このブログは、1985年に自転車で日本を縦断した“旅のタイムカプセル”を、
40年後の今、
再びその道を辿る“タイムカプセルの旅”として記録していくものです。
記憶を走る旅。未来へ続く道。
ふたつの時間軸が交差する物語を、あなたも一緒に体験してみませんか?
1985年7月27日 旅立ち
東日本一周4800kmの旅が始まった。
前日の夜、僕は興奮と不安でなかなか眠れなかった。
忘れ物があってはならないと何度も持ち物を確認し、気づけば深夜。
それでも、翌朝はもっと早く出発するつもりだったのに、目が覚めたのは8時。
出発の時点ですでにスケジュールが狂っていた。
それでも友人がわざわざ見送りに来てくれたのが嬉しかった。
この瞬間、僕は決めた。
もし途中で諦めそうになっても、「行かなかったことにする」なんてことはできない。
見送られたからには、最後まで走り抜こう。
12時、ついに出発。
大阪府吹田市の自宅を後にし、国道176号線を北上する。
本当は国道423号線を通るルートもあったが、アップダウンがきついため、遠回りでも楽な道を選んだ。
茨木、高槻を経由し、京都府に入ったのは午後3時。
気温35.2度。灼熱の中の走行。
昼にしっかり食べたはずなのに、すぐに腹が減る。
このままでは力が出ないと、大山崎の食堂で納豆定食(380円)を注文した。
普段はあまり食べない納豆も、旅のエネルギー源としてなら悪くない。
それにしても、長距離走行は想像以上にきつかった。
約1年間、片道15〜20kmの自転車通学で鍛えてきたとはいえ、40km以上を一気に走るのは初めてだった。
そして、ついに京都駅に到着したその瞬間——
「ヤバい……!」
右脚が攣った。
必死で揉みほぐしていたら、今度は左脚も攣る。
路上に座り込み、なんとか痛みを和らげる。
午後4時10分、京都駅で休憩。
20分ほど休んで、再出発しようとした、その直後——
「パンッ!!」
タイヤが弾けるような音がした。
まさかのパンクだった。
初日からトラブル。
落ち着いてチューブの破れた箇所を探そうとするが、水がないので分からない。
本来なら、水を張ったバケツにチューブを沈めて空気が漏れる場所を特定する。
しかし、そんなものはない。
仕方なく、耳を近づけて「シューッ……」と漏れる音を頼りに穴を探した。
見つけたら、紙やすりで削り、ゴムパッチを貼る。
修理完了まで40分。
午後5時10分、ようやく再出発。
次の目的地、大津を目指す。
しかし、ここで大きなミスに気づく。
道がわからない。
持っていたのは「東日本地図」。
「全日本地図は重いし、東日本しか行かないから」と軽量化を優先した結果、京都の詳細な道がわからなかった。
京都駅から大津へのルートを把握しておらず、地図を開いても手がかりはない。
とりあえず、ガソリンスタンドで道を尋ねることにした。
対応してくれた店員は、やる気のなさそうな歩き方で近づいてきて、適当に道を説明する。
「五条トンネル抜けて逢坂山超えたら大津やで」
それだけ聞いて、言われた通りに進んだ。
しかし、様子がおかしいことに気づいたのは、トンネルに入ってからだった。
車が異様に速い。
片側2車線の道路を猛スピードで車が走り抜ける。
トラックも容赦なく通過し、風圧で自転車が揺れる。
「あれ? これ、自転車で走ったらアカンやつちゃうん?」
後から知ったことだが、そこは「西大津バイパス」——自動車専用道路だった。
ガソリンスタンドの店員は、明らかに僕が自転車だとわかっていたはずなのに、なぜこんな道を教えたのか?
——まさか、あいつ……妖怪!?

「迷子生み妖怪」
出没場所 京都山科のガソリンスタンド |
惚けた顔で旅人を迷子にする妖怪。 道に迷うほどに喜び、 迷わず進まれると消えてしまう。 |
口癖「こっちだよ〜、あっちだよ〜」 |
この恐怖の道を走ること数十分。
なんとか抜け出したが、すでに暗くなっていた。
午後8時40分、ようやく大津駅に到着。
本当は駅周辺で野宿する予定だったが、精神的にも肉体的にも限界だった。
「もう無理だ……今日は宿に泊まろう」
こうして、僕は警察署を訪ねて安宿を探すことにした。
(次ページ:「守銭奴山姥の宿」へ続く……!)