エルトンジョン

エルトンジョン:オールタイムランキング TOP75

25位 ”Sacrifice” (‘Sleeping With the Past,’ 1989)

重厚なシンセサイザーとプログラムされたドラムが特徴的な本作品は、
間違いなく今の時代の曲と言える。

生きていく上で、どうしても禁断の恋に落ちてしまう事があります。
しかし、そこに踏み入らず、
誠実であり続けることは「Sacrifice」ではないということを歌っています。
その事を本作では全体的に甘いエルトンの優しいボーカルで諭してくれているのです。

驚くべきことに、「サクリファイス」は
1990年に彼の史上初の全英ソロNo.1となりました。
(どれだけイギリスで彼の評価が低かったのか、、、。)

そしてリリースから30年以上経った2021年、
イギリスのチャート上位に入った「Cold Heart」。

使われたエルトンの4つの古い曲のうちの1つの中で、
「Sacrifice」は出だしからこの曲の歌詞を構成し、
誠実に「犠牲」を地でいく曲となった。 by – M.N.

24位 ”Don’t Go Breaking My Heart” (With Kiki Dee) (Non-Album Single, 1976)

エルトンとバーニーは、
アン・オーソンとカルト・ブランシュというペンネームで
このグッドリスニングな作品を書いているが、
これは彼らがあまり真剣に取り組んでいないことを示唆している。

エルトンとデュエットのパートナーであるキキ・ディーも、
レコーディング・スタジオで撮影されたビデオに至るまで、
その演技に翻弄されている。

しかし、その軽妙なタッチこそが、この曲を永遠の喜びにしているのである。

この曲はエルトンにとって、それまでのHot100で最も長く続いたNo.1ヒットであり、
イギリスでは初のNo.1ヒット(デュエットソングとして)となった by – P.G.。

23位 ”Home Again” (‘The Diving Board,’ 2013)

エルトン・ジョンのように長い間「旅」を続けてきた人が「帰るべき家」ついて歌うと、
比喩的な「家」という意味でも
文字通りの「家」という意味においても
より重みを増す傾向があります。

「Home Again」は、サー・エルトンの最も重みのあるピアノの旋律と、
彼の最も響きのある感情豊かなヴォーカルが、
風化しそうな低音域で組み合わされているのだ。

“We all dream of leaving/ But wind up in the end/ Spending all our time trying to get back home again.”
「私たちは皆、飛び立つ事を夢見ている/しかし結局、行き着く先は/
再び戻るためにすべてを費やしてしまうのだ」。

今世紀に入って(21世紀)、
本作は彼の最も記憶に残る曲のひとつではありませんが、
それでも「Farewell Yellow Brick Road」のセットリストに入れるべき曲でした。
by – A.U.

22位 ”Step Into Christmas” (Non-Album Single, 1973)

「Step Into Christmas」には、
エルトンが当然リスナーは自分のクリスマス・ソングは大歓迎という、
少し自意識過剰な雰囲気がある。

これは、彼とバーニーがこの1973年のシングルを、
永続的な作品としてでなく、
旬の使い捨てのものとして想定していたことを示す。

しかしながら「Step Into Christmas」は、
1970年代のピーク時の観客やファンが
エルトンジョンがやっていたあらゆることに白熱し、
明白な歓喜の感覚を持つ作品であるため、長く愛され続ける結果となった。
そう、驚くことにジョージマイケルの「Last Christmas」と同様に、
2020年になってもクリスマスソングとして流れているのです!

この曲には1973年当時のエルトン・ジョンと彼のバンドが持っていた爆発的なエネルギーが宿っているのだ。by – S.T.E.

21位 ”Daniel” (‘Don’t Shoot Me I’m Only the Piano Player,’ 1973)

この1973年のHot100第2位のヒット曲には、
当初、主人公の兄が障害を持ったベトナム帰還兵で、
故郷に帰ることができず他国へ逃亡したことを明らかにする別のバージョンがあった。

「ダニエル」がリリースされた頃、米軍の捕虜が戦闘から戻り始めていた。

書かれた歌詞の中で、
「癒えない傷の痛みをまだ感じているのか」、
「君の目は死んでしまったが、私よりも見えている」というフレーズは、
確かに戦争から帰還できた兵士に当てはまるが、
どちらとも取れるよう曖昧にすることで、
ジョンは「Daniel」を失ったトラウマ、悲しみ、喪失感について
時代を超えた歌にしたのである。

歌詞に添えられた優しいローズ・ピアノとアコースティック・ギターは、
更にこの曲のほろ苦い悲しみを際立たせ、
きっとあなたの目に曇りをもたらすことでしょう。 br – F.D.

20位 ”I Feel Like a Bullet (In the Gun of Robert Ford)” (‘Rock of the Westies,’ 1976)

バーニーの西部開拓時代への憧れは、
アルバム「ロック・オブ・ウェスティーズ」のこのシングルでも衰えることなく、
仲間の無法者ジェシー・ジェームズを暗殺したロバート・フォードを題材にした、
忘れ去られた作品です。

身勝手な行動によって、すべてを失ってしまった主人公
破れた恋愛をめぐる後悔

それをジョンの優しいメロディとボーカルが見事に表現し、捉えている。

“I’m low as a paid assassin is/You know I’m cold as a hired sword. I’m so ashamed/Can’t we patch it up?”
「俺は雇われた殺し屋のように卑怯者/
金で買われた剣のように冷たいのを知ってるだろ?」
悔い改めたエルトンが歌う、もう手遅れだと知りながら。by – M.N.

19位 ”Can You Feel the Love Tonight?” (‘The Lion King’ Soundtrack, 1994)

1993年に発売されたアルバム「デュエット」(91年の大ヒット曲も収録)から1年後、
「ライオンキング」のサウンドトラックは、
エルトン・ジョンが再びポップ・ミュージックの頂点に立ち、
同時に彼の忘れがたい豊かなメロディーを新しい世代に紹介することになった。

間違いなく温かくエレガントなバラードで、
その控えめなシンプルさがより効果的な「Can You Feel the Love Tonight」は、
グラミー賞、オスカー、ゴールデングローブ賞を受賞し、
Hot 100でトップ5、Adult Contemporaryチャートで1位を獲得している。by – J.L.

18位 ”Levon” (‘Madman Across the Water,’ 1971)

ポール・バックマスターのオーケストラアレンジとエルトンの夢のようなメロディが、
この謎めいた架空の人物への賛歌の壮大さと気品を高めています。

(この曲の名前は、ザ・バンドのレヴォン・ヘルムから取ったという噂があるが、
トーピンはその説を明確に否定している)。

ビルボードのHot 100で24位を記録した「Levon」は、
以来50年間、エルトン卿の代表曲として欠かせないものとなっている。

この作品の凄さを語るエピソードに
“He was born a pauper to a pawn on a Christmas Day/ When the New York Times said, ‘God is dead.”
「彼はクリスマスの日に貧しい質屋に生まれた/ニューヨークタイムズが『神は死んだ』と言った」
といったトーピンの歌詞の意味を
今なお、解明しようとしている人がいる事なのだ。by – M.N.

17位 ”I Want Love” (‘Songs From the West Coast,’ 2001)

「I Want Love」は「Your Song」のちょうど裏返しであり、
ロマンチックな観念を捨て、本当の愛を取り戻した瞬間だと考えてほしい。

「Your Song」では「エルトンからみんなへの無償の愛」を綴り
「I Want Love」では「とにかく誰かの愛が欲しい」と枯渇した心情を綴っているのだ

2001年に発表されたこの曲は、
エルトン・ジョンが禁酒し、
ゲイであることを公言して生活し始めてから10年以上経っていた。
そんな中で彼がポップソング作品として
こうした成熟した現実を表現したのは初めてのように感じられる。

バーニーの歌詞が自責の念に満ちているのに対し、
このバラード曲は最終的に救いを与えてくれる。

エルトンは自分の欠点、短所を自覚しており、
自分が愛されるに値する人間かという問いの前にして、
強く愛を必要としている弱い人間だということを認識し、宣言しているのだ。by – S.T.E.

16位 ”Candle in the Wind” (‘Goodbye Yellow Brick Road,’ 1973)

過去50年間のポップカルチャーに完全に吸収されてしまった曲のため、
「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」が70年代の米国では
シングルとしてリリースされたことさえなかったことを今思い出すと、
その事実を受け入れるのは難しい。

しかし、エルトンとバーニーがマリリン・モンローに捧げたこの哀歌は、
輝くように燃え上がり、あまりにも早く消えてしまった人への頌歌となった事は
当然長きにわたって証明されている。

ジョンの堂々とした語り口とトーピンの思いやりに満ちた歌詞は、
感傷的で厚かましい印象を与えることなく優雅さな印象と
スターの悲哀への理解を示している。

これだけ有名な曲でありながら、
実は1988年にライブで演奏された際に初めてHot 100のトップ10に入り、
その10年後に故ダイアナ妃に捧げた「Candle in the Wind 1997」として再録され、
14週にわたって首位に立った。by – A.U.

エルトンは「Candle in the Wind 1997」は真にダイアナに捧げた作品の為、
仕上がった時のデモと、レコーディングと、実際の葬送の際の3回しか歌っていないと公言している。

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