旅のタイムカプセル

#21 いつか終わる旅 〜幸福も地獄も黄金の風も〜(帯広〜襟裳)

1985年8月16日 帯広ユースの奇怪な見送り

昨夜、「高校生には金は出させない」と4人で私の食事代を払ってくれた。
貧乏旅の僕には心底有り難かった。
朝目が覚めて、そのことが真っ先に思い起こされた。

「改めてお礼を言わないと!」

荷物をまとめ1階に降りる。
昨日はチェックインから超満員でバタバタしていた帯広ユース。
もしかしたら本来丁寧な接客をしているのかと思うくらい、色んな観光スポットの手書きの紹介がたくさん貼ってあった。まずは帯広駅周辺の飲食ガイド。
特に目についたのは「Paris」という店のレインボーパフェ。高さが40センチもあるジャンボパフェが名物という。普段甘いものは好きでないが、連日の走りで身体が甘いものを求めているのだろうか、
「よしっ!朝から行くぞ!絶対食べよう!」と決意した。
その他、「柳月」のクレープ、「六花亭」のチョコレートや抹茶カステラなど、魅力的なスイーツが紹介されていた。
帯広駅から大通りを一直線に行くとグリーンパークがある。そこにはギネスブックにも紹介されている世界一長い400メートルのベンチがあるという。面白い。

昨日食事をした5人にお礼を言って、最後に記念写真を撮影。
とにかく無事でと挨拶していると玄関前がやたらと騒がしくなった。
見にいくとヘルパー総出の見送りだ。
大漁旗を振ったり、万歳三唱したり、奇声をあげて大騒ぎ。
帯広ユースのすぐ近くに国鉄の線路が見える。
これから通り過ぎる列車に向かって「別れ」を告げているのである。
昨夜は180名以上に人が宿泊していたから確かに何人かのお客さんが乗っているであろう。とは言え一般の人も乗っているだろう列車に雄叫びをあげているその姿はかなり滑稽だ。
僕たちは大笑いして見ていた。誰かが、そう言えば帯広ユースの「列車見送り」は有名らしいと言った。なるほど、今日だけではなく毎日やっているのか。

彼らはユースの玄関前に戻ると、「ウォーー!」と叫びながら、意味不明な踊りを始めた。
まるで体育祭の応援合戦か、男子校のノリを極限までこじらせたような光景。
どんどんエスカレートする彼らに、僕は「どこで終わるんだ、これ?」と不安になり始める。
すると——
2階の窓から 「バッシャーーン!!!」
バケツの水が炸裂。
濡れたスタッフが両手を広げ、
「もう一丁!」と叫ぶ。
すると今度は3階の窓から「バッシャーーン!!!」
さらに勢いあるバケツの水が炸裂。
「ありがとーう!!」と絶叫してフィニッシュ。
……なんなんだ、これ?

笑い転げる人、呆気に取られる人、そして僕は——
「あ、自分の高校でもこんなことあったな……」 と思い出す。
「でも、俺はこれからは少し距離を置こう。」
ほんの少し、大人になった気がした。

愛国から幸福へ

午前8時、改めてみんなと挨拶し、帯広ユースを去った。
僕は気になっていたパフェを求めて店を探した。
しかし、聞いた場所に着いてどうやら店がやってない。
まさかの定休日? いや、そもそもこんな朝早く開いてるわけがないのか……。
「あぁ〜! パフェ食べたかったのに!!!」
朝から空回りする自分にちょっとイラッとしながら、国道236号線へ向かった。

午前9時半、「愛国駅」に到着した。この駅はただただネーミングだけで大人気のスポットになった場所だ。景気が良い為、クリーム色の壁、明るいオレンジ色の屋根。これまでに見た駅舎とは異次元の色使い。
おとぎの国の物語に出てくるような駅舎に人がごった返していた。
人気はこの先の「幸福駅」までの切符らしい。
「愛国駅」→「幸福駅」
「幸福駅」→「愛国駅」の乗車しない2枚の切符セットに観光客が群がる。
僕も釣られて買ってしまった。

「愛国から幸福へ」

こうして切符に印字されているのを実際に手に取ると、何だか宗教じみていて少し怖い。
しかも幸福への切符を本当に手に入れるかのように次から次へと買っていく人々が後をたたない。
それを売りつける駅員が免罪符を売る「悪の神父」に見えてきた。

「ブヘブヘッ!幸福行きなんて嘘だ! お前ら全員地獄行きだ〜!ブヘブヘッ!」
「オイオイ、国鉄! 公式でそんなこと言っていいのか……?」
まるで地獄の車掌だ!
僕は一瞬で目が覚めた。

だけど、この切符を持つだけで『幸せ』を感じる人がいるなら、それはそれでいいのかもしれない。僕には止められない。
——とにかく国鉄にとってはめちゃくちゃ幸せな話だろう。

続いて怖いもの見たさで地獄の車掌が売っていた切符の幸福駅に到着。
ここにも驚かされた。無人駅と聞いていたが、普通の有人の駅よりも活気がある。
それもそのはず。駅前には立派なお土産屋が鎮座し、それだけに留まらず、駅舎の中に土産物屋が入り込んで商売しているのだ。

幸福駅、ただの観光駅と思いきや……壁一面にべったり貼られた『幸福祈願』のメッセージ。
“私はここで幸せになりました!”
“夫と出会いました!”
“子どもが生まれました!”
うじゃうじゃと幸福体験談が並ぶ。
「まるで雑誌の胡散臭い金持ちになる財布、お札、あのノリじゃないか!」
よく見たら“宝くじ当たりました!”まである……おいおい、もう何でもアリ!

北海道の人の印象はとても控えめで、世話好き。
しかし幸福駅のそれは大阪人顔負けの商売根性丸出しだった。
「幸福駅」とは名ばかりで「商売繁盛笹もってこい駅」だった。

僕は「幸福駅」という名前に、どこか幻想的なイメージを持っていた。
だから立ち寄ったのだ。
けれど、目の前にあったのは、観光客の波と、商魂たくましい土産物屋の店員たち。
これが「幸福」か……?
「金が落ちるところに幸福あり….、か」
じゃぁ、来る客が幸せなのではなく、儲かってる自分たちが「幸福な駅の人々」ってこと?
何じゃそりゃ!?馬鹿馬鹿しい。
そんなことをぼんやり考えながら、僕はペダルを踏み込んだ。

ライダー天使

幸福駅を出て国道236号線を走るとすぐにパン屋があった。
非常用のジャムもまだあるので食パンを買おうと店に入った。
僕は食パンを手に取り、カウンターのおばさんの所に持って行った。
するとおばさんは、「あーっ、そのパンはもう古いからあげるよ。」と言う。
思わずラッキー!と思ったのも束の間、
「あっ、カビてる!」とおばさんは声を上げた。
カビてるパンを渡す訳にはいかないとなって、他のパンを探したがどれも古くてダメだった。僕は諦めて店を出た。

今日は昼飯抜きか?
今夜は宿に泊まって、たらふく飯を食おう!
そうだ!今日は晩飯まで我慢して走ろう!
そう決心し走り出した。

この日はカンカン照り。
この二日間、風、アップダウンに苦しめられたが直射日光に当たらず走ることが出来た。
2日ぶりのギラギラ太陽にいかに太陽光が体力を奪うのか改めて知った。
とにかく水分補給も追いつかない。
これは昼飯抜きは到底無理だ。
とにかく何か腹に入れないと本当に倒れてしまうと思った。
僕は何とか「ひげ」と言う食堂に辿り着き店へと入った。

カウンター席についた僕はメニューを見る元気もなく、壁に吊ってあった「ジンギスカン定食」を指さし、「アレとご飯大盛り」と告げ、カウンターテーブルに突伏した。
「チャリンチャリン」と食堂の扉の開く音がして、
「あの自転車君の?」入ってきたライダーが僕の肩を叩いて聞く。
空腹で気が遠くなっている僕は彼を見て小さく「はい。」という。
「ふーん、そうかそうか……」 とだけ言って、コーラを2本頼むライダー。
(俺の話、そこまで聞き入ることか?)と思っていると、 「飲めよ!」 と無言でコーラを差し出す。
僕はピシッと上体を起こし、
「ありがとうございます!」とコーラを飲んだ。
ライダーは奇しくも僕と同じジンギスカンを頼んだ。
「あれっ、同じジンギスカンなら、カウンターでなくテーブルに座って焼きながら食べる?」と店のお姉さんが言った。
「いいですねー」とライダーが言って、僕たちは一緒に焼きながらジンギスカンを食べる事にした。ライダーは自身の話はせず、僕が大阪から出て、どういうルートでやって来たのかをとにかく聞いていた。

野宿の事。銀行がなくて現金が乏しかったこと。パンクが5回あったこと。しかもそのうち2回は連続だったこと。僕はジンギスカンを食べながら聞かれたこと以外にもそれに付随した面白かったこと、腹が立ったこと、色々話した。
ジンギスカンを食べ終わったが、僕の胃袋はまだ足りないと言う。
僕はラーメンを追加した。スープを飲み干したら腹が持つだろうと考えたのだ。
ライダーもジンギスカンを食べ終わっていたが、僕の追加したラーメンが出てくると同時に「じゃぁ、俺いくわ!」と立ち上がった。
「あっ、コーラありがとうございます!」
僕は一礼して、ラーメンと向き合った。ズルズルーっと勢いよく麺を啜る。
ライダーは扉を開ける前に僕に向かって「頑張れよ!」と気合の入った声で言った。
僕は食べながら会釈した。
「チャリンチャリン」ライダーは扉を開閉するたびになる鐘の余韻を残して去っていった。
一瞬の間があって、呑気にラーメンを啜る僕に店の女性が声を上げた。
店の女性:「あんた! あの人全部払って行ったよ!」
僕:「……へ?」
僕:「え、マジですか?」
僕:「……えええええええっ!?」

ライダーはコーラだけでなく、ジンギスカンもそして追加したラーメン代も払って行ったと言うのだ。僕はすぐさま箸を置いて、店の外に走り出た。
既にヘルメットを被ったライダーはバイクに跨り、もう走り出すというところだった。
手を振りながら「ありがとう!」という僕に向かって、右手の指2本で小さな敬礼のような仕草をして応えてくれ田。そして流れる動作でスロットルを回し走り去った。

彼はライダー天使だったのだ。

僕は「シェーンカムバーック!」の気持ちがわかったような気がした。
絶対に返すことの出来ない恩だと思うと寂しい気持ちが込み上げてきた。
当然感謝の気持ちもあった。
とりあえずは食堂に戻りご馳走してくれたラーメンを食べる事にした。
店の女性に対してもどんな顔をしたらいいのか分からず、どういう訳か恥ずかしい気持ちでラーメンを完食した。名前も知らないあのライダー。この食事の恩は一生返せないけれど、もし僕も将来こんな旅人がいたら食事をご馳走できる人になりたいと思った。
しかも恩着せがましくなく、スマートに。

6回目のパンク

すっかり満腹になって食堂を出発。
食事の旨さとライダーの親切の余韻に浸りながら走っていると、6回目のパンクが私を襲った。昨日、釧路から帯広での道中で2回連続パンクがあって、次こそはタイヤごと交換と思っていた。しかし、ゴムを重ねて保護する修理が思いの外上手くいった。と思っていた。
と言うより、昨日帯広まで順調に走れたことでタイヤ交換のことはすっかり忘れ、ここまで来てしまったのだ。
あぁ、昨日2回に今日もパンク。もう全くタイヤ交換の猶予はないと思われた。

運良く近くに郵便局があったので町に自転車があるか尋ねた。
郵便局員は町に自転車屋は一軒もないとキッパリ言い切った。
一番近い自転車屋は隣町にあって、10キロ近く先だと言う。しかも僕の目的地とは全く違う方向だ。どうしようかと思案していると、郵便局員さんは親切にも何軒か電話を入れてくれ、替えタイヤを車で運んでくれるという自転車屋を探し当ててくれた。
金額は5,000円と言う。僕の予算は3,000円。とても無理だと告げると、また電話して何と4,000円まで値下げ交渉してくれた。
本州に渡るフェリー代を考えると4,000円でも厳しい。
僕は交渉してくれた郵便局員さんに深く礼を言って、自転車に戻った。
とにかく昨日のように丁寧に修理をしよう。「成せば成る」そう覚悟を決めて自転車を倒し、タイヤの様子を見る。暇だったのか郵便局員さんも外に出てきて僕の修理を見に来た。
「こりゃ酷い!」あまりの無惨なタイヤに郵便局員さんも思わず声を出す。
「直せるかね?」
「直すことはできるんですが、あちこちゴムが薄くなっていて、すぐにパンクするんです。」僕はチューブの穴を塞ぎ、タイヤの危なそうな箇所の内側からゴムを貼り付けた。
そして、タイヤとチューブの間に薄くビニールを敷いた。少しでも役に立って欲しい。
修理が終わると一部始終を見ていた郵便局員さんに見送られながら襟裳を目指した。

黄金道路

3時過ぎ、国鉄広尾駅に到着。
パンクなどで思いの外時間を要してしまった。襟裳岬まで約50キロ。6時には着けるかなと見込みをつける。しかし、広尾から太平洋海沿いの海岸線を走る国道336号線は暴風が吹いていた。

「ブローブロー!進ませないぞー!ブローブロー!」

また暴風魔人だ。しつこい。
しかも向かい風。あまりの風に目を開けているのが辛いほどで、陽が傾いているにもかかわらず僕はサングラスを掛けて走った。広尾を出てすぐの国定公園フンベの滝で水分補給。
タオルを濡らして頭に巻いた。

風はさらに強くなっている。
今までで最強パワーの暴風魔人。これは大変だぞ。
広尾から襟裳町庶野へと続く道路を「黄金道路」と呼ぶ。
何でも日本全国屈指の難所で道路工事に多額の費用と人の犠牲が出たと言うことから金を敷きつめられるほど莫大な費用が掛かった道路という事が由来。実際今でも一般の国道の10倍の改修や維持費が掛かるという。
その難所の洗礼をもろに食らう形になった。

何と細かな波飛沫が向かい風と共に身体に叩きつけるのだ。
「バシャバシャ!俺は飛沫ジジイ!お前の行方を阻み、自転車も錆びつかせてくれようぞ!」最悪だ。風と波飛沫のダブル攻撃だ。
20キロ程度出るはずの力でペダルを踏んでも10キロ程度しか出ない。
全く自転車が前に進まないのだ。
午後6時には襟裳岬に到着と見込んでいたが、6時になっても襟裳岬までまだ半分。
ガックリしていると大きな石碑が目に入った。
何でも道路建設の多数の犠牲者への殉職記念碑らしい。
この通り、出来上がった道路を走るだけでも大変なのに、この道路を一から通すというのは過酷と言う言葉は足りないように思えた。胸が傷む。

車のクラクションが僕を警告する。しかし、車の往来に気が付かない。
それほど暴風音が凄まじく音がかき消されてしまう。
しばらくして波飛沫と思っていたが、それが小雨に変わっている事に気付くのに時間がかかった。
あたりはすっかり暗くなり、雨のせいで寒い。
僕は襟裳岬で野宿を頭に入れていたが、とても無理だと思った。
第一震えが止まらない。幸い襟裳岬の少し手前に「襟裳ユース」があるようだ。
よしっ、飛び込みで入ろう。

それまでトンネルと険しい海岸線の黄金道路が襟裳町庶野で終わると、百人浜と呼ばれる浜に出た。暗い中立て看板を見ると1816年、御用船が沖で難破。百人の犠牲者が打ち上げられたことからそう呼ばれるようになったと言うのだ。道路にしても航路にしてもこの強風と地形、かなりの難所ということが身に染みた。多くの犠牲者が出た難所で強風と雨。
降り頻る雨と暴風、僕の弱々しいライトにゆらゆらと水飛沫が動く。水が入らないよう細める目に、未だ亡霊が彷徨っている様に映る。

「寒い寒い。仲間は何処だ〜」怨霊が歩いているようで余計に寒く感じる。
右手に建物が見えてきた。あれがユースかと近付く。
しかし、それはとうに潰れた旅館のようで、絵に描いたあばら屋だった。
僕は肝を冷やした。改めて野宿は無理だと思った。
襟裳岬漁港へ降りていく道をやり過ごすと少し上り坂になってきた。
雨と暴風、暗い夜の坂道、ずぶ濡れの僕はもうどうにでもなれという気分だった。

気付き

午後7時10分、ようやく襟裳ユースに着いた。
受付に聞くとベットに空きがあるという。良かった。僕は受付用紙を書くとユースホステルの会員証を探した。しかしいつも入れているウエストバッグには無かった。
ユースは会員制で会員に成るのに2000円必要。しかし会員証があると宿泊の際に500円の割引特典がある。5回以上泊まるなら会員になった方が良いというシステムだ。
僕はもちろん会員。しかしいくら会員でも会員証がなければ500円の割引特典はない。
もう一度探そうとする僕の頭に1つの記憶が過ぎる。

通常宿泊時に会員証を預けて、朝帰る時に会員証を返してもらうことになっている。
僕は今朝、帯広ユースで会員証を返してもらった記憶がないのだ。
そうか、忘れてきてしまったのだ。
いつもはスタッフに「会員証忘れないでねー!」などと声をかけてもらうのだが、帯広ユースは収容人数が多すぎるあまりそんな確認が疎かになっていたのかも知れない。
もちろん忘れていた僕も悪いのだが、あの今朝のバカ踊りが思い出されやるせ無い。
仕方なく一泊朝食付き1700円+500円を余分に払った。夕飯時間はとうに終わっており、予約のない僕に今から夕飯を用意するユースでは無かった。

飯は明日の朝、たらふく食べよう。
僕は冷えた身体を風呂で温め、腹を空かせたままベットに入った。
それにしても今日一日、目まぐるしかった。
僕自身、色んな面で落ち着きがなくなっている自覚があった。
替えなければならないタイヤを替えない。お金がないのに実家に高い土産物を送る。
実に矛盾した行動を取っている自分に何でだろうと思う。
夏休みはあと2週間。それまでに帰らなくてはならない。
だけどもし明日苫小牧に着いたらすぐに北海道を出る船に乗る。
しかし、気持ちはまだ帰りたくないのが正直な気持ち。

帰らななければならない絶望感と帰りたくない気持ちが交錯する。
旅を終わらせたくない。いつまでもこの旅生活を続けたい。
空腹感が情けない気持ちを加速させる。
「あっ!」と思った。
これなのだ。私はこの3週間これまでの当たり前の学校生活から別世界の旅生活を送っている。どちらが本当の生活なのか分からなくなるところまで来てしまったのだ。
数日の旅だと社会復帰が当たり前という「通常生活の輪の中」から抜け出すことはない。
しかし、日々、自分で計画し行動し、旅を組み立て生活を送ってきた。
これは行き先の決まったツアー旅行では味わえない感覚。
旅ではあるが小さな人生の組み立てが3週間続いたのだ。
そうしてこの旅は1つの人生の縮図そのもの。
僕はその人生の縮図を終わらせたくない。
ある意味死にたくないと思っているのだ。
だから、交換しなければならないタイヤの交換を拒み、
金もないのに北海道の物を実家に送ってお金に貧するという矛盾した行動に出ているのだ。僕は自分で何をしてるのだろうと昨日から考えていたが純粋に

  • 「小さな旅という一つの人生」を終わらせたくない。
  • 死にたくない。
  • 北海道から離れたくない。

そうか別れを惜しんでいるか、と自分の心模様に気が付くと少し落ち着いた。
これが北海道の開放感なのかも知れない。
この風土が社会復帰が難しくなるユースホステルを産んだとも考えられる。
これまで連泊したりして、金がなくなって連泊妖怪として居着いてしまった人々を思い返した。
小平では俺みたいになるなと髭面の男がいた。
それでありながら連泊する度にプレゼントが用意されている蟻地獄システムが整っていた。あの矛盾。あの矛盾こそがここ数日、交換しなければならないタイヤ交換をしなかった矛盾と重なる様だった。僕は涙が出そうになりながら、僕の愛おしい旅を抱きしめた。

明日、苫小牧、もしくは青森に渡ったらすぐにタイヤを交換しよう。
旅も約3分の2が過ぎてしまって、
いよいよ帰路の様相となってきた事にしっかり向き合おうと思った。

一つの旅が一つの人生だとしたら、その終わり方も大切にしたい。
キレイに終わらせなくては、
ならない、


反省会 16歳の僕と56歳の俺

16歳の僕「分からんかったんですけどね、タイヤ交換しないのも、無理して土産物送るのも、終わらせたくない抵抗だったんですよね。」

16歳の僕「こんな長い旅、初めてやったんで。何だか旅の自分が本当の自分のような気がしてきて…..。」

16歳の僕「絶対そうやと思います。…..僕、サラリーマンとか無理と思ってます。だって旅出来ないやないですか….。」

16歳の僕「何か意味深ですね。それよりライダー天使ヤバ格好良かった!」

16歳の僕「そうなんですよ!」

16歳の僕「簡単に繋がってって、良いやないですか!」

16歳の僕「えーっ!僕はそこを目指して大人になろうと思ってるのに!」


  • 「愛国駅〜幸福駅」のような観光地でがっかりした思い出はありますか?
  • 帰りたくなくて涙を流した旅はありますか?

コメントでぜひ教えてください!😊

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA