旅のタイムカプセル

#32 ヒッチハイクの誘惑と夏休みの幻影(静岡〜名古屋)

1985年8月27日 決意

午前6時、静岡駅発。

「徹夜で走って、大阪に帰る!!」

そう決めていた僕は、迷わずペダルを踏んだ。

走り出してすぐに宇津ノ谷トンネルへ突入。

標高200メートル級の峠道。

「まぁ、今さらこれくらいの峠なんて……!」

これまでの難所と比べれば、大したことはない。

峠の頂で、昨日買ったパンをかじる。

「このまま一気に行くぞ!!!」

予想外の”誘惑”

午前9時、国鉄掛川駅到着。

「先を急ぐ!!!」

休憩も取らずに、どんどん進む。

9時半、車通りの少ない細い道路。

その時——

僕を追い越したトラックが、スッと停まった。

運転席から、いかにも力仕事をしている兄貴が顔を出す。

「乗るか?」

最初、冗談かと思った。

「徒歩のヒッチハイカー」じゃあるまいし、この自転車が見えてないのか?

だが、兄貴は真剣だった。

「浜松方面に行くんだろ? 自転車ごと乗せてやるから、乗れよ!」

一瞬、心が揺れた。

思わず口をついて出た。

「いいんですか?」

兄貴は即答した。

「よっしゃ!!」

トラックの荷台の準備を始める。

僕は、その様子を見ながら——

「……アリか?」

と考えた。

「……いや、違う。」

30キロ先の浜松まで乗せてもらえたら、かなり楽になる。

これまで4000キロ以上走ってきて、こんなことを言ってくれた人は初めてだ。

でも——

「これでいいのか?」

トラックの助手席に座る自分を想像する。

そして、荷台に載せられた赤い自転車を見つめる。

「いや、これは……違う!!」

4500キロを走った意味がなくなる!!

あと、たった二日で終わる旅。

でも、もしここでトラックに乗ってしまったら——

“俺は最後にズルをした” という記憶が一生残る。

「やっぱり、やめます!!」

兄貴が威勢よく言った。

「よしっ! 準備できた! 自転車、載せろ!」

だが——

僕は、はっきりと言った。

「やっぱり、やめときます!!!」

兄貴が驚いた顔をする。

「えっ? なんで? どうしたんだ?」

僕は力強く答えた。

「自分の足で、最後まで走りたいんです!」

兄貴は、残念そうに頷いた。

おそらく、車中で色々話を聞こうとしてくれていたのかもしれない。

だが、どうしても乗ることはできなかった。

僕は、心からの感謝を込めてお礼を言い、再び走り出した。

「もし、あの時だったら……?」

走りながら、ふと思った。

「もし、旅の序盤でこれを言われてたら?」

例えば、出発して3日目。

例えば、親不知子不知のアップダウンを前にして。

例えば、北海道の中山峠で。

もしあの時、トラックの兄貴が現れて——

「乗るか?」

と言われていたら……

「俺は、迷わず乗ってたかもしれない……。」

いや、それどころか——

「難所のたびに、トラックを探してたかも……?」

“甘え”の怖さ

そう考えると、ゾッとした。

「一度、楽を覚えたら、もう元には戻れない。」

もし、どこかで一度トラックに乗ってしまっていたら——

“自転車で東日本を走った” という自信も誇りも、全部なくなっていたかもしれない。

今回、旅の終盤だからこそ「断る選択」ができた。

でも、もし出発直後に同じことが起こっていたら……?

「旅そのものが、違うものになっていたかもしれない。」

それでも、トラックアニキには感謝しかない。

彼は、ただ親切で声をかけてくれた。

悪気なんて、一切ない。

むしろ、こんな親切に出会えたことに、僕は感謝しかなかった。

「ありがとうございました!!!」

心の中で、もう一度、そう叫んだ。

断続的緊急事態発生

午前11時50分、浜松駅着。

残金3000円。

今日と明日を考えると、贅沢はできない。

本当はガッツリご飯が食べたい。

でも、そんな余裕はない。

パンと牛乳。

それだけで昼食を済ませた。

「やばい、また来た……!!」

浜松を出てすぐ——

再び、腹痛が襲ってきた。

「またかよ!!!」

昨日から何度も何度も繰り返される腹痛。

もう、「治った」「回復した」なんて思うことすらできない。

これはもう、「痛みが一時的に消えているだけ」だ。

完全に胃腸がやられてる……!!

すぐに浜名湖のドライブインのトイレに駆け込む。

トイレ道五十三次、開幕

「はぁ……助かった……」

しかし——

「終わりではない。」

むしろ、ここからが地獄の始まりだった。

「水分補給しないとマジでヤバい」

そう思って、こまめに水を飲む。

でも、その水分が——

「何の抵抗もなく、そのまま胃腸を通過していく感覚……!!」

つまり——

飲んだら、すぐトイレ。

走ってはトイレを探し、トイレに入ってはまた走る。

まるで、“トイレを求めて走る旅” に変わってしまった……!!!

「……トイレが、ない!!!」

浜名湖沿いの国道1号線をひた走る。

舞坂、新居町——

完全な住宅街。

公衆トイレも、コンビニもない。

でも、もう——

「限界が近づいてる……!!!」

キリキリと、下腹が絞られるように痛む。

冷や汗が噴き出す。

「アカン……!!」

耐えろ、耐えろ、耐えろ……!!

静かにペダルを踏む。

できるだけ刺激しないように——

「……ぐはっ!!!」

涙があふれてきた。

もう無理だ。

民家の隙間へ、ダイブ!!

「どこか、どこか、どこか!!!」

パニックになりながら走る。

そして——

見つけた!!!

民家と民家の間の——

「……隙間!!!!」

迷う時間はない。

僕は自転車を投げるように停め、一気にダイブ!!

「……!!!!」

もう——

「恥も外聞も、ない!!!!!」

そして、再び走る。

しかし——

事態は、一向に改善しなかった。

午後2時、ようやく愛知県入り。

でも、腹の調子は絶望的なまま。

午後3時、国鉄豊橋駅到着。

もう、限界。

何度もトイレに駆け込み、苦しみ続けた僕は——

「しばらく、ここを動きたくない……」

駅のベンチに座り込む。

「……俺、徹夜で大阪まで走るつもりやったんやけど……。」

「これ、ムリやんな???」

今さらながら——

「無謀な計画やった」と、ようやく気づいた。

夏休みの幻影

午後4時、豊橋発。

もう、スピードは時速10キロ程度のノロノロ運転。

それでも——

「とにかく、前へ進むしかない!!」

ペダルを踏む足は重い。

だけど、僕の中には**「帰るんだ!」という強い気持ち**があった。

「大阪から北海道まで行ったんだって!?」

少し腹が減っていた。

僕は商店を見つけ、何か食べ物を買おうと店内へ。

すると——

中学生くらいの男の子が駆け寄ってきた。

「外にある自転車、自分のですか?」

「そうや!」

すると、彼は目を輝かせて叫んだ。

「大阪から北海道まで自転車で行ってんてー!!!」

そう言いながら、店の外へダッシュ!!

外では、別の友達が待っていたようだ。

「すげー!」「マジで!?」「やばっ!!」

僕の赤い自転車を囲み、興奮する中学生たち。

恐らく——

僕の自転車に書かれた住所と、北海道の旗を見たのだろう。

少年たちにとって、「自転車で北海道」というのは——

手を伸ばせば届きそうな”夢”だったのかもしれない。

店の中から、彼らの姿を眺める。

「なんか、嬉しいな……。」

自然と、誇らしい気持ちになった。

僕は、少年たちの見送りを背に——

「カッコよく走り出そう!」と、ペダルを踏んだ。

少しでも、明るいうちに距離を稼ぎたい。

そう思って、前を見据える。

すると——

向こうから、中学生くらいの女子の集団が歩いてきた。

何気なく視線を向けると——

「ギャハハ!!」

突然、一人の少女が僕を指さし、大笑いした。

「バッカみたい!!」

「変態!!」

「ウケるんだけど!!!」

笑いが連鎖する。

一人が言い出すと、次々に指をさし、合唱のように嘲笑が広がった。

僕は——

何も言えなかった。

ただ、彼女たちの声が耳に残る。

「バッカみたい!!」

「変態!!!」

何なんだよ。

さっきまで、少年たちが目を輝かせていたのに——

今度は、少女たちにバカにされるのか?

「何なんだよ……。」

旅の終盤で、まさかこんな仕打ちを受けるとは思わなかった。

少年たちに持ち上げられて——

少女たちに叩き落とされた気分だった。

「これは、俺自身の心なのかもしれない。」

少年たちの**「すげー!!」**という言葉は——

旅に出る前の、自分の期待感そのもの。

「バッカみたい!!」と嘲笑する少女たちは——

帰宅後、宿題もせずに旅をしていた自分を叱る”未来の教師”の姿。

彼らが僕に浴びせた言葉は——

実は、彼ら自身が感じていた**「今年の夏休みの感想」**だったのかもしれない。

「やり切ったぜ!!」 と思う少年たち。

「あーあ、無駄に過ごしちゃったな……。」 と思う少女たち。

結局、人はみんな——

自分の感情のフィルターを通して、世界を見ている。

僕は、自転車を漕ぎながら——

この旅で、すっかり哲学者みたいな思考をするようになっていた。

銭湯

午後7時、中岡崎駅に到着。

「……風呂、行くか。」

今夜はこのまま走り続けるつもりだった。

でも、「風呂に入れば、疲れが取れるはず!」

中岡崎駅で聞くと、すぐ近くに銭湯がある。

僕は長めに湯に浸かった。

疲労がじんわり溶けるようだ。

そして——

「……腹、減った!!!」

風呂上がりの空腹は強烈だった。

「何でもいいから、ガッツリ食べたい!!!」

ボロくて安そうな食堂

国道1号線を西へ。

矢作川を渡った先に、小さな食堂を見つけた。

「これは……当たりの予感!」

いかにも**”安くて、たくさん食べられそうな店”** だった。

迷わず入店。

壁に貼られたメニューを見ると——

「よし、予想通りの安さ!!!」

安心して、テーブル席に座る。

喉が渇いていた僕は、セルフサービスの水を駆けつけ三杯、一気に飲み干した。

そして——

「カツ丼ください!!」

今日は、ご飯が食べたかった。

「今朝からパンしか食べてないから、ガッツリいくぞ!」

カツ丼が運ばれてくる。

一口食べると——

「うまい……!!!」

夢中になってかき込む。

「やっぱり飯はこうでなくちゃ!!」

しかし、その時だった。

酔っ払い、登場。

別のテーブルで酒を飲んでいた二人のオヤジが、こっちを見ている。

「兄ちゃん、外の自転車でサイクリングか?」

「あっ、はい。」

「ほう、ええなぁ!!……で、ちゃんと勉強しながら走ってるか?」

「……は?」

突然の「勉強」発言に、首を傾げる僕。

「ダメだなぁ! 旅をするなら、勉強もせな!!」

そして——

始まった。

「矢作川にはなぁ……昔、人が一人しか渡れん細い橋があったんや!!」

「そこを藤吉郎、つまり幼い秀吉が渡っとった!!」

「そこへ運悪く、お侍たちがやってきたんや!!」

「(お、終わらない……)」

「本来ならば、秀吉は道を譲らなあかん!!」

「だが!! ここで”負けず嫌いの秀吉”は叫んだ!!!」

『道を譲れ!!!』

「……その根性を見込まれて、織田信長の草履持ちになったんや!!!」

オヤジは、得意げに語り終えた。

しかし——

僕の頭の中には、ツッコミが渦巻いていた。

「……何だ、このツッコミどころ満載の話は?」

「そもそも、こんな広い川に”一人しか渡れない細い橋”って、何?」

「しかも、侍が”行列”で橋を渡ってるって……え、見窄らしすぎん?」

もう、感心も相槌もする気になれず——

僕は無表情のまま、カツ丼を食べ続けた。

オヤジ、さらに絡む。

話が終わると、もう一人のオヤジが口を開く。

「ところで、なんでこの店に入った?」

「えっ……」

「いや、まぁ……安そうだったから……。」

僕がそう答えた瞬間——

オヤジ、突然の爆笑!!!

「ガハハハハ!!!」

そして——

「おーい!!! こいつ、”この店がボロくて安いから入った”ってよォ!!!」

店員さんに向かって、大声で報告。

いや、そんなこと言ってない!!!

勝手にアレンジして話すな!!!

「もういい……。」

僕は、カツ丼の代金ちょうどをテーブルに置き、店を出ようと立ち上がった。

すると——

「おーい、もう行くのか!!?」

オヤジ、まだ絡み足りないらしい。

「はい。」

無表情で答え、足早に外へ。

すると——

「おーい!! この子にジュース、2本持たせてやってくれ!!!」

僕の足が止まる。

店員「すいません、ジュースはないのよ。」

代わりに持たされたのは——

「アルギンZ」 という、栄養ドリンク。

「……いや、ジュースじゃないんかい!!!」

「おぉぉ、それは精力つくぞ!!」

オヤジ、大声で笑う。

「でもな!! あっちの精力は使うなよ!? ガハハハ!!!」

「(いや、どっちの精力の話だよ……)」

僕は、微妙な気持ちのまま店を出た。

午後10時、店を出発。

僕はふと、思った。

「あの店、女子供は絶対に寄りつかんやろな……。」

ボロくて、安くて、雑多な食堂。

それでも、トラック運転手やタクシードライバーにとっては**「休息の場」** なのかもしれない。

あのオヤジたちも——

きっと、悪い人じゃないんだろう。

ただ、ちょっと絡みたかっただけで。

ただ、ちょっと話し相手が欲しかっただけで。

でも——

やっぱり、めんどくさい!!!

僕は、ペダルを踏み込んだ。

ほぼゲームセンターのドライブイン

名古屋まで、あと40キロ。

こんな深夜なのに、車が多い!!!

「もうちょっとスムーズに走れると思ってたのに……。」

予想は完全に外れた。

交通量が多く、ペースが全く上がらない。

「……これ、徹夜で走るの無理じゃね?」

そんなことを考えていた時——

「ドライブイン」の看板が目に飛び込んできた。

「あそこだ!!!」

僕は、迷わずドライブインに向かった。

「ちょっと仮眠、できるかも……?」

ドライブインに入る前、僕は淡い期待を抱いていた。

「椅子とかソファーとかあったら、少しうたた寝できるかも……。」

それくらい、疲れが限界にきていた。

「頼む……ちょっとだけ、休ませてくれ……!!」

そう思いながら店内へ——

しかし

「……あれ?」

「ほぼゲームセンター」

「ピューン! ピューン!!!」

「ドッタンバッタン!!!」

店に足を踏み入れた瞬間——

爆音が襲ってきた。

えっ、何!? ゲーセン!?!?

視線を巡らせると、店の半分が自動販売機、もう半分がゲーム機で埋め尽くされていた。

まさに——

「ほぼゲームセンター」

「小松に挑戦」

さらに、スポーツゲームコーナーに目を向けると——

球速を測るゲームの前に、「小松に挑戦」 という手書きの札が掛けられていた。

「小松……? あぁ、中日ドラゴンズの小松辰雄か!!」

「さすが愛知……!!!」

…と、妙に納得しかけたが、

「いや、そうじゃなくて!!!」

僕は、休憩したいの!!!

「無理だ、ここで休むのは不可能……。」

「ピューン! ピューン!!!」

「ドッタンバッタン!!!」

ゲーム機の電子音と衝撃音が、店中に響き渡る。

当然、自動販売機前のテーブルも、そんな騒音の真っ只中。

「ここで休むとか、ムリやん……。」

むしろ、さっきより目が冴えてきた。

もういい。

「仕方ない、走ろう……。」

名古屋、突入!

僕は、ドライブインを後にした。

そしてちょうど——

日付が変わる頃、名古屋市に入った。

反省会 16歳の僕と56歳の俺


  • あなたの『甘い誘惑』に耐えたエピソードを教えてください!
  • これまでで正反対の評価を得たエピソードがあれば教えてください!
    → 同じことなのに「褒められた」「めちゃくちゃ怒られた」など。

コメントでぜひ教えてください!😊

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