エルトンジョン

エルトンジョン:オールタイムランキング TOP75

65位 ”Blue Eyes” (‘Jump Up!,’ 1982)

エルトンが作詞家ゲイリー・オズボーンと共に書いた曲の中で、
おそらく最高の曲であろう「ブルー・アイズ」。

場末の酒場で見るような
メランコリックな思い出に浸る情景を、
アダルトな雰囲気で包みこんでいる。

このバラードが、
一人で過ごす夜明け前のような
愛する人が遠くにいるときの
そんな人恋しい時に聴くために作られた曲であることは、
聴いているうちにあなたの恋焦がれる人を
知らないうちに思い出してしまうことで明らかになるだろう by – S.T.E.

64位 ”Part-Time Love” (‘A Single Man,’ 1978)

1978年にリリースされた『A Single Man』は、
バーニー・トーピンのクレジットがない初のアルバムである。

本作「パートタイム・ラブ」は、
ゲイリー・オズボーンが作詞を担当し、
エルトンが軽快に歌い上げる。

本命の恋人と別れてしまうスリリングな物語である。
このディスコ調のソフトロックを
エルトン・ジョンの曲の中で一番好きという人はいないだろうが、
ウィットでほろ苦い作品である。
Hot 100で22位を記録した。 by – ジョー・リンチ

63位 ”Written in the Stars” (With LeAnn Rimes) (‘Elton John and Tim Rice’s Aida,’ 1999)

2000年にデビューしたブロードウェイミュージカル「アイーダ」で、
エルトンジョンはライオンキングの作詞家ティム・ライスと再びタッグを組みました。

それに先立ち1999年に、ジャネット・ジャクソン、スパイス・ガールズ、
シャナイア・トゥエインといったトップアーティストが参加した
「アイーダ」のコンセプトアルバムが発表されました。

そのアルバムで際立っている作品、「Written in the Stars」は
素晴らしいエルトンと リアン・ライムス のデュエットで心を鷲掴みにされるを詩で始まります。

“I am here to tell you we can never meet again “
(2度と会えなくなる事をあなたに伝えに来ました。)

そこから私たちは二人の物語に一気に引き込まれます。

そして、リアン・ライムスとエルトンジョンは
繊細で透明感と力強いトーンのコントラストあるヴォーカルで表現します。
深いソウルフルな感情を互いに行き来する巧みなヴォーカリストの共演は圧巻です。
二人の見事に融合はトップ40にランクインする。by – J.L.

62位 ”Sad” (With PNAU) (‘Good Morning to the Night,’ 2012)

もしかしたらあなたの国では聞き逃したかもしれないが、
PNAUがエルトン卿の70年代の作品を
つぎはぎにしたポップな作品でヒットを飛ばしたのは「コールド・ハート」が初めてでは無いのだ。

2012年にリリースされた8曲入りの『グッドモーニング・トゥ・ザ・ナイト』は、
イギリスのアルバム・チャートで1位を獲得している。

エルトンの「Cartains」を皮切りに、
プレ・ディスコ・ビートに乗せ、
「Sorry Seems to Be the Hardest Word」から引用した
「たったひとフレーズ」をサビに使った「Sad」が本作。

このミニLPの8曲すべてが非常に魅力的な曲だったけど、
誰か知っている?
もしカーリー・レイ・ジェプセンが当時この曲に参加していたら、
もしかしたらここでもトップ10入りしていたかもしれない。by – A.U.

61位 ”The One” (1991)

エルトンが禁酒後に発表した最初のシングルは、
その後の彼の90年代を象徴するような曲調となった。

ゆっくりと、より静的で、より瞑想的で、
すべての曲がウェンブリー・スタジアムの
まさに中心で演奏しているかのように聞こえるほどの反響がある。

「この曲は、バーニートーピンの心に刺さる歌詞
「When stars collide like you and I」/「No shadows block the sun」
(君と僕が星の巡行のように合わさる時、遮るものは何もない)と、
エルトンの力強い低音メロディは他の曲よりも強い印象を残した。

(特にライオンキングの「Circle of Life」へと発展していくウォーミングアップのような作品)

このエルトンジョンの新らたな章は、
70年代のアイドルが再び大衆に受け入れられた形となり、
「The One」は米・英でトップ10入りを果たした。by – A.U.

60位 ”Porch Swing in Tupelo” (‘Peachtree Road,’ 2004)

もし、あなたがアメリカ人のエルトンのファンなら、
ソリッドな2004年のアルバム『Peachtree Road』を
最初から最後までじっくりと聴いてみてほしい。

エルビス・プレスリーの幼少期を描いた「Porch Swing in Tupelo」は、
豊かなゴスペルのハーモニー、
控えめなストリングスセクション、
メロウなギターが心地よいカントリーロックだ。

そして、ロケットマンを古き良き、
エルトンの少年時代の回想曲と勘違いする人はいないだろうが、
この曲を聴いた人の中では、
エルトンがまるでミシシッピのショットガンハウスで
エルヴィスのように育ったかのように思っている人がいるかもしれない。
そう思うと、エルトンが「hush your mouth」と歌うのを聞くのは
やはり楽しいものである。by – J.L.

59位 ”Ticking” (‘Caribou,’ 1974)

エルトン・ジョンが1974年の『Caribou』のレコーディングまでに、
後に一緒にツアーを回ることになるビリー・ジョエルと
どの程度親交があったのかは不明である。
ビリー・ジョエルは当時、米国で名が売れ始めたばかりだった。

このアルバムの最後を飾る7分34秒のバラード「Ticking」を聴くと、
もう一人の70年代半ばから活躍した上記のピアノマンを忘れるわけにはいかない。

これは、ビリージョエルの英国風のヴォーカルと
情景豊かなストーリーソングを好む性質、(イタリアン・レストランなど)
映画のような壮大さとメロディーを盛り上げる能力に
二人の共通性があるように感じる。

絶対、彼らのツインライブでこの曲をやったら
壮大なピアノのデュエットを実現したことでしょう。by – A.U.

58位 ”Empty Sky” (‘Empty Sky,’ 1969)

エルトンは著書『2019 Me』の中で、
デビュー・アルバム『Empty Sky』について、
「注意深く聴けば、スタジオの台所の流しの音が聞こえるだろう」と、
頭を振りながら(しかし愛情深く)書いている。

確かに、1969年頃のスタジオ録音は、
全てに管理が行き届かないくらいあまりにも酷かったのです 。

しかし、8分半のタイトル曲のように、
(デビューアルバムのオープニング曲ででいきなり8分も凄いが、)
より多くを詰め込もう!
もっともっと!というアプローチが客の心を掴む結果を生むこともある。

この曲は、8分半のサイケロックで、
中盤まで抑え込まれた感情を表現。
天に向かって飛び立つことは出来ないことを嘆いている。

そして、エルトンはコーラスに入って、
「No man flies from this place」(誰もここから飛べない)と嘆く。
しかし、のちにそれがどれだけ間違っていた事だったのか、
(エルトンは飛び上がりすぎてロケットマンになった。)
彼は知る由もないだろう。by – A.U.

57位 ”Idol” (‘Blue Moves,’ 1976)

ジョージ・マイケルは、
2011年のロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、
エルトン・ジョンの「アイドル」のカバー歌いました。
その後、歌の紹介をします。

「これはエルトンが70年代後半に書いた曲で、
年をとったポップスターについて歌っているんだ。面白いね。」

本作は80年代の大スタージョージマイケルが自身のキャリアを通じて
回帰する為に書かれた作品ではない。

落ち目の天才ポップスターに対する大衆の軽蔑という歌詞のコンセプトは、
当時の国民的番組「Top of the Pops」に出演したことがある人、ない人に関係なく、
「落ち目に入ったステージ」が人の心を投影し、親近感を与えるからだ。

「彼の顔は変わってしまった、もうすっかり別人だ。
 にも関わらず、私は彼の活躍は昔と全然変わらないね!
 全然年を取らないね!
 その上、昔と同じように好きだと言わなければならない”。」

その離れゆくファン心理を切なく思いながら理解していたのだ。

エルトンはすでに、
その熱量が(大衆の)冷めていくことを感じ、
冷静に作品に投影していた。
エルトンの全盛期と言える、70年代半ばにして、、、、
それは凄いことだ。by – A.U.

56位 ”Two Rooms at the End of the World” (’21 at 33,’ 1980)

エルトン・ジョンとバーニー・トーピンは、
キャリアの最初の10年間は、
一つの家で部屋をシェアしていつも一緒に作品づくりをしていました。

バーニーが歌詞を書き、
それをエルトンに渡して、
別の部屋でメロディーを作ってもらう。

しかし、70年代末になると、
彼らは他の共同制作者と仕事をするために、離れて過ごすようになりました。

1980年、彼らはエルトンのアルバム『21 at 33』に収録する3曲のために
再び集まることになります。

その中でも、彼らの仕事上の関係を讃えるこの曲は、
ファンキーなホーンがリードする渋いながらも軽快なサウンドです。

ファンはもちろん、
二人は名コンビだということを
自分たちでも再び確信させる最高の作品となりました。

“Where there is one room/ You’ll always find another.Two Rooms.”
(ひとつの部屋で、あなたはすでに別の居場所を見つけてる。二つの居場所)。

このTwo Roomsというフレーズは、
1994年にリリースされた、
様々なアーティストが二人の作品のカバーをする
オールスター・トリビュート・アルバムのタイトルにもなる。by – A.U.

1 2 3 4 5 6 7 8