1985年8月22日 鍛えられた両脚
午前8時半、起床。
よほど疲れていたのか、ぐっすり眠ってしまった。
カプセルホテルの布団は、まるで天国のようだった。
昨夜までの寝床——硬い地面にウレタンマット、暗闇のホーム、塩を吹いた肌、蚊に刺されまくった夜——を思い出す。あの過酷な環境に比べると、この柔らかい布団の感触は涙が出るほどありがたい。
歯を磨き、顔を洗い、さっぱりとした気分で受付へ向かう。
自転車を倉庫から出してもらい、午前9時、カプセルホテルを出発した。
3日ぶりの朝ごはん
まずは朝食。
コンビニでおにぎりとお茶を買い、ゆっくりと味わう。
「……ご飯の朝って、こんなに美味かったっけ?」
3日ぶりの米。
たったこれだけのことで、こんなに幸せな気持ちになれるとは思わなかった。
自転車がグングン進む!?
国道286号線を南下し、広瀬川沿いを走って国道4号線に合流。
「あれっ? なんか……めっちゃ進む!」
昨日までの道とは明らかに違う。
アップダウンがほとんどない平坦な道。
それだけじゃない——まるで、何かつっかえていたものが取れたかのように、ペダルが驚くほど軽い。
午前10時過ぎ、岩沼の分岐点に到着。
ここで、2つのルートに分かれる。
- 国道4号線(メインルート)
→ 内陸部を南下し、福島市、郡山、宇都宮を通る - 国道6号線(裏ルート)
→ 海沿いを南下し、相馬、南相馬を通る
「……うん、迷うことなく6号線だな。」
最早、“楽な道”を選ぶつもりはなかった。
三陸のリアス式海岸を走破した今、6号線のアップダウンなんて余裕に思える。
そう、今の僕には “国道45号線を走り切った脚” があるのだから!
まさかの驚異的スピード
正午、阿武隈川を越え、福島県に突入。
午後1時、相馬市到着。
そのままの勢いで南相馬へ——
「えっ、もう80キロも走った!?」
信じられない。
4時間で80キロ。今までの自分では考えられないペースだ。
「これが、”国道45号線” という荒行を乗り越えた力……!!?」
いや、違う。
このスピードの秘密はもうひとつある。
「そうか……ちゃんと飯を食ったからだ!」
エネルギー補給の力
3日間、ジャムもない食パンをかじり、空腹に耐え続けた日々。
しかし今日は違う。
南相馬の食堂で、ご飯、肉、温かいうどんをしっかり食べる。
これが、本当の “エネルギー補給” というやつだ。
食事を終えると、満足感が身体を満たしていく。
十分な栄養が体に染み渡り、脚の疲れも感じない。
「やっぱり、食事って大事なんだな……。」
昨日までの自分とは違う。
脚が硬直したり、力が入らなくなったりすることもない。
“鍛えられた両脚” と “エネルギー補給された体力” に、もう何の不安もない。
「よし! まだまだ行けるぞ!!」
ポカリスエットを一気に飲み干し、僕は再びペダルを踏み込んだ——。
変わらない景色
海沿いのルートを選んだはずなのに、海はほとんど見えなかった。
浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町——地名は次々と変わるのに、景色はどこまでも単調だった。
「本当に進んでいるのか……?」
ふと、不安がよぎる。
そんなとき、自転車のツアーメーターを見て、思わずギョッとした。
「……え、全然動いてない!?」
タイヤの回転数を測るワイヤーが切れてしまったのかもしれない。
いつから故障していたのか分からない。
初日、二日目と、地図がなくて不安だったときのことを思い出す。
自分がどこを走っているのか分からない——それが、これほどまでに辛いとは思わなかった。
迷ってばかり。
人に聞いても当てにならない。
「今どこにいるのか分からない。でも、走らないとたどり着けない。」
あのときの不安と、今のこの感覚は、よく似ていた。
メーターの針が進まない。変わらない景色。ただ走るだけ。
この空虚感は……なんだ?
中学時代の記憶
ふと、中学2年の夏まで勉強をしていなかった頃のことを思い出した。
高校受験のことを知り、「これはヤバい」と思った僕は、そこから必死に勉強を始めた。
中間テスト、期末テスト——やればやるほど、成績はみるみる上がっていった。
ほぼ最下位から中位、そして先頭集団に追いつく勢い。
「できるわけがない」と決めつけていた教師や友人たちの反応も面白かった。
だが、3年生の秋を迎える頃、突然、勉強がつまらなくなった。
成績が「上がる」楽しさはもうなくなり、今度は「抜かされない」ための戦いになっていた。
「勝ち上がる」から「現状維持」へ。
それは、まるで違う競技だった。
進んでいる実感がなくなることは、こんなにも苦しいものなのか。
午後6時までに仙台へ——という強烈な目標を失ったことも、この空虚感の原因なのかもしれない。
そこへきて、距離メーターの故障。
「地図」や「メーター」とは、単なる道具ではなく、”自分の位置を知るための大切なもの” なんだ。
そう考えながらペダルを踏み続ける。
ようやく見えた海
しばらくして、「夕筋海岸」という標識が目に入った。
海沿いの道を走り続け、ようやく海が見えた……が、すでに夕闇が迫っていた。
日が沈む直前の空は、美しく、どこか寂しい。
「変わらない景色」が続くと思っていた道で、ようやく現れた「変わる景色」。
僕はしばらく、自転車を止めて海を眺めていた——。
薄れる感謝
午後8時、いわき市・国鉄平駅に到着。
野宿を考えたが……昨日、カプセルホテルに泊まってしまったせいか、もう野宿が嫌になっていた。
しかも、この平駅はどう見ても野宿に向かない雰囲気だった。
仙台駅も同じだった。
「同じ日本でも、駅の雰囲気ってこんなに違うんだな……」
改めて、地域による違いを感じる。
僕は駅で安宿を尋ねた。
とにかく安い、素泊まりの宿を探す。
だが、最安値は3,000円。
飯もついていないのに、ユースホステルの二食付きより高い。
「どうしよう?」
昨日までの僕なら、迷いなく別の場所で野宿を選んでいただろう。
しかし、”財布の紐” が緩んだ僕は、迷った末に3,000円の素泊まり宿に決めた。
途中、弁当屋で弁当を2個買う。
“守銭奴妖怪” の気配はなし
宿は、民宿でもなく、旅館でもない。
何とも言えない “宿” だった。
ドアを開けると、主人が出てきた。
僕は警戒する——”守銭奴妖怪” ではないか?
だが、その様子はない。
「ほう……これは普通の人間のようだな……」
部屋に案内される。
畳の敷かれた和室。窓もあり、クーラーがなくても涼しい。
風呂に入る。「お清めの儀」も今夜は程々で良い。3杯のかけ湯の後湯船へ。
疲れた身体に湯が染みる。
部屋に戻り、テレビをつけようとするが、100円を入れないと映らないタイプだった。
「守銭奴妖怪の仕業か……?」とも思ったが、そうではない。
どこの宿でも、このタイプのテレビはよくある。
とはいえ——
「昨日のカプセルホテルのほうが、よかったな……」
何もすることがない。
いや、別に何もしたくない。
布団はある。
屋根もある。
風呂にも入った。
それなのに、昨日より感動が薄い。
「なんなんだろう?」
人間は、どこまでも欲深い
人間とは、なんと罪深く、欲深い生き物なのか。
つい昨日まで、風呂にも入れず、垢まみれで、腹を減らして野宿していた。
そして今日は、腹いっぱい食べ、風呂にも入り、布団まである。
それなのに——満足感は、昨日ほどではない。
「そうか……」
僕は思う。
この旅のように、極限と安らぎを交互に繰り返すくらいが、一番ちょうどいいのかもしれない。
そう考えながら、僕は布団を敷き、静かに目を閉じた——。
反省会 16歳の僕と56歳の俺
56歳の俺「何か昨日までと全然違う行程やな!」
16歳の僕「はい!坂がないのはありがたいのですが、景色も変わらずで…..。」
56歳の「何や贅沢やなぁ、アップダウンがあったらしんどい言うし、!」
16歳の僕「まるで人生のようです。!」
56歳の俺「しかも、そのタイミングでツアーメーターが故障!」
16歳の僕「そうなんです! どこまで進んだかも分からないし、なんか、目的地に向かってる実感がなくなるんですよ!」
56歳の俺「人生のあるあるやな。成長を感じられへん時期が、一番しんどいんよ。!」
16歳の僕「今、まさにその状態です。あれだけ嬉しかった風呂も布団もありがたさが薄れて….。」
56歳の俺「贅沢の麻痺、やな。」
16歳の僕「でも、ちょっと分かってきました。『極限のツラさ』と『快適さ』を交互に経験するくらいが、一番幸せを感じられるんじゃないかって。。」
56歳の俺「せやな。だからこそ、旅って価値があるんよな。」
16歳の僕「……はい。そう考えると、やっぱり旅が終わるのがちょっと寂しいです。」
56歳の俺「でも、まだ終わりやないで!」
16歳の僕「はい!明日も頑張って走ります!」
- 人生で『進んでる実感がなくなった』経験はありますか?
→ 受験、仕事、スポーツ……最初は成長を感じて楽しかったのに、途中で伸び悩んだり、モチベーションが下がったりしたこと、ありませんか? - 「旅や生活の中で『贅沢の麻痺』を感じたことは?」
→ 以前は「めちゃくちゃありがたい!」と思っていたのに、いつの間にかそれが当たり前になってしまったこと、ありますか?
コメントでぜひ教えてください!😊
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