自分育て

「蒙霧升降(ふかききりまとう)」#61

2023年8月18日 、
秋最初の節気「立秋」の
末候「蒙霧升降(ふかききりまとう)」になりました。

24個の節気の中の16番目「立秋」
72個の候の中の48番目「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

※こちらの何番目という順序は古来の正月「冬至」を起点に考えております。
ご了承くださいませ。

「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

立秋の最後の候、
「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

日中は頂点のような暑さですが、
朝晩は少し暑さが和らぎを感じます。

昼の暑さで空気中に溶け込んだ水分が、
気温のグッと下がる朝に霧となって現れます。

霧といえば、秋です。
その霧が発生し始めるのが
この時期になります。

同じものですが、
春は霞(かすみ)と呼びます。

朧げ

「蒙霧升降(ふかききりまとう)」が描写するのは、
夏の終わりから秋の始まりへの移り変わりで、
季節の変化が目に見えて現れる時期です。

深い朝霧の光景は、
自然の神秘と美しさを感じることが出来ます。
多くの詩や文学作品、絵画にも描かれています。

「印象派」という絵を聞いたことがあると思います。
何が描かれているのか、
ハッキリとは分かりません。
写真で言うとピンボケのような感じです。

しかし、人間はこのような光景に心奪われ、
心に残る。
それが印象派という絵です。

何が見えているのか分からないのに、
心に残る。
もしかしたらこの現象は物事の本質をついているかも知れません。

朧げにこそ本質が隠れている

何故なら、
霧の風景が私たちの心に深く訴えかけるのは、
ぼんやりと、もしくは全く目に見えない部分を想像の余地として残してくれています。
そこにそれぞれの人々の感性や解釈を投影する空間を提供してくれているのです。

そして、具体的な形が見えず、全体がぼんやりとしていても、
その中に何かしらの美しさや魅力を感じ取ることができるのは、
人間が持つ感受性や想像力の力に他なりません。

これは同じ空間を生きていても、
それぞれ個々によって人生の見え方が違うことを教えてくれています。
そして、全てが見えている、分かっていると人間は解釈しがちですが、
実は本当は実際の数%ほどしか見えておらず、
一生懸命解き明かそうとしたり、
こうだ!と解釈しようとし続けることが大事なのかもしれません。

人間の心は、
見えないものに対しても敏感に反応し、
それを自分なりに解釈し、受け取ります。

ある意味その実りが、
絵画や音楽、文学などの芸術作品だともいえます。

想像

蒙霧升降の時期、
霧が山間や川辺に漂う光景は幻想的で、
心に残る風景を作り出します。

この美しい自然の表情は、
自然界のリズムと人々の生活を繋ぐ架け橋のような存在で、
人々に感動を与え、
自然とのつながりを深く感じさせることでしょう。

霧に覆われた風景は、
遠くから見ると一見漠然としていても、
近づくにつれて物理的に形がはっきりしてくる。
しかし、実際に見なくても心で感じることができるのです。
これは人生や人々との関係においても同じようなものかもしれません。

それらを感じる一つが「霧の景色」だと思うのです。
そう考えると蒙霧升降は、
自然の中で感じる季節の移り変わりと、
人々の感受性との関係の美しい象徴、、、?

そんなファンタジーワールドに浸るため、
夜明け前から朝霧に身を置こうかと思います。

次回は2023年8月23日 18時1分、
秋二番目の節気「処暑」に入ります。
初候、「綿柎開 (わたのはなしべひらく)」です。