都心計画の発表 により、吹田駅周辺の活気は次第に低下。

この状況に危機感を抱いた吹田市は、 国鉄吹田駅前の再開発 を推進。
このプロジェクトが 山本市政の試金石 になるとされ、今後の動向が注目されることとなった。

一人っ子問題

高度経済成長期に入り、核家族化が進む中で一人っ子家庭が急増。かつては珍しかった一人っ子が一般的になりつつあった。「ウチは一人っ子だから、主人が子煩悩で」といった発言が見られ、一方で「過保護」が問題視され始める。また、一人っ子による母親への暴力も発生し、当時の新聞では「家庭内乱暴児」として報じられている。

増える近視

この頃から、子供の近視が増えていることが問題に。原因としてテレビの視聴時間の増加や勉強の影響が指摘されるようになる。

暗い成人式

吹田市では5,582人が成人式を迎える。しかし、この世代は昭和22年・23年生まれの「戦後世代」であり、当時の社会の目は冷ややかだった。1965年の学費値上げをきっかけに学生運動が活発化し、「戦後世代は反抗的」との風潮が強まっていたためだ。一部の知識人は「戦争を経験していない若者に、戦後の価値観を押し付けるな」と擁護している。

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