目次
Philadelphia Freedomってどんな歌?
この歌は、エルトンが
当時の女子テニスのトッププレーヤーにプレゼントした作品なんだ!
へぇー!
大スターからの作品のプレゼント、
一体どんな気持ちになるのかな?
そうだね!
想像もつかないね!
作品名は「フィラデルフィア・フリーダム」だから、
すぐにわかりそうな作品ね!
それがね、実はそうでもないんだ!
当時の人でも意外に内容までは分かってなかったかもしれないね。
日本語訳は誤訳が多いし、結構深い内容なんだ!
そうなんだ!
じゃぁ、どんなか教えて!
規律の遵守を尊ぶ「イギリス」から圧力を受けながら、
遂には独立するアメリカ。
その縛りは、国という大きな単位でなくても、
あなたも家族や社会から受けていて、
辛い日常を送ってないかい?
縛りから自分自身を解放するのは、
自分しかないよ!
フィラデルフィアの自由の精神、
俺は好きだ、俺は好きだ、
そうだ俺にもできる!というエルトンからのメッセージソングでありながら、
それを当時のトップテニスプレイヤー目線で表現した作品。
ここで叫ばれているのは、人種差別の撤廃、男女同権、
もっと後に表面化するLDGB問題なども含まれている差別の解放なのだ。
Philadelphia Freedom オリジナル歌詞
I used to be a rolling stone
You know.
if the cause was right I’d leave to find the answer on the road.
I used to be a heart beating for someone.
But the times have changed.
The less I say the more my work gets done.
‘Cause I live and breathe this Philadelphia freedom
From the day that I was born I’ve waved the flag.
Philadelphia freedom took me knee-high to a man.
Yeah gave me peace of mind my daddy never had.
Oh Philadelphia freedom shine on me, I love you.
Shine a light through the eyes of the ones left behind.
Shine a light shine a light.
Shine a light won’t you shine a light.
Philadelphia freedom I love you, yes I do.
If you choose to you can live your life alone.
Some people choose the city.
Some others choose the good old family home.
I like living easy without family ties.
Till the whippoorwill of freedom zapped me.
Right between the eyes.
‘Cause I live and breathe this Philadelphia freedom
From the day that I was born I’ve waved the flag.
Philadelphia freedom took me knee-high to a man.
Yeah gave me peace of mind my daddy never had.
Oh Philadelphia freedom shine on me, I love you.
Shine a light through the eyes of the ones left behind.
Shine a light shine a light.
Shine a light won’t you shine a light.
Philadelphia freedom I love you, yes I do.
フィラデルフィア フリーダム(日本語意訳)
私はかつて「転がる石だった」
分かるよね?
おかしいと感じたら、答えを探がしに旅に出る
かつては誰かのために命を燃やしてきた(かつては誰かの為に戦ってきた)
だけど、時代は移り変わり
黙々と私の仕事ができるんだ(黙々と自分の試合に集中できる)
だって、私はフィラデルフィアの自由精神の為に生きてるんだ
生まれたその日からその旗(自由の旗)を振ってきた
フィラデルフィアの自由は男を跪かせた。
(※女性の前で膝の高さまで頭を下げさせた。つまり男尊女卑を取っ払った。)
そう!実の父から決してもらうことの出来なかった心の安らぎ(平和)を与えてくれた。
(今でこそアメリカはレディーファーストのお国柄だが、建国前の17世紀から20世紀後半まで、男は女子供に対して人権がないように偉そうに扱っていた。これはどの国でもある程度の文化レベルになるまで存在する。)
ああフィラデルフィアの自由、、、私を照らす
私は(フィラデルフィアの自由を)愛する
置き去りの人の目にも光を照らす
Shine a light shine a light.
シャイン・ア・ライト、君も自由の光を感じませんか?
フィラデルフィアフリーダム、私は愛している
YES I DO!
もし、あなたが選びたいなら、一人で生きていくことも自由。
都会を選ぶ人もいれば
古き良き田舎を選ぶ人もいる。
私は家庭に縛られない生き方が好き。
だけど、自由の女神に鞭打ちされるまでは違いました。
そう、眉間を打たれるまでは、、、
そう、私はフィラデルフィアの自由精神に生きてるんだ
生まれたその日からその旗(自由の旗)を振ってきた
フィラデルフィアの自由は男を跪かせた。
そう!実の父から決してもらうことの出来なかった心の安らぎ(平和)を与えてくれた。
ああフィラデルフィアの自由、、、私を照らす
私は(フィラデルフィアの自由を)愛する
置き去りの人の目にも光を照らす
Shine a light shine a light.
シャイン・ア・ライト、君も自由の光を感じませんか?
フィラデルフィアフリーダム、私は愛している
YES I DO!
Philadelphia Freedom 解説
自由の街、「フィラデルフィア」
アメリカがかつて、英国の支配下にあった頃、
ロンドンに次ぐ第2の規模を誇る都市であった。
古くは1620年、メイフラワー号で
ピルグリム・ファーザーズがイギリスからアメリカへ渡った。
乱暴にまとめてしまうと宗教弾圧が引き金となって、
メイフラワー号で弾圧された人々がアメリカへ渡った訳だ。
そして、「メイフラワー号」は信仰の自由の象徴となる。
自由を求めて、出ていった人々のアメリカでの過酷な開拓が始まる。
何もなく広いだけの土地で、人々は冬を越せずに亡くなる人も多かったという。
しかし、開拓が進んで農作物(特に綿)が取れるようになると、
イギリスはアメリカに対して重税をかけてくる。
アメリカ開拓民のイギリスへの不満は大変なものだった。
そして、紅茶事件を発端に独立戦争が始まる。
アメリカ開拓民が一体となって、「自由を求める戦争」
それが独立戦争だ。
当初、簡単にイギリスが勝つと思われていたが、
楽勝を決め込んで深追いしたイギリス軍は大打撃を受ける。
1776年、「アメリカ合衆国建国の父」によって独立宣言が
このフィラデルフィアで行われた。
それ以来、「フィラデルフィア」と言えば自由の象徴。
2015年、自由の鐘、独立記念館など、
あらゆるものと一緒に街ごと世界遺産に登録されている。
ちなみに独立してから40年ほど(ニューヨークに抜かれるまで)アメリカ最大の都市であった。
1876年、独立100年記念にフランス(フリーメーソン団体)から自由の女神が贈られた。
その時には既にニューヨークが第一の都市になっていたので、
自由の女神はリバティ島に立つことになるが、
フィラデルフィアに立っていてもおかしくなかった。
ここで余談になりますが、
自由の女神の正式名称は「Liberty Enlightening the World」
「世界を照らす自由」であり、女神は出てこない。
女神像を見ていると、我々のために女神が自由を照らしてくれている感じがしますが、
そうではなく、
この姿を見て、私たち個人個人も見習って
自由の火を照らし続けようという「自己啓発の象徴」なのです。
(因みに自由の女神は単体でフィラデルフィアより30年以上早い
1984年に世界遺産登録されています。)
そんな理由があって、アメリカは自由の国であり、
その中でもフィラデルフィアは自由発信の象徴的存在なのです。
しかし、実際は「フィラデルフィア」とか「自由の国」と言っても、
アメリカはむしろ「差別の国」と言って良い面もある。
例えば、大リーグで凄惨な黒人差別があったことは周知の事実。
野球史上最高投手とも言われる「サチェル・ペイジ」が、
最後までベーブルースと勝負させてもらえなかった無念の歴史がある。
黒人選手に大リーグの門戸を開いた「ジャッキー・ロビンソン」の活躍があっても尚、
当時の大リーグ球団は黒人選手の加入を嫌った。
もちろん、白人プレーヤーからの要望もあった事だろう。
「ロッカーを別にしろ!」
「シャワーは使わすな!」
胸糞悪くなるような事を平気で吐いていたのだ。
そんな中で、最後まで黒人選手を受け入れないと抵抗したチームが、
大リーグチームの中でも歴史ある「フィラデルフィア・フィリーズ」と言うから
全くもって皮肉めいています。
そして何故、こんなスポーツ界の差別を書いているのかというと、
実はある差別にまつわるある事件が、この作品誕生のきっかけだからなのであります。
その差別とはテニス界の男女の賞金差別。
1968年テニス界は大いに盛り上がり、
今で言うグランドスラムに入る大会が次々にオープン化。
つまりはどこからでも参加O.K!の「テニス天下一武闘会」と化していたのだ。
しかし、蓋を開けてみると当時ウィンブルドンの男女賞金の差が約3倍。(2000ポンドと700ポンド。しかしこれは良い方で全仏オープンなどは男女差約8倍。)
それを不満に声を上げたのが
後のキャリアグランドスラマー「ビリー・ジーン・モフィット」テニスプレイヤーである。(結婚した後、名乗ったビリー・ジーン・キングの方が有名。)
当時の彼女はシングル戦、若きマルチナ・ナブラチロアと組んだダブルス、男女複合ダブルスでも同一大会で優勝(ハットトリック)を2年連続達成する、スーパープレイヤー。
ビリー・ジーン・キングはこの男女賞金差別に先頭を切って異を唱えた。
まず、男女一緒に行われていたツアーからの離脱。
これにより、男女一緒くたにされることで「オマケ」呼ばわりからの脱却を図ったのだ。
そうして女子テニス協会の原型を設立させた。
その声は男尊女卑の不満と迎合し、1970年の男女同権運動に発展することになる。
そんな1973年、ある事件が起きる。
テニス界のプリンセス「マーガレット・スミス・コート夫人」(未だに破られていない4大大会優勝数歴代1位のプレーヤー。1968年には、全豪連覇のかかるビリー・ジーン・キングを決勝で破っている。)
が、
元男子プロ「ボビー・リッグス(55歳)」と対決し、完敗するのである。
ボビー・リッグスは男子4大大会のシングル3勝、ダブルス3勝、ランキング1位にもなった往年のテニスプレーヤー。
男女ではスピード、パワーに違いがあり過ぎるので、現役から退いた55歳男子であっても、全盛期の女子でも敵わないのであった。
ボビー・リッグスは現役のスター選手を破ったことで気分を良くし、
全ての女子テニスのプレイヤーを愚弄した。
「俺は誰の挑戦でも受ける! 全女子プロ、俺を倒してみろ!」と
しかし、ボビー・リッグスが破ったのは、
当時無敵のトッププレイヤーのマーガレット・スミス・コート夫人である。
全女子選手は黙って耐えるしかなかった。
そこでジャイアン化したボビー・リッグスが目をつけたのは、
コート夫人のライバル的存在でもあり、
男女同権運動のアイコン的存在でもあった、ビリー・ジーン・キング。
「あのビリー・ジーン・キングと対戦したい!」と名指しで声高々と宣言したのだ。
ボビー・リッグスにしてみれば、
「男女同権運動」とやらを掲げる生意気な女子を負かして、
男の力を見せつけたかったのであろう。
また、他の女子選手同様、ビリー・ジーン・キングが対戦を受けずに逃げたとしても、
それはそれで良かったのだ。
女子テニスは単独ツアーを開催し始めたばかりで、
その先頭を立っていたビリー・ジーン・キングの出鼻を挫けば、
男子選手側からしても胸がスッとする。こういう魂胆だったようだ。
恐らく、これはボビー・リッグスだけの判断ではないように思う。
女子に去られたテニス協会も苦々しく思っていたであろう。
スポーツ用具メーカー、スポンサーはもちろん、
家庭の中でも、会社の中でも存在するあらゆる男女の軋轢がここに集約されていた。
男から女への宣戦布告。
まるで昭和親父がZ世代女子をいたぶるようにも見える。
そして、マスコミも完璧に女が平伏す予想のもと大々的に取り上げた。
だから、ビリー・ジーン・キングは逃げる訳にはいかなかった。
こんな馬鹿げた挑発こそ、男尊女卑そのものなのである。
これがアメリカの実態なのだ。
この戦いは、世紀の対決「The Battle Of The Sexes Ⅱ性別の戦い2」として、
テキサス州ヒューストン、アストロドームで開催されることになった。(The Battle Of The Sexes Ⅰは前述のボビー対コート夫人)
3万人以上の観客が訪れたという。
勝者には10万ドル(現在の価値で約850万円。2022年9月現在)が用意されたという。
ここからがさすがアメリカの演出が入る。
ビリー・ジーン・キングはクレオパトラと言うことで、
鳥の羽で彩られた小舟に乗って登場。
その小舟は古代の奴隷のような格好をした男四人が引いている。
一方、ボビー・リッグスはシュガーダディー(お金持ちでパパ活女子にお金をばら撒いて遊ぶ親父)の出立ちで、大勢の若い女性モデルに人力車を引かせて登場。
巨大なロリポップを(キャンディー菓子)ビリー・ジーン・キングにプレゼントするという演出。(つまり飴でも舐めておけ!ということ。)
これに対し、ビリー・ジーン・キングは子豚をプレゼントし応酬。
(昔ながらの男は、女は自力で食べていけないから食い物で釣れば誰でも付いてくると卑下していた風潮があり、それをそのままやり返す演出)
この登場だけでも、男と女のバッチバチの感じが出ていて凄いよね!
この時、ボビー・リッグスはビリーにプレゼントしたロリポップメーカー(チュッパチャップスのようなお菓子屋さん)が用意したジャージを着て試合をしており、その広告料が優勝賞金の半額(約425万円)。しかも、ボビー・リッグスは自分の勝利を信じ、賭け屋に多額の金をかけていたそうだ。
また、前の戦いの「The Battle Of The Sexes I 性別の戦い1」コート夫人戦では、
3セットマッチだったが、今回は男同様の5セットマッチ。これらから下馬評は完全にボビー・リッグス勝利を予想。あらゆる面でボビー・リッグス有利、ビリー・ジーン・キングが不利な設定になっていた。
ABCによる全米および、国際中継で全米5000万人、全世界で9000万人が見守る中
ついに、世紀の一戦は始まった。
しかし、試合はあっさりしたもので、
6-4.6-3.6-3で3セット連取のビリー・ジーン・キングの圧勝に終わった。
ビリー・ジーン・キングはコート夫人が負けた試合を研究し、
ボビー・リッグスの相手を右往左往させるテクニカルな戦法を
そのままやり返したのだ。
現役トップ選手の場合、引退選手を相手するとなると、若さで勝負したくなる。
しかし力を誇示する事にこだわらず、
落ち着いてコート一杯を使って勝負したのだ。
実際、第一セットにサーブをブレイクされ、2−3となったのが、
唯一ボビー・リッグスが勝っていた瞬間。
そこからは一方的で完敗であった。
第1セットコミカルな動きを見せ、時折おどけていたボビー・リッグスは
第2セットで真剣になり、
第3セットでは広告のために来ていたジャケットを脱ぎ捨てたという。
このビリー・ジーン・キングの勝利は女子プロテニスの躍進に一役買った。
女子ツアーはその後大いに盛り上がり、集客に成功。
正式に女子プロテニス協会の設立へ繋がっていくことになった。
(この活動は後の女性スポーツ財団設立へと発展していく。)
1973年にフィラデルフィア・フリーダムズというテニスチームが発足しており、
ビリー・ジーン・キングは契約することになります。
コーチ兼選手の彼女はプロスポーツにおいて男性選手にコーチする初めての女性となったのです。
かねてよりビリー・ジーン・キングのファンで試合を見に行ったり、
時には控え室まで行く仲のビリー・ジーン・キングとエルトンジョン。
エルトンはこのビリー・ジーン・キングの社会に屈服しないアイデンティティーに感服。
フィラデルフィアフリーダムズからも楽曲制作を依頼され、
チームと彼女の活躍を祈願する作品作りを決心。
バーニーに依頼して詩を書いてもらったのが「フィラデルフィアフリーダム」なのです。
バーニーの詩に曲をつけ、レコーディングが終わるや、
エルトンは真っ先にビリー・ジーン・キングの元にカセットを届けました。
そして、エルトンは「コーラス」部分の軽快なビートは
「ボールを追いかけてる時の君だよ!」とビリー・ジーン・キングに言ったそうです。
エルトンが音を見えるように感じている事が分かる素晴らしい逸話です。
そんな訳で、この歌はビリー・ジーン・キング目線で聞くと内容がよく分かります。
特に「フィラデルフィアフリーダムは男をひざまずかせた」というフレーズは
「The Battle Of The Sexes Ⅱ性別の戦い2」の背景がないと理解できないポイントですよね。
あと、ビリー・ジーン・キングさんは後にレズビアンをカミングアウトしていて、
LGBTの解放活動にも尽力されていきます。(ダブルスで組んでいたマルチナ・ナブラチロアさんも後にカミングアウト)
まだ、この歌が発表された時には世間に対して、
ビリー・ジーン・キングさんはカミングアウトはされてませんでした。
でも、すでにエルトンには告白していたように思います。
何故なら、「自分の枠から抜け出せ!」と
色んな作品で伝えるエルトン。
だからこそ、下記のフレーズがビリー・ジーン・キングへのメッセージとして
この歌には含まれてるのではと思うのです。
もし、あなたが選びたいなら、一人で生きていくことも自由。 都会を選ぶ人もいれば 古き良き田舎を選ぶ人もいる 私は家庭に縛られない生き方が好き。 だけど、自由の女神に鞭打ちされるまでは違いました。 そう、眉間を打たれるまでは(目が覚めるまで)、、、
それにしても、エルトンが友達だった女子テニスプレーヤーへのプレゼントの詩。
その人の活躍やアイデンティティーをこんなにも汲み取って、
ピュアに書き上げるバーニーの何と凄いこと!
いつも以上に熱のこもったご説明ありがとう!
しかし、アメリカの女性蔑視もつい最近までだったのね!
そうだね!
時々、中東の人の女性の扱い、
「学校に行かせない」
「15歳くらいで結婚」などを酷い差別というけど、
ついこの間まで日本も同じだったものね。
そうねぇ、それに対して、
戦う姿勢がアメリカは凄いわね!
男女の戦いを国民的な行事にするのも、、、
本当だね!
受けてたつ女性の気持ち、
想像したら怖くなる。
僕なら逃げ出しちゃうよ!
ローズちゃんは大丈夫じゃない?
今のセクハラになるよ!
スビバセン、、、