アラ還ニートのぶらり旅

友人アリの想いを綴る

旅をしていると、時々「偶然とは思えない出来事」に出会うことがある。
それは、単なる偶然なのか、それとも誰かが導いたものなのか——

2024年1月1日、私はインド・ジャイプールの友人「アリ」が亡くなったという知らせを受けた。
心臓発作だったそうだ。まだ36歳。

アリは、ジャイプールに来るたびに私の足代わりになってくれた男だ。
いつもトゥクトゥクを運転し、どこへでも連れて行ってくれた。
2023年10月、私は彼の家に招かれ、一緒に食事をした。
そのとき、「次に来るときは、俺の故郷に連れて行く」と約束していたのに——

彼の死によって、その約束は永遠に果たされることはなくなった。

第1章:残された家族と、すれ違う想い

アリには6人家族がいた。
妻、16歳の長男を含む4人の子供。
彼の家は、約8畳ほどの広さに、ベッドが1つ。
アリと一番下の子がそのベッドを使い、他の家族はコンクリートの床に薄い敷物を敷いて寝ていた。

テレビとスマホが1台ずつ。
子供たちは、毎日スマホの取り合いをしていた。

「子供の学校代が大変でさ…」と、アリは笑っていた。
そんな彼が突然いなくなった。

残された家族は、私に助けを求めてきた。
アリの息子は頻繁に電話をかけてきて、
「生活が大変だ」「母が毎日泣いている」「親族も助けてくれない」と嘆いた。

最初は気の毒に思い、話を聞いていたが、次第に「助けてほしい」と言うばかりになった。
働いている様子もなく、ただ「お金がない」と訴えるだけ。
私はついに「忙しいから頻繁に電話をかけるな!」と叱った。

それでも、しばらくするとまた電話がかかってくる。
「iPhoneは持ってきたか?」
「え? 何の話?」
「去年、親父が次来るときにiPhoneを持ってきてくれって頼んだんだ。」

彼は、それを本気で信じていたのだ。
私は、一気に気持ちが冷めてしまった。

「私は行かない。アリには空に向かって祈る。」

そう言って、アリの息子をブロックした。

第2章:旅の中での不思議な出会い

2025年2月、私はインドに戻った。
チェンナイ、アグラ、ジャイプールを巡る予定だった。
ジャイプールにはアリとは関係なく、天然石の仕入れのために行くつもりだった。

アグラを発つ朝、私はホテルのフロントに頼んでいたトゥクトゥクに乗り込んだ。
運転手は60歳の男。
名前は「アキ」。

「ジャイプールに行くのか?」
「ジャイプールには昔、とんでもなく紳士的な男がいたんだ。」
「金よりも心を大事にする男だった。でも5年前に死んでしまったよ。」

私は、ふとアリのことを思い出した。

「今は息子がトゥクトゥクドライバーをやってるよ。よかったら連絡先を教えるから、ジャイプールで使うといい。」

「そうだな…」と私は思った。
同時に、アリの息子は助けを求めるばかりだったが、「働いている」と聞いて少しだけ見直した。

「ところで、死んだ男の名前は?」

「アリだ!」

「えっ……?」

「アリ」という名前は、インドではありふれている。
偶然だろう、と自分に言い聞かせた。

しかし、アキがスマホを見せてくれたとき、画面に映っていたのは…
私がブロックした「アリの息子」の連絡先だった。

第3章:再会と、新たな関係

ジャイプールに到着した私は、アリの息子に連絡するかどうか、まだ迷っていた。

だが、駅に降り立った瞬間——
彼が私を待っていた。

アキが連絡を入れていたのだろう。

そして今回、彼がトゥクトゥクを運転し、宝石屋巡りを手伝ってくれている。
かつてのアリのように。

ただ、彼はまだ「自分が何を間違えたのか」に気づいていない。
私は少しずつ、彼に注意しながら日本人の感覚を伝えているが、文化の違いはそう簡単には埋まらない。

今日は、まずアリの墓参りをする。
そして、彼の家に行き、夕飯をご馳走になることになった。

1年前、私は「もうこの家族とは会わない」と思っていた。
しかし今、私は再び彼の家に向かっている。

これは偶然なのか? それとも——

旅には、時々こうした「偶然のようで偶然ではない出来事」が起こる。
これは単なる偶然だったのか?
それとも、アリの意志が、何かを伝えようとしたのか?

皆さんは、こういう「不思議な巡り合わせ」を経験したことがありますか?
ぜひ、コメントで教えてください。