2023年1月16日、
冬5番目の節気「小寒」の
末候「雉始雊 (きじはじめてなく)」になりました。
24個の節気の中の2番目「小寒」
72個の候の中の6番目「雉始雊 」
※こちらの何番目という順序は古来の正月「冬至」を起点に考えております。
ご了承くださいませ。
「雉始雊 (きじはじめてなく)」
日本の国鳥である雉(きじ)
その雉のオスが求愛行動で大声で鳴き始める頃です。
「ケーン、ケーン!」と大きな声、
実感としては「クゥェーン! クゥェーン!」という感じかな?
鳴き始めはまだ本調子が出ないから、、、と
少し遠慮がちに練習を兼ねて鳴き出す鶯とは違って、
雉のオスはスタートから全力で雄叫びのように鳴くので少しビックリします。
この鳴き声の大きさの為、
人間に見つかり捕らえられたことから
「キジも鳴かずば打たれまい」という諺が生まれました。
「出る杭は打たれる」も同じような意味として使われていますが、
どちらにしても、
目立って狙われないために「出しゃばらない事が大切」という事でしょう。
しかし、
この格言には適材適所があるように思います。
「能ある鷹は爪を隠す」も
爪を発揮しなければならない時に、
いつまでも隠し続けるのは能がないのと何ら変わらないのです。
幸せとは何か?
現在の世の中で求められているのは、
個人個人の行動です。
これまでのように組織の中で「これをやっていれば大丈夫」という事が
大変少なくなってきました。
これまでは学校、会社、国、
それぞれが安定して強力な組織であったため、
真面目にやっていれば、それぞれが評価してくれました。
そして、それ相応の報酬がありました。
学校で取る好成績は、その先の高学歴、そして先は大企業への道
会社での貢献度は、高収入、そしてさらに上の肩書き
国への貢献度、つまり国が認めた仕事に就くことは、
どこで勤めるよりも安定と手堅い恩恵、
役職によっては国から授受される勲章。優秀な民としての称賛。
これらを与えられる喜びは、大変な名誉だったし、
「生き甲斐」になり得ましたので、
こぞって多くの人々がこれらの高みを目指しました。
しかし、今では学校での好成績、
会社、国への貢献度の価値が以前より下がってしまいました。
つまり、学校ひとつをとっても、
出たから良い会社勤めが保証されている訳ではないのです。
それが東大であってもそうなのです。
以前は引く手数多の就職先、
公務員になる事をバブルの頃は勿体無いと蔑まれたこともありました。
そこまで組織が強いと、
その組織に属した中でわざわざ出る杭になる必要はなかったのです。
学校や会社では、
攻撃の的にならない為に何となくうまくやっていて、
人に合わせていれば安定することができました。
しかし、今は違ってきました。
ぼんやり過ごしていては、
いつリストラに遭うのか、
会社が潰れるのか分からない時代になったのです。
雄叫びをあげる
また以前は「幸せの基準」が色々ある中で
「連れ合いを得ること」が究極の幸せの一つだったと言えます。
今の日本は社会が成熟し、
個人個人の幸せ、生き方が多様化しました。
その為、結婚を選ばない人がどんどん増えていきそうです。
そんな「幸せの多様化」は社会の流れなので、
私たちには逆らいようがありません。
ただ、結婚もそうですが、
仕事にさえ就いていれば一人前という基準も薄まり、
それぞれが誰かに幸せを誇示するのではなく、
その人本人が納得しているのか?
それが大事になってきます。
そう考えると、
社会が「これが一人前!」とある基準を設定してくれていたものが
無くなったわけですから、各々が自分で基準を設定しなくてはなりません。
これが無いと、いつまでも目に映るたまたま影響を受けたものを追い回したり、
他人との比較で自分の優劣を推し量ることになります。
その代わりに自分の得意技を磨くように、
「自分の幸せ」の基準を自分で作り上げる事が重要であるように思います。
「自分の幸せ」のある一定の基準を定め、
それに向かって邁進する。
要約すると自分のなりたい自分、
手に入れたいものを明確に設定し、
自分なりに「ケーン、ケーン!」とキジのように
選手宣誓をする事が重要になっているような気がします。
寒い寒い冬最後の節気「大寒」の真っ只中ではありますが、
「雉始雊 (きじはじめてなく)」の言葉に
そんな厳かな気分が芽生えるのです。
雉を探しに、、、
さて、
その選手宣誓の師匠、「雉」
寒さをもろともしない雉の元気の良い高らかな宣言を直に聞き、
幸せ探しの決意を魂に染み渡らせたい!
そんな思いで野山の雉の声を聞きに行きたいと思います。
次回は2023年1月20日17時30分から
「大寒」の
初候「款冬華 (ふきのはなさく)」です。