最近、気付きのようなものがとても多くなってきた。
これまでの疑問が晴れるとでも言おうか、
とにかく、あぁ、こういう事か、、、、
と腑に落ちることが多々あるのだ。
とはいえ、恐らくそれは下手なゴルファーが
練習の度に「開眼する」ようなもので、
賞味期限は短く、
すぐに頓挫するようなレベルなのかもしれない、、、
しかし、
昔に比べ、
ハッとして「気付く」ということが増えたのだ。
例えば、「気付き」というのは、
長年の経験が積み重なって、
それらバラバラとしたものが、
パズルのように組み合わさる。
そして、あれはこういうことだったのか!
そのような感じでやってくるのだ。
例えば、私は6歳の頃に両親が離婚して、
どちらの親にも気を遣いながら、
いつかは親孝行をと思っていた。
「産んでくれた」
「育ててくれた」という思いが強く、
幼い時の親とのやり取りの思い出を過剰に美しく解釈していた。
しかし、自分が親になって子供と接し、
よく似たようなシチュエーションになった時、
私の子供への対応を鑑みると、
私の親は実はかなり勝手なものであったと
今となっては分かってきたのです。
親は自分を正当化するために、
子供が成長していないことをいい事に、
かなり強引なルールや恩を売りつけてくる。
家庭というのは一つの「国家」のようなものであるので、
親というものは、
実は子供が一番初めに出会う「老害」なのである。
そう考えると、
自分が子供たちにとって、
「老害」にならないためにはどうすれば良いのか?
それは子供達にあまり「興味を持たない。」という事だろう。
もちろん、困った時には手を差し伸べればいいと思うが、
自分からは構いにいかない。
親はある程度、
子供に期待せず、
自分なりの時間の潰し方を作り、
静かに楽しんでさえいれば、
それほど酷い「老害」にはならないだろう。
会社や組織ばかりで
「老害」問題を取り沙汰されているが、
本当に一番多くて困っている「老害問題」は
家庭の中にあるのだろう。