私の独り言

マインドチェーン 精神的食物連鎖

まえがき

日本の現在の少子化問題はある意味、世界の最先端を行っている。
2050年には、日本国民の半数以上が死ぬまでに、
一度も結婚をしないだろうという統計予測もあり、日本の人口減少は止めようがない。
また、地続きであるヨーロッパ諸国に比べて、移民による人口増加も期待できないし、
そもそも以前の裕福な日本でない今、海外の人にとって移住する魅力も半減している。

経済活動は低迷し、これから更に日本全体がゆっくりと確実に貧しくなっていく。
しかし、私は何もここで悲観的な事を伝えたいわけではない。
1990年代、日本の経済活動が堕落し、
30年をかけてもがき苦しんだ結果、
対外的に物質的豊かさを見せびらかす若者は少なくなったように感じる。

1980年後半のバブル期の浮世離れした狂乱は現世代の若者にとってはもはや笑い話。
慎ましやかで隠居的な生活に魅力を感じる人も増え、
鴨長明の記した「徒然草」が見直される今日この頃。
こういった傾向は人間本来の豊かさを求めるには
むしろ都合がいいようにも思う。

これらに拍車をかけたのが2020年のコロナパンデミック(covic19)。
情勢は劇的に変化した。
その中でも特に大きな変化が見られたのは「組織」ではないだろうか。
それまで盤石に見えていた組織。

国、会社、学校、家庭に至るまで、
それまで身を寄せ合うことで屈強と思われていた組織が
次々と亀裂を見せ、崩壊かと思わせるような事態に見舞われた。
コロナという目に見えないもので、
こんなに脆くも崩れるのかと大いに驚かされた。

しかし、よく考えてみよう。
これらの問題を如実に浮き彫りにしたのが「コロナ」というだけで
実はその前から徐々に変化の兆しはあったのだ。

アメリカの自国第一主義、
イギリスのEU離脱など国レベルでの問題。
日本においては以前から問題視されていた終身雇用制度の崩壊、
大学の学生獲得競争激化、その場しのぎにも見える学部新設。

家庭は核家族どころか家族構築の無意味さが蔓延。
冒頭にも書いた通り、生涯結婚しない人が2050年には約半分の割合になろうと推測。
結果、必然の少子化。

これまでの
「国が何かをしてくれる」
「大学にさえ行っていれば大丈夫」
「家庭さえ築けば安泰」
という考えが通用しない流れは既に来ていたのだ。

私は何も、「日本が終わり」というようなネガティブな気持ちを言いたいわけではない。
むしろ、こう言った状況はバイオリズムのようなもので、
大化の改新の頃、平安時代の平清盛の出現、
源頼朝の武家中心の鎌倉時代、不安定な室町時代から戦国時代、
江戸時代でも第二次世界大戦末期にも「世も末」「日本終わり」みたいな風潮は
様々な時代ごとにあったと推測される。
「終わり」と感じている人、
反対に「チャンス」と捉える人、
その人の立場でクルクル入れ替わる所詮はコインの裏表のようなものだ。

話を元に戻すが、
「日本終わり」シンドロームは「コロナ2019」が引き金となり、
浮き彫りにしただけのことで、
コロナだけに責任を押し付けるのは問題を直視していないように思う。

これからは何かに依存するだけではなく、
未来を予想し、いざとなれば自分で切り抜ける力をつける事を怠らないことが重要になってくる。
様々な情報を精査し、
どれが自分にとって為になるか、為にならないか、
自分で考え判断する能力が大事になってくるのだ。
その時にどれが正しいか、間違っているのか?という視点で考えてはならない。

正しいか間違っているかは、簡単には分けられないのだ。
同じ情報でもその人の立場によって変わってくる。

ここで続いて現代における違和感の対比について見ていきましょう。

組織と個人

 国、会社、学校、家庭、これらは全て一人で形成するものでなく、
自分とそれ以外の人とで形成するものだ。

そのどちらもがバランス良く保てるように教育され、
そして尊重されるのが理想だろう。
しかし、長らくの間組織は個人よりも強く振る舞いすぎた。

これに嫌気をさした人々は組織から離れていく。
一度就職した人でも、優秀な人ほど離職することもある。
反対に能力がない人は組織にしがみつくと聞くこともある。
何だか変な状況だとは薄々勘付いていても、
誰もどうすることが出来ない。

こんな社会でありながら組織も個人も正気を保つということは綱渡りのような細い紐の上を歩くようなもの。
ほとんどの人が途中で落下し、絶望の中、集団に取り込まれるしかないのが現状である。

もしくは追い込まれて犯罪に走ってしまった人も実際にいるだろう。
多くの無差別犯罪や通魔事件がこれと無関係とは言い難い。

自分育て

  自分が生まれ持った能力をいったいどれだけの人が活かす事ができるのでしょう?
今の組織化した世の中では、誰かが作り上げた世界で生き残ることを教えられ、
それが最善であると信じこませようとする。

それはその本人が素直であればあるほど適応し、そのサークルから抜け出せない仕組みになっている。

素直で更に優秀な人はすなわち国や組織をコントロールする立場に立つ。
そして、その線路から脱線した人は上手く適応した人達のルールの中、生きていくのだ。
言わば力の発揮できないゲームを延々とやり続けることになる。

まずはこの誰が始めたのか分からないゲームに私たちはもれなく参加していることを自覚すること。次にそのゲームとの付き合い方を考えていくのだ。

ほとんどの人がこのゲームで如何に早くゴールするか?誰もが躍起になっています。
例えば、権力を持つとか、お金持ちになるとか、
高級な車を買うとか、一等地に住むなどといった、
誰が始めたのか分からないゲームのそれぞれのゴールを目指しているのです。
しかもボンヤリと誰かに羨むような幻想のゴールを目指しているのです。
知らず知らずに何の為のゲームなのか?
終わりのないレッドレースを馬車馬のように昼夜走ることになります。

まず、組織は人を競争させたがります。
これこそが人間社会の食物連鎖です。
出世競争。
学歴競争。
お金持ち競争。
これらから抜け出すには、自分の馬鹿馬鹿しい競争心に気づかなければなりません。

また、誰にも束縛されない心を持つことも重要です。
例えば肉親、配偶者のような近くにいる人の期待に煽られることもあります。

これらを冷静に見つめる方法に「瞑想」があります。
この瞑想で自分が人間社会の食物連鎖にどう関与しているか見つめるのもいいでしょう。

通常の人は誰かに注目を浴びたい、
競争に勝ちたいという目的で努力し、
そして到達し、その後の虚しさが自分を見つめ直す出発点になることもあります。

だから子供じみたド欲求も決して馬鹿にも出来ない。
何故なら、達成した後の空虚を体験しなければ、
「有意義な成功」に気づくことが往々にして出来ないからだ。

空虚はその欲求が個人的でありながら実は他人からの目線を意識したことである事に
自ら気付いた時点で初めて得られる。
そうなればその感じた空虚も一つのステップであったと言えよう。

この気付きのステップアップを何度も何度も繰り返す事で、煩悩の垢が削ぎ落とされる。
落ちれば落ちるほど自分本来の種に近づくのだ。

空海の言葉を借りると、
人間の精神の成長過程は一定の法則がある

まず、自我が目覚める。
その後自分の欲望の為に行動し、満たそうとする。

満たすことに不安が無くなるまで満たすと、
自分の存在意義について考え出す。

そうして自分の魂の拠り所を探す旅に出る。
その旅の目的は自然、宇宙と一体化することであり、
それらの息吹を感じ触れることである。

もちろん、全ての人がこの旅に出る訳ではない。
先ほどのようにスタートラインに立つことさえ出来ない人が現代社会ではほとんどだ。

そう、ほぼ誰もが自分を分からず死んで行く。
しかし、本当に大事なのは旅の目的地に到達する事、
つまり自分が何者かを分かることではない。
その旅に出るという「意識」が重要なのである。

「自分探し」という言葉がある。
これらを頭の悪い不思議ちゃん、パラサイト、無能人らの「迷走の言葉」のように扱われることもあるが、「自分探し」とは究極、自分を俯瞰できる能力に他ならない。

食物連鎖からの脱却

 食物連鎖という言葉は誰もがご存知だろう。

簡単にいうと、
草木を食べる草食動物がいて、
草食動物を食べる肉食動物がいて、
その肉食動物が死んだら、また草木の肥料になるという
自然界の究極のパワーバランスだ。

このどれもが増えすぎてもいけないし、減りすぎてもいけない。
人間も同じようにこれらの連鎖に組み込まれていたはずだが、
現在はどうだろう?

今から100年前の1920年ごろの全世界の総人口は約20億人と言われている。
それが2020年の現在、75億人以上に達し、(それ以上とも言われている)
3倍以上増えたことになる。

しかしながら、世界の森林は確実に減り、
自然界の動物の絶滅種も100年間で数え切れないほどだ。
人間は生き物の食物連鎖から間違いなく外れる位置にあり、
むしろ壊していることは周知の事実であろう。

私はここでこれら環境問題についてとやかくいうつもりはない。

私がここで言いたいのは
人間社会にも食物連鎖があるということだ。
人間も動物の種の一つである。

したがって、本能のままに生きると、
動物のような食物連鎖の生態系に収まってしまうのだ。

お互いがマウントポジションを取ろうとする低レベルの会話
少しでも損をしないように、
もしくは無知な人から利益を出そうとする騙し合い

人間が動物からタンパク質を摂るために養殖して食い物にするように、
人間が人間を家畜のように養殖して、

格差から来る豊かさマインドを力ずくで貪るなんてことが
この世で延々と起きているのだ

草木のように生きる人、
草食動物のように生きる人
肉食動物のように生きる人
人は何も考えずに生きると、
これらのどれかのように生きることになる。

そう、人間は本能だけで生きると、
食物連鎖のように自分より下のものを食い物にしてしまうのだ。

空海の言葉に
「私たちはある程度物質的な成長を経たあと、精神的な成長を意識しなければならない。」というのがある。

しかしながら、物質的な成長を遂げた後も、
まだまだ足りないと物質を増やそうとする姿は、
まるで延々と暴飲暴食を繰り返す姿と何ら変わりはない。
(貪る様を餓鬼という)

とは言え、物質的な食物連鎖には限りがある。
暴飲暴食を繰り返した結果、健康を害し病気になって痩せ衰えるように、
人間も食物連鎖の頂点で人間を貪り増え続けると、
いずれ人間減少のフェイズに入ることだろう。

しかし精神的な食物連鎖、つまり精神連鎖(マインドチェーン)には限りはない。
どれだけ精神的に成長を続けてもこれで終わりということはないのだ。
また、肉体の食物連鎖は現在だけのエネルギーのやり取りであるが、

マインドチェーンのエネルギーは今現在、誰かの役に立たなくても、
私たちの死後も誰かの役に立つかも知れないと言うのが精神的な食物連鎖である。

人間は例外なく、物質的食物連鎖のサイクルから始まって成長していく。
生まれたばかりの時は親、
もしくはそれに類似する人に守られ育てられる。
まずは資本である身体の成長が最優先。
動物と同じように植物、動物から栄養を貰い物質的に育っていく。
身体の成長過程においては精神的な成長はほとんど必要ないかも知れない。

しかし、物質的な成長過程と共に
精神的な目覚め、気付きが現れる。
これにはかなり個人差がある。

5歳くらいで自覚する天才肌もいれば、
大人になっても自分を客観的に見ることができない人もいる。
また、普段だと自分を客観的に見ることができても、
いざとなった時に急に見る事ができなくなる場合もある。

恋愛や失恋、仕事の失敗などでもがいたり
見苦しい言い訳をする人を他人事として見たことは誰しもあるだろう。
反面、自分のこととなると判断が鈍ったり、
正常な精神状態を維持できなくなった経験も誰しもあるだろう。

私たちは物質面での成長だけでなく、
この精神面の成長も目指さなければならない事を頭では理解している。

人は身体の成長が止まると物質的な状況を維持するために
今度は財産や資産の成長を目指すようになる。

それは生き抜くという「本能」であり、とても重要な事であるが、
それらの為だけに活動すると、
物質的な食物連鎖だけの世界で生きることになる。

ある程度の物質的豊かさを手に入れたら、
精神的充足を欲するのは当然の流れだろう。

大事なのはバランス。
大きな物質的財産を手に入れたなら、
それに伴う精神的資産も手に入れなければ
人は空虚から逃れられない。

人が人として成長していく先には
精神的食物連鎖の上を目指す向上心が重要な鍵となるのだ。

そしてマインドチェーンへ ー 本当の幸せ

色んな欲望は人それぞれあるが
本当に幸せを感じるのは
「自分が誰かの役になっている」
 「誰かに喜んでもらった」
という存在の意義を感じる事だと私は強く信じている。

人の幸せにはいろんな形がある。
それには他人が口を挟む問題ではない。
しかし、多くの資産家の最後の言葉が
「もっと家族と一緒に過ごせば良かった。」というのが多かったように、
人は金など物質的な充足よりも精神的な満足が大事であるのは事実であろう。

この考えを受け入れるには
人によっては時間がかかるかも知れない。

今日や明日も、食うに困るほど貧困している人には
それどころでは無いと言うのが現状だからだ。

精神的満足を模索するにはまず当面の為の物質的充足が不可欠。

 しかしながら、世界は広い。
現在、傍目から見れば極貧と言っていいほどの人でも
心に錦を纏っている人は確かにいる。

これらの人々は自分を冷静に客観的に見ることができる精神力を既に備えているのだ。
今の日本にはこのような人は少ないように思う。
何故なら日本人ほど「自分から見た自分」を見ようとせず、
「他人から見た自分」ばかりを意識している国民はいないように思うからだ。

そう、日本人ほど他人を過剰に意識している国民は他にいないとハッキリ言える。

これにはメリットもデメリットもあり、一概には良し悪しは言えないが、
「幸せ感」においてはデメリットが勝るように思う。

人から見た自分でなく、
自分の事を
もう一人の自分でよく観察し、意見を聞いてみよう。

そして、自分の可能性を模索し育てていくのです。
咲いた「あなたの花」、実った「あなたの果実」を
誰かに分け与える。
誰かが喜んでくれた先には
本当に生まれてきて良かったと実感できると思うのです。

この幸せを感じることこそが「本当の幸せ」なのではなかろうか。

60歳も70歳も過ぎて、まだまだ若いものには負けん!
若いものは意気地が無い!と言うようなのは典型的な食物連鎖マインド
私たちはそれがみっともないことを重々知っているので、
そこに入り込むのではなく、
そのゲームに極力参加しないように自分を遠ざける努力をしなければならない。

中国の習近平、ロシアのプーチン、アメリカのバイデン、
まぁよくも揃いに揃ったという感じの老害主要人。
日本はダメだ的な事をよく耳にするけれど、
世界を見回しても同じような体たらくだと思うのです。

何故かというと、恐らく一番強い組織がもうすでに「国」では無くなっているという側面もあるだろう。
アップルやアマゾンやアルファベットや、マイクロソフトの方が
国より強力なメッセージを出せる組織になってしまった。
さまざまな国で民主主義と独裁の入れ替わりが歴史上繰り返してきたが、
ある意味、GAFAMのトップはこれまでの国の独裁者よりも強烈で強力だ。

みっともない老国家にならないためにも、
そして、何よりもスマートな生き方のためにも、
人が人を喰らうような食物連鎖から脱却し、人に悪影響を与えない。
できれば人にいい精神栄養を与えられる生き方を国として目指したいものである。

世界で一旦は経済大国になりながら、
その著しい経済成長が運が良かっただけとようやく気づいた後に、
静かに生きようとする日本から発信されたマインドチェーンのススメである。
この書がどの国の人々にも起こりうる経済的隠居生活に突入した際、
必ず参考になることを願いつつ書いております。