1985年8月23日 目覚めの悪い朝
一度目を覚ましても、なかなか起き上がれない。
まるで月曜日のサラリーマンのようにウダウダと布団の中で過ごし、気づけば午前9時半。
遅い出発だ。
朝から、後ろに積んだ荷物が安定せず、走りにくい。
仙台で荷台のゴムバンドが切れてしまい、買い直すことを考えていたが——
「……いや、ガムテープで固定すればいいんじゃ?」
妙案を思いつき、手持ちのガムテープで荷物をぐるぐる巻きにしてみた。
すると上手くいったのだ!
しかし、ガムテープも無限にあるわけではない。
今日はテープが足りず、しっかり固定できなかった。
結果——不安定なままの荷物を片手で支えながら走る羽目に。
「走りにくい……!!」
北海道の後半戦では、タイヤの傷みやパンクとの戦い。
そして今度は、針金が切れた荷台、ゴムバンドのトラブル。
旅も4週間を超え、人も自転車もボロボロになりつつある。
僕が朝起きれなかったのも、無理はないのかもしれない。
ゴムバンドを求めて
午前10時半、ようやく朝食。
今日もおにぎりと温かいうどん。体に染みる、この温かさが嬉しい。
途中、ゴムバンドを買おうと探すが、なかなか見つからない。
「こんなに苦労するとは……!」と思いながら、片手で荷物を支えつつ、ひたすら進む。
午後3時、日立市に到着。
ようやくゴムバンドを購入!
「長かった……!」
約5時間も、後ろの荷物を片手で押さえながら走るのは、想像以上に疲れる。
ここで昼食を取る。焼肉定食。
「朝が遅いと、すべてがズレる……。」
ようやくゴムで荷物を固定すると、ペダルが驚くほど軽く感じた。
荷物の安定は、走りやすさに直結する。
駅前に停められない自転車
その勢いのまま午後5時、国鉄水戸駅に到着。
水戸駅の洗練された姿と“スクランブル発進”の警備員
水戸駅は、驚くほど真っ白で洗練された駅ビルだった。
「え、水戸ってこんな都会やったん!?」
水戸黄門、納豆——僕の中の水戸のイメージは、完全に時代劇の世界だった。
木造の駅舎、和服姿の人々……そんな勝手な先入観があったが、目の前の光景はそれとは程遠い。
「水戸って、めっちゃ現代的な街やん……!」
自転車を駅前に停め、駅ビルの中を見ようとすると——
「おい! こんなところに自転車を停めちゃダメだ!!」
驚くほどのスピードで警備員が飛んできた。
「えっ!? 停めたばっかりやぞ!?」
周囲を見回すと、確かに自転車は一台もない。
札幌や仙台など、水戸より大きな都市を巡ってきたが、
駅前に自転車を停めただけで怒られたことはなかった。
だが、水戸駅では違った。
僕が近づいた時点で、すでに警備員は「怪しい奴が来た」とマークしていたのかもしれない。
もはや戦闘機のスクランブル発進を思わせる怒鳴り方だった。
「……すまぬすまぬ。」
駅舎の観察は諦め、そのまま出発することにした。
「水戸駅では、札幌や陸前高田のような野宿は到底ムリやな……。」
そういえば、昨夜の平駅もこんな雰囲気だった。
同じ日本なのに、都市ごとにこれほど違うとは。
黄門様危機一髪!
水戸駅を出発し、なだらかな坂道が続く国道50号線を走る。
走っていると、突然——
「アイスが食べたい!!」
いや、もう食べたくて仕方がない!!
冷たくて甘いやつ!!
この4週間、汗をかき続け、体温を下げる方法は”風に当たる”くらいしかなかった。
それに、エネルギー補給と言えば、おにぎりやうどんばかり。
脳が、「糖分を寄越せ!」と叫んでいる気がする。
気がつけば、手にはアイスクリーム。
「う、うまい!!」
あまりの美味しさに、気づけばもう1本——
「……ヤバイ、これは食べすぎた!!」
突然の腹痛!ジャスコまで耐えられるか!?
食べ終わった直後、嫌な予感がした。
そして、その予感は数分後、見事に的中する。
「ぐ、ぐおおおっ!!」
腹の底からせり上がってくる衝撃。
やばい、これは完全にアウトのやつだ!!
国道50号線は、市街地を走る道。
山林に隠れて……なんてことは不可能。
「どこか、大型スーパーは……!? 公衆トイレは……!?」
焦りながら必死で目をこらす。
すると——
「ジャスコ 1キロ」
「これだあああ!!!」
残された時間は少ない。
ここで全力を出せば、間に合うかもしれない——だが!
ここで力んでは、すべてが終わる。
「胃腸よ!まだだ!もう少しの我慢だ!!」
脂汗が滲む。
頭がクラクラする。
そして、ついに——
「黄門様!いやっ、肛門様!しまって行こう!!」
まさに危機一髪!
ジャスコが見えた!!
……が、もうダメだ!!!
ペダルを踏むどころではない。
僕は小股で歩きながら、じわじわとジャスコへ向かう。
トイレのマークを発見!!
ダッ!!
——飛び込むように駆け込んだ。
「肛門様、危機一髪!!!」
まさに、間一髪の戦いだった。
ようやく落ち着いた僕は、放心状態で便座に座りながら考えた。
「……今日の体調を考えたら、国鉄笠間駅がゴールで妥当やな……。」
午後6時過ぎ。
げっそりとした体で、僕は笠間へ向けて走り出した——。
秋の気配とハリボテ警官
日が沈むのが、どんどん早くなっている。
8月後半——僕はペースを上げて走るが、夏の終わりの夕暮れの速さには敵わない。
昨日に続き、今日も漆黒の夜道を走ることになってしまった。
国鉄内原駅を過ぎると、国道50号線は山へと向かう。
街灯すらなく、闇が広がる。
本来、水戸から東京を目指すなら、6号線をまっすぐ行けば一直線だった。
しかし、土地勘のない僕は**「茨城から東京へ行くには埼玉を経由しなければならない」と、勝手に思い込んでいた。**
結果——
「なぜか、栃木県小山を経由する謎ルートを選択してしまった。」
完全に遠回りだ。
だが、土地勘のない僕はただ走るしかない。
夜道の恐怖
夜の国道50号線。
交通量は極端に少なくなり、無音の闇が広がる。
車がビュンビュン通り過ぎるのも怖いが、何も通らない道はもっと怖い。
時折、突風が吹き、周囲の木々がざわめく。
その影が、まるで空中に浮かぶ人影のように見えて——
「!!!」
目の前に、誰かが立っている。
急ブレーキ!!
心臓が跳ね上がる。
……だが、よく見ると、それは”人”ではなかった。
「なんや、ハリボテかい!」
そこに立っていたのは、警官の形をした”人形”だった。
「うわ、ビビった……。」
時々見かける、スピード違反防止のための警官人形だ。
だが、通常は道脇に遠慮がちに立っているもの。
それが、歩道に堂々と立っていたのだから、ぶつかりそうになって当然だった。
よく見ると、所々に蛍光塗料が塗られていて、反射するようになっている。
だが、僕の自転車のライトの光量では、その効果はほぼゼロ。
「危ないなぁ!」
思わず、睨みつける。
……すると、
「ん?」
この警官人形、微妙に視線を逸らしている。
しかも、額や股間には落書きの跡。
この健気な姿に、なぜか親近感を覚えてしまった。
「……ご苦労さん。」
そう声をかけ、再びペダルを踏む。
夜の走行は、やっぱりキツい。
昨日も今日も、朝の出発が遅かったせいで、こうして夜道を走る羽目になっている。
やっぱり、早く起きて、明るいうちに走るべきだ。
夜の闇、突風、ハリボテ警官。
「旅の終盤、無駄なリスクは避けるべきやな……。」
僕はそう反省しながら、闇の中を進んでいった——。
野宿の笠間駅
山道を抜けると、左右にいくつかのゴルフ場の看板が見えた。
なるほど、交通量が少ないわけだ。
完全に山間部の道路だった。
暗闇の国道50号線を下り、笠間の市街地へ。
しかし、”市街地”といっても、静まり返った町だった。
住宅ばかりが並び、店はほとんど閉まっている。
夏の終わりを体現するかのような、ひっそりとした夜の景色。
「なんだか寂しいな……。」
ややこしい道に迷いながら、午後9時前、国鉄笠間駅に到着。
閉まりかけの弁当屋に駆け込み、弁当を2個購入する。
駅舎に入り、ひとりで弁当を広げた。
いつもなら、こういう駅舎ではテレビがついていて、何かしらの番組が流れ、夜とはいえ多少は賑やかな雰囲気がある。
だが、笠間駅のテレビはついていなかった。
「……誰もいない。」
静寂の中、ひとりで弁当を食べる。
暗い山道を抜け、静かな町を走り、そして誰もいない駅で夕飯を食べる。
ここに来るまでの道のりを思い返し、ふと、人の声が聞きたくなった。
ラジオの電池が…
僕はラジオを取り出し、スイッチを入れる。
「Someone Saved My Life Tonight」が聴けたら……。」
少しでもこの静けさを埋めたかった。
だが——
「……ん?」
ラジオは、うんともすんとも言わない。
おそらく、荷物の中でスイッチが勝手に入ってしまい、電池が切れたのだろう。
「……そうか。」
夜の静寂は、ラジオにも邪魔されることなく、ただ広がるばかりだった。
野宿前の大切な儀式
静かな夕飯を終え、タオルを持ってトイレへ向かう。
洗面所でタオルを濡らし、顔と首を拭く。
「……気持ちいい!」
三陸を走っていたとき、一度、体を拭かずに野宿して、身体に塩が吹いて痒くて目が覚める地獄を味わった。
それ以来、野宿時の身体拭きは、欠かせない習慣になった。
タオルを濡らして絞る。
また濡らして、絞る。
脇の下、胸、腕、下半身——ひんやりとした感触が心地よい。
拭き終わると、心なしか体が軽くなった気がした。
だが、その直後——
「……寒い。」
冷たいのではなく、寒さを感じる。
もう8月下旬。
北海道で感じたあの冷え込みが、本州の山間部でも漂い始めていた。
僕は笠間駅前に停めた自転車の隣にマットを敷き、寝袋を広げる。
「明日は早く出発しよう。」
そう思いながら、僕は静かに目を閉じた——。
反省会 16歳の僕と56歳の俺
56歳の俺「黄門様、いや、”肛門様” 危機一髪やったな!」
16歳の僕「あれは本当にヤバかったです! ジャスコが救世主でした!」
56歳の「油断してアイス2個も食べるからや……。」
16歳の僕「だって、どうしても甘いのが食べたかったんです!」
56歳の俺「気持ちは分かる。でも、その代償があの”極限の我慢”やで。」
16歳の僕「…次からは1個にしておきます。」
56歳の俺「で、ルートミスもやらかしたな?」
16歳の僕「埼玉を通らないと東京に行けないと思ってました……。」
56歳の俺「そのタイミングでハリボテ警官登場」
16歳の僕「あれ、めっちゃビビりました! でも、落書きされてる姿を見たら妙に親近感湧いて……。」
56歳の俺「で、最後は笠間駅の静寂に包まれ……。」
16歳の僕「はい。寂しい町、誰もいない駅舎、電池切れのラジオ……静かすぎました。」
56歳の俺「旅も終盤や。無駄なリスクは避けつつ、しっかり進むぞ!」
16歳の僕「はい! 明日も頑張ります!!」
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