MENU
エルトンジョン

エルトンジョンのオールタイムライブBEST10

エルトン・ジョンは、
50年以上の演奏活動の中で、
音楽史上最もダイナミックなパフォーマーの一人として
地位を確立してきました。

ステージデザイン、照明、衣装に至るまで、
エルトンジョンのコンサートは観る者を楽しませるものである。

しかし、それらは決して彼の音楽性を圧倒し、
邪魔するものではありません。
むしろ音楽性の高さが凌駕していたからこそ、
現在でもトップミュージックとして歌い続けられているのです。

ソロ・アーティストとして多岐にわたるジャンルの作品群を持つジョンは、
常に豊富な楽曲素材を持っています。

コンサートでは、これらの楽曲に命を吹き込み、
より深い楽器演奏、パワフルな感情、
そして比類ないショーマンシップを披露しています。

シンプルに言うと、
これらは一人のミュージシャンが築いてきた
常に必見のライブの遍歴なのです。

その目で確かめてください。
彼の伝説的なライブベスト10!
年代順を超えてご紹介します。

10位 1979年5月28日 モスクワ、ロシアコンサートホール

エルトンジョンは、
冷静時代のロシアの鉄のカーテンの向こう側で
演奏した最初の西洋のロック・スターとして、音楽的・政治的な歴史を刻みました。

この日の演奏は、ジョンとピアノだけで、
パーカッションのレイ・クーパーを除けばバックバンドもいない、
寂しいものであった。

立ち上がりこそ、厳かで静かに見守る観衆。
しかし、エルトンの静かなるグルーヴはロシアの人々の心を掴んで離さない。
ファンやKGB、共産党員で構成される観衆を味方につけ、ステージを支配。

このパフォーマンスの映像は
ドキュメンタリー映画『To Russia … With Elton』に収録され、
コンサートの公式ライブ録音は2020年のアルバム『Live From Moscow 1979』でようやくリリースされ日の目を見ることになりました。

9位 1989年4月26日 イタリア、ヴェローナ、アレーナ・ディ・ヴェローナ

紀元30年に建てられた豪華なローマ円形劇場のステージに立ったエルトンジョンは、
時代を超えた才能を発揮し、古びた会場でパフォーマンスを披露した。

ジョンのセットリストには、
1988年の『レグの逆襲』収録の
「I Don’t Wanna Go on With You Like That」といった当時の新曲から、
「Sorry Seems to Be the Hardest Word」、
「Daniel」、
「Candle in the Wind」といった定番のヒット曲も含まれていました。

また、”Sad Songs (Say So Much) “のソウルフルなバージョンなど、
彼の曲の新しいテイクを提供することもありました。

私は「Sad Songs」にゴスペルソウルを注入して、
バックシンガーたちと一緒に、
2000年の歴史を持つ円形劇場にアメリカ開拓魂を表現したんだ!”
とエルトンジョンは後に回想しています。

8位 1995年11月25日 リオデジャネイロのエスタディオ・フラメンゴ

エルトン・ジョンの派手さとリオのカラフルな文化を考えれば、
彼の最初のブラジル・ツアーが一体どんな出立ちになるかと思ったでしょう。

しかし、エルトンは落ち着いた衣装で
演奏とボーカルのパワフルさはいつものままで
圧倒的なライブパフォーマンスを見せたのです。

後にエルトンが回想するように、
リオのファンは幕が下りるやいなや、
旗を振って踊り、何時間も歌い続ける熱狂の渦に巻き込まれた!のです。

10万人以上の観客が一音一音に耳を傾け、
ジョンは「I Guess That’s Why They Call It the Blues」、
「Don’t Let the Sun Go Down on Me」、
「Bennie and the Jets」などの代表曲の数々をロックし尽くしたのでした。

この夜、スタジアムのエネルギーは非常に高く、
ジョンは3回のアンコールに応じ、
そのたびに熱烈な拍手で迎えられました。

7位 2007年3月25日 ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン

2007年3月25日 ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン
エルトンジョンはこれまでにもマディソン・スクエア・ガーデンで数々の思い出深い夜を過ごしてきたが、この公演は特別な意味を持つものであった。
この伝説的な会場での60回目の公演というだけでなく、
ジョンの60歳の誕生日と重なったのだ。

ロビン・ウィリアムズ、ウーピー・ゴールドバーグ、
バーニー・トーピンがゲストとして登場し、
ビル・クリントン元大統領やビリー・ジョエルのメッセージも収録された。

また、この機会にあまり演奏されなかった曲も演奏され、
(このコンサートの模様を収録した2枚組DVD
『Elton 60 – Live at Madison Square Garden』が同年末に発売された。

6位 1986年12月14日 シドニー・エンターテインメント・センター

1986年にオーストラリアを訪れたエルトン・ジョンは、
キャリアの岐路に立たされていた。

長年の演奏活動で声帯を損傷し、ポリープもできていたため、
手術が必要になったのです。

それにもかかわらず、ジョンは毎晩のように痰や血を吐きながら、
オーストラリア公演を続行しました。

その彼の歌声は、かつてないほど重厚で、
また、より深い感情的なビブラート(響き)を持つようになった。

ジェームス・ニュートン・ハワード指揮のもと、
フルオーケストラをバックに熱演を繰り広げ、
この最終地シドニーで幕を閉じた。

この12月の公演は、翌年発売された
『Elton John Live In Australia With the Melbourne Symphony Orchestra』として販売された。

5位 1974年11月28日 ニューヨーク マディソン・スクエア・ガーデン

これはエルトンジョンにとって
初めてのマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴではないし、
その後数多くMSGで演奏することになるが、おそらく最も記憶に残るものだろう。

エルトンは、”Bennie and the Jets”,
“Candle in the Wind”, “Daniel”,
“Goodbye Yellow Brick Road “といった名曲を誇るセットを披露した。

しかし、この日の最大の見せ場は、盟友ジョン・レノンをステージに迎えたときだった。
エルトンはレノンの曲「Whatever Gets You Thru the Night」を初めて聴いた時、
この曲は全米1位になるよと予言した。

いぶかったレノンに「もしなったらライブに来てよ!」と約束を取り付け、
実際に1位になったのです。
そして、レノンはMSGでエルトンと一緒に3曲を演奏することになりました。

「Whatever Gets You Thru the Night」、
ビートルズの名曲「Lucy in the Sky With Diamonds」、
「I Saw Her Standing There」の3曲を披露したのである。

ただ、残念ながら、これがレノンの生前最後のコンサートとなった。
日本でも「ライブ!」という「ライブアルバム」が発売されたが、
今では「Here and There」のリマスター版で聴くことができる。

4位 1970年8月25日、ロサンゼルスのトルバドール

1970年8月25日、ロサンゼルスのトルバドールにて
エルトン・ジョンのアメリカでの初コンサートは、
伝説的なものであり、
彼の音楽界へ衝撃的な登場を告げる力強いパフォーマンスでした。

1970年8月25日、
ウエスト・ハリウッドのトルバドールで
約300人の観客を前にステージに立った彼は、そのショーマンシップで観客を圧倒した。
エルトンジョンは、演奏中に体を宙に投げ出し、
ピアノの台を蹴り倒し、膝をつくなど、
さまざまな場面でパフォーマンスを繰り広げた。

「あの夜は、まさにやりたい放題だった、、、。」
エルトンは後に振り返っています。

「出来なかったことは何も無かった。アドレナリンと、
自分が成功したという熱量だけで動いていたんだ!」 と。

翌日のロサンゼルス・タイムズ誌は、
エルトンジョンが
“ロック界で最も大きく、最も重要なスターの一人 “になると予言した。
そして、その通りになった。

ちなみに1970年11月17日のエルトンジョンのライブが
ニューヨークのラジオで生放送で流された。
反響が凄く、そのままライブアルバムとしてリリースされる。
エルトン自身は自分史上最高ライブだと信じていると言い、
ベースのディー、ドラムのナイジェルも音楽性が最も高いと評価している。

この時の「アモリーナ」が最高というミュージシャンも多い。

3位 1972年2月5日、ロンドン、ロイヤル・フェスティバル・ホール

1972年2月5日、ロンドン、ロイヤル・フェスティバル・ホールにて
ジョンはキャリア初期から多作で、
最初のスタジオ・アルバム5枚をわずか3年でリリースしている。

エルトンの制作ペースは非常に速く、エルトンより早いアーティストを私は知らない。
一つのアルバムを発表して、次のアルバムが発表するのに早ければ半年。(Madman Across the Water から Honky Château
「Madman Across the Water」をきちんと宣伝する時間がほとんどなかったほどである。

その中の驚くべき一例がある。
1972年に入って、エルトンジョンは『マッドマン・アクロス・ザ・ウォーター(1971年11月5日リリース)』のツアーを開始した。
今回の1972年2月5日ライブがそうである。
その3ヶ月後の5月19日にリリースされる『ホンキ・シャトー』に収録される曲を
ライブで演奏しているのだ。
テムズ川のほとりにあるロイヤル・フェスティバル・ホールで開催されたこのコンサート。

エルトンの初々しい歌声もさることながら、
多くの注目すべき初お披露目の楽曲が歌われた。
「ロケット・マン(I Think It’s Going To a Long, Long Time)」、
「ホンキー・キャット」「モナ・リザ・アンド・マッド・ハッターズ」など、
『Honky Chateau』に収録される作品がいきなり初演されたのである。

制作が早すぎて発表が追いつかない。
とは言え、正式なアルバム名のツアーで次のアルバムの作品をバンバン歌うって凄すぎる!

2位 1980年9月13日、ニューヨークのセントラルパーク

1980年9月13日、ニューヨークのセントラルパークという場所であったかは、
ファンでなければ知らないだろうが、
エルトンという大の男が、
ドナルド・ダックの着ぐるみを着て「Your Song」を歌っているのを知っている人は多いでしょう。

それくらい強烈な印象を与えたライブ。

もしかしたら、エルトンの印象を悪くしてしまった可能性もあるこの仮装は
1980年、セントラルパークを埋め尽くした40万人のファンの中で行われた。

アヒルの着ぐるみは、
今となってはその日の最も印象的なイメージとして残っているが(そうでないわけがない)、実際ライブの内容は素晴らしいもので、
古い作品の「タイニー・ダンサー」、「ハーモニー」、
「Funeral for friend – Love lies bleeding 」の演奏、ボーカルは
現在でも視聴できるエルトンライブ史上最高の仕上がりとも思える。

また、新作の「リトル・ジニー」、「Sartorial Eloquence」も素晴らしい。

そして、エルトンはジョン・レノンの「イマジン」を歌う。
もしかしたら一本向こうの筋のマンションに住んでいる「ジョン・レノン」が聴いているかもと歌ったかも知れない。
しかし、その3ヶ月後そのマンションの下で銃殺される事など誰も知らなかった。

規模、エルトンの仕上がり、熱狂、エルトンの記憶に残るパフォーマンス、
色んな意味で、エルトンのライブ史上最高なのは間違いない。
1位でも良いくらいだ!

1位 1975年10月25日、ロサンゼルスのドジャー・スタジアム

数々のユニークなコスチュームを披露してきたジョンのキャリアにおいて、
1975年のドジャー・スタジアムでの公演のビジュアルは、
最も有名なもののひとつに数えられる。

実際、この夜のスパンコールの野球ユニフォームは、
2019年の伝記映画『ロケットマン』のポスターの多くに使用されるほど、
アイコニックな存在となった。

もちろん、パフォーマンスがたいしたことがなかったら、
この衣装がこれほど伝説的な衣装になることはなかっただろう。
そして当然、ジョンのパフォーマンスに「つまらない」という言葉はない。

彼はこの夜、比較的ファンシーな衣装で登場し、
“Your Song “と “I Need You to Turn To “のソロ演奏で幕を開けた。
そして、定番のエルトンジョンバンドと共に
“Border Song”、”Take Me to the Pilot”、”Levon “といった
有名な人気曲を演奏します。

その後、このアイコニック的存在となるドジャーズのユニフォームに着替えて休憩を挟み、
ジョンは3時間以上にわたって観客を魅了し続けました。

この日のコンサートでは、ビートルズのカバーも2曲披露された。
(驚くことに、この有名な会場でビートルズを演奏したのは、エルトンが初めてだった)。バーニー・トーピンやテニス選手のビリー・ジーン・キングもゲスト出演したが、
この夜は紛れもなくエルトン・ジョンのものであった。
「一番印象に残っているのは、観客の熱気です!
「エネルギーが足元から伝わってくるようでしたよ。」と語るのは
このコンサートの写真撮影を担当したテリー・オニール。

彼が下見でドジャースタジアムを訪れ、
55,000人収容のスタジアムを一番高いところから見た際、
ここで音楽ライブが催されるのか?と信じられなかったと語っています。
当時、最大規模であった単独ライブが盛り上がるのかどうかも
信じ難かったと、、、
しかし、コンサートが始まると、その不安は一瞬で消え、
私はただシャッターを切っているだけで、
全てが絵になったと語っています。

カリフォルニアの夕陽にタイミングを合わせ、
「Don’t Let The Sun Go Down On Me」を演奏したのは
パーフェクトとしか言いようがなく、
例のスパンコールの衣装はキラキラと輝き、人間というよりも、
エルトンはジェット機のようだった。と続けています。

この時のエルトンがかけていたメガネはレイ・ウィンストン社の
Sir Winston O C 132のホワイト。


今でも時々流行る白縁のメガネが初めて世界を席巻したのはこの時だ。
注文が殺到し、70年代の年代のアイ・ウエアのレジェンドとなった。
もちろんバブル・ヘッド人形にも白メガネが採用されている。

衣装や規模ばかりが先行した記事になったが、
この時のエルトンの歌唱力もまさに全盛期。
動きも軽快。
全てにおいて、ベストパフォーマンスだったのではと思われる。
現在ではYouTubeでも気軽に見れるので、
気になる方は是非視聴してみてください!

番外編 キャプテンファンタスティック live from Wembley Stadium in 1975.

これは2005年にデラックスエディションとして
キャプテンファンタスティック〜が2枚組として販売された2枚目に収録された
1975年 ウエンブリースタジアムでのライブ。

何と!
アルバムの最初から最後までも順番通り演奏する夢のようなライブアルバムなのだ!
これぞアルバム、これぞライブ!