旅のタイムカプセル

#12 黒ツナギの女神と連泊妖怪たちの夜

1985年8月7日 放水ジジイの怒声

〜霧吹きジジイ、第二形態へ〜

「おい!今から駅掃除や!このへん水ぶっかけるぞーー!!」

——ビシャビシャッ!!!

夢の中から引き戻されたのは、爆音のダミ声だった。
反射的に半身を起こすと、視界の向こうにオッサンの姿。

……目が合った。

そしてそのオッサンは、叫んだ。

「はよどかんと、全部ずぶ濡れにすんぞ!!ビッシャビッシャ!!」

来た!あいつだ!

一瞬で気づいた。

あれは……霧吹きジジイ!!!

いや、もう“霧”じゃない。
ホース持ってるし!
勢いすごいし!!
これはもう、放水ジジイ!!!

放水ジジイ

霧吹きジジイ第二形態

出現場所 札幌駅舎前
属性・・・妖怪
日が登る前、札幌駅舎を放水しびしゃびしゃにして野宿者を追い払う。
早くドカンとずぶ濡れになるぞ!

どうやら奴は、札幌駅の清掃員に化けて、
野宿旅人たちを水攻めにしているらしい。

仲間たちも目を覚まし、慌てて寝袋から這い出して逃げ出す。
5時前の薄暗い札幌駅前で、旅人たちが濡れネズミにならないよう右往左往

霧吹きジジイ、まさかの第二形態、放水ジジイ爆誕である。

朝5時、札幌駅に広がる混乱

僕も寝袋を抱え、自転車を押しながら何とか濡れずに済む場所へ移動。
でも、まだ体が起きていない。
頭がぼんやりして、ジジイの怒声が遠くで響いてるような……
耳鳴りみたいなあの「ビシャビシャ!」が、脳に残ってる。

うーん、ダメだ。今すぐ出発は無理だな。

ということで、自転車の点検タイムに突入。

ブレーキ、チェーン、ペダル、車輪、全部にオイル注入。
後輪のタイヤを見てみると——

ツルッツル。

「おぉ……こりゃ想定外……!」

予備チューブは持ってるけど、まさかタイヤごと交換が必要になるかもとは。
でも、まだ北海道の道のりは長い。何とかこのままもってくれ……!

放水ジジイ vs 野宿者たち

買っておいたパンをかじりながら、改めて駅前を見渡す。
放水ジジイたちが、意気揚々とホースで駅前を洗っている。
水を撒いているというより、野宿してる旅人たちを追い払うのが目的っぽい。

——まぁ、分からんでもない。

昨夜の公衆便所でのあのカオスな光景。
上半身裸の男たちが洗面所でボディ拭きまくってたアレ。

あれを見せられたら、放水したくもなるわな……

結局、どの視点に立つかで見え方は変わる。

僕らからすれば「放水ジジイ」は妖怪そのものだけど、
駅のスタッフからすれば、こっちこそ魑魅魍魎の妖怪の群れなのかもしれない。

そうか!
そう考えると、

妖怪 vs 妖怪

どっちもどっちだ。

広い歩道

〜エル字鉄柱と雨竜の気まぐれ〜

6時半、札幌駅を出発。
さすがに朝の札幌は車も少なくて走りやすい。

で、走りながら思った。

「……あれ? ここ、ちょっと大阪っぽいな?」

特にススキノあたりの雰囲気は、まさに“ミナミ”。
街のサイズ感とか、雑多さとか。なんかこう、肌に馴染む感じがある。

再び、パンと牛乳とエネルギー補給

さっきパンをひとつかじったけど、腹が持たなかった。
コンビニを見つけて、第2朝食のパンと牛乳を買い足す。
カロリーは正義。走るためには、とにかく食べるしかない。

食べ終えて、いざ12号線へ。
ここからはひたすら直線&平坦な北海道らしい道が続く。

でも驚いたのは——

「歩道、めっちゃ広いやん……!?」

大阪で言えば車道の広さレベルの歩道。
ここ、ほんまに歩道?て思うレベルでデカい。

そしてふと目に入ったのが、電柱とは別に立っている“エル字型の鉄柱”。

その先には、斜め下を指すような矢印。

「……なんやこれ? 畑でも示してるんか?」

しばらく考えて気づいた。

あっ、これ……雪道用や!!

降り積もった雪で道路の境界が見えなくなるから、
上から“ここが道やで”って教えるための印だったのだ。

北海道の本気を見た気がした。

「うわぁ……この辺、冬どないなってんねん……!
見てみたい気もするけど、走りたくはないな……」

滝川、そして“雨竜”の洗礼(軽め)

快走は続く。
道路はツルツル、段差もなくてスムーズ。
しかも坂道ゼロ。平均時速20km、これは気持ちいい。

滝川で空知川を渡り、275号線に入ったところでグッと交通量が減る。
それまで視界のどこかには車が一台、二台いたのに、今はゼロ。

そして見えてきたのが、**「雨竜町」**の看板。

「うわっ、すごい地名やな……“雨に、竜”って……なんか出そう……」

なんて思ってたら。

ぽつ……ぽつぽつ……

「おい……マジで雨降ってきたやんけ!!」

って言ってるうちに——終了(3分)

何このショート雨。完全に「通りすがりの気まぐれ」って感じだった。

北竜町、そしてこの日のプチ峠

北竜町に入る。もうすでに名前のセンスがカッコいい。

「北の竜」か、冒険小説に登場しそうだ。

このあたりから道道233号線に入ると、徐々に道が登り始める。
“峠”というほどではないけど、ダラダラと続く上り坂。

しかも、車も通らない。
静寂すぎる。
僕は「無音の坂道」を黙々と進んだ。

女神降臨

「留萌32キロ」の看板。
全行程がこのダラダラ坂ではないだろうが、32キロもあるのかとゲンナリする。
降りるほどではない登り坂に喘ぎながらペダルを踏んでいると、
ノロノロとバイクが近づいた。
抜かれた瞬間、ツナギの黒がやけにカッコよく見えた。

バイクは数メートル先で止まる。

ヘルメットを外すと、黒髪がサラリと流れた。
「この峠、もう少しだからね」

優しい笑顔と、落ち着いた声。
僕の思考、完全にストップ。

「あっ、ど…ども…」←高校2年男子、最大限の対応。

彼女の太ももにオレンジ色のバンダナが巻かれているのが目に入った。

「じゃあ、頑張ってね」
再びヘルメットをかぶり、バイクは軽やかに走り去っていった。

……え、今の何? 神話?

黒ツナギのライン。美しい横顔。完璧なタイミングの励ましの一言。

「黒ツナギの女神だ!」

黒ツナギの女神

出現場所 留萌
属性・・・女神
黒革のツナギを着た格好いい女性ライダー。太ももにオレンジ色のバンダナを巻いている。
お兄さん、頑張って!この峠もう少しよ!と青年サイクリストを励ます。

僕は惚れた。

完全に惚れた。
まだ出会って数秒、名前も知らないのに。
でもそれが高校生の夏旅というものだ。

その後は、彼女の残像を追いかけるように坂を登った。
追いつけるわけがない。でも、ペダルを止めたくなかった。

そして、彼女の言葉通り、間もなく峠の頂上に。
なだらかな下り坂が始まった。
上りもキツくはなかったけど、下りも優しい。こういう峠、好きだな。

横には留萌川が見える。
この川の先には、きっと日本海がある。
そしてその海のどこかに、女神のバイクが走ってるかもしれない。

午後5時半、留萌駅に到着。
駅前にはヒッチハイカーが数人。
「目的地・稚内」みたいな段ボールを掲げて、親指を立てていた。

ふと、「自転車ごと乗せてくれるトラック来ないかな…」なんて考えてしまった。
でも、実際に来ても乗らないだろうな。
じゃあ、もしあの黒ツナギの女神がバイクの後ろに「乗って」って言ったら?

——即答で「はい、乗ります!!」だろうな。

留萌川を渡ると、日本海が目の前に広がっていた。
キラキラと光る海。風も気持ちいい。
5日ぶりの日本海だ。

目の前に広がる海が、
ほんの少し、彼女の後ろ姿に見えた気がした——

トランプの儀

素晴らしい夕景を左に海岸線を走る。
6時過ぎ、小平駅着。
直接宿に向かっても良かったが、小さな町の駅舎を見るのも楽しい。
ぐるりと駅を見学する。
6時半、草原にポツンと立つ 小平町立望洋台ユース が見えた。
国道232号線の坂の途中にあり、海風がまともに当たる立地からとても寒々とした雰囲気。
最果てのユースといった感じだ。

受付を済ませ、相部屋の二段ベッドに荷物を放り込むと、
すでに始まっている夕食へ向かう。
昼食をまともに摂っていなかったが、なぜか空腹感はない。
おかわり一杯だけで夕食を終えた。

「さぁ、洗おう!」

そう思って立ち上がると、ヘルパーがニヤリと笑った。
「ここは少し違うシステムでね……」

テーブルの上に置かれた トランプ

宿泊者20名が、一枚ずつ引く。
「数字の小さい3人が、全員の食器を洗う」 というルールだった。

ハズレは 20分の3

「おいおい、8以上ならまず大丈夫だろう?」
「1とか2を引いたら地獄だな!」

あちらこちらで声が飛び交い、場が一気に盛り上がる。

みんな、カードを引く前に奇妙なおまじないをする。
カードを引いた瞬間、 「ウォーッ!!」 と叫び、 ドカッと倒れる者 もいる。

(……おそらく「2」だな。)

デッキが僕の目の前に掲げられる。
もう3人倒れているので、ほぼセーフなはず……。

「10」

……大丈夫!
20人分の食器は大変だが、僕は静かに部屋へ戻った。

妖怪風呂

荷物を整理し、風呂へ向かう。
不思議と誰も風呂へ行く気配がない。

(……みんな、もう入ったのか?)

のれんをくぐると、すべてを理解した。

「……なんだ、この汚さは!!!」

湯は白濁し、 垢が舞い、悪臭が漂う。

これはもう、 湯船に妖怪が潜んでいたとしか思えない……!

銭湯育ちの僕は、風呂の入り方を知っている。
普通、湯に浸かる前に 身体を洗う か、 最低でも掛け湯をする ものだ。

しかし、どうやらここでは 妖怪たちが、風呂をまるで洗濯機のように使っていた らしい。

「……お清めの儀が、必要だ。」

僕は静かに掛け湯をし、 呪われた湯へと足を踏み入れた。

妖怪風呂

場所 小平町立望洋台ユース
連泊妖怪がモラルに反した入浴でドロドロ妖気にまみれ汚染された風呂。
お兄さん、頑張って!この峠もう少しよ!と青年サイクリストを励ます。

妖怪ユースの住人たち

風呂から上がると、すでに夜のミーティングが始まっていた。
僕にとっては、あの“伝説の大沼”ことイクサンダー大沼以来、二度目のミーティングだ。

だが、雰囲気はまるで違った。

ここ「小平町立望洋台ユース」に漂う空気は――言うならば、“湿っぽい”。
宿泊者たちの年齢層は高め。ヘルパーも、お客も、どう見てもアラサー〜アラフォーが混じっている。
しかも中には「5泊目です〜」「6泊目っすね〜」なんて言う連泊常連がゴロゴロいた。

最年少16歳の僕には、まずこの“連泊”という概念が理解できなかった。
ユースって、一泊かせいぜい二泊する場所じゃないの?

「仕事してないからね〜、何泊でもできちゃうの〜」

……と、焦点の合わない目で笑う彼ら。
妖気ダダ漏れである。

──あっ、こいつら、もう人間じゃない。
完全に“妖怪化”してる!

そして僕は、ようやくさっきの風呂の真相に気づいた。

あの白濁した湯、漂う垢、異様な悪臭——
あれは 彼ら、妖怪連泊組 の仕業だったのだ。

話を聞くと、彼らはかつて“社会人”だったという。
だが、数年前「礼文島の桃岩ユース」に泊まったのが運の尽き。
あまりの楽しさ(?)に社会復帰のルートを失い、そこから「ユース放浪の旅」に突入。

「もちろん会社もクビ。自由な人生。毎日がミーティングなの〜!」

笑って言うが、目が笑ってない。
というか、目の奥、完全に虚無。

さらに、ここ小平ユースには「連泊すると景品がもらえる」システムがあり、
“妖怪進化”を加速させるイベントが堂々とパネル掲示されていた。

連泊3泊目でもらえる謎のキーホルダーから、
7泊目で贈られるという「称号」、
そして更に1ヶ月で「殿堂入り」まで——

これはもう、ヤバイ。
大沼の爽やかミーティングが光の存在なら、
ここは闇。
完全に 闇ミーティング だった。

ギターが狂ったようにかき鳴らされ、歌が呪文のように響く。

「連泊バンザイ、連泊バンザイ!」
「会社が何だ! 部長が何だ!クビ上等!」

「連泊バンザイ!連泊バンザイ!デロデロデロ〜!」

連泊妖怪

出現場所 小平町立望洋台ユース
属性・・・妖怪
社会から逸脱し、ユースで連泊するうちに妖怪化
旅人を同じく連泊妖怪にする。

最年少の僕は、壊れかけた大人たちに囲まれて硬直するばかり。
横にいた中年ライダーが言った。

「俺、もう一週間ここにいるんだけど……今夜で称号もらえるだ〜!」
「……!おののく僕。
気づいたらそうなってたんだよね〜、でも嬉しい!」

まるで“妖怪の自覚”がないのが、また怖い。

「部長も〜!社長も〜!」
「悲しいことに〜!連泊は無理!」
「部長も出禁!社長も出禁!」
「俺たちゃ!永久パスポート!」

彼らはただ、社会からフェードアウトしただけではない。
僕を、新たな“見習い妖怪”として取り込もうとしているのだ……!

「やめてくれ、俺はまだ、普通の旅人でいたいんだ!」

そんな僕を救ったのは、スタッフのひと声だった。

「明日、午前4時から小平名物ソフトボール大会を行いま〜す!希望者は手を挙げてくださ〜い!」

僕は即座に手を挙げた。
早朝4時でも、問題ない。むしろ清々しい!

……が、手を挙げていたのはスタッフと僕だけ。

「え、えぇぇ〜〜……!」

スタッフは粘り強く声をかけるが、妖怪たちはのらりくらり。

「バイク旅は疲れるからさ、朝から体力使いたくないんだよね〜」
と、ぬめっとした声で答える妖怪ライダー。

もう完全に“妖怪風呂”の臭いがしてる。

残念なことにソフトボールはメンバーが集まらなかった。

アイスクリームと花火大会

解散後、ソフトボール開催を提案していたスタッフが僕を呼び止めた。

「ありがとうな。」そう言って僕にだけ、 アイスクリーム をくれた。
おそらく 「ソフトボールが流れたお詫び」 だろうが、それだけではない気がした。

「ところで、お前の旅の予定は?」

彼は僕のルートを聞き、いくつかアドバイスをくれた。
「紋別流氷の宿や野村川湯のユースは、料理が最高だぞ!」

そうして、細やかながら庭で花火大会をすると言う。
鶴岡や洞爺湖で町をあげて開催する花火大会とは違って、
市販の花火を目の前の空き地でやると言うのだ。

それは良い。

外に出ると、何人かが花火を手にしていた。

「おー、来た来た!」

誰かが言った。

パーン!
パチパチパチパチ!

みんなが手に取る派手な花火を横目に、僕は 迷わず線香花火 を選んだ。

「パチ、パチ、パチ……」

妖怪たちの狂気とは対照的に、
この火は 静かに、穏やかに、そして確かに燃えていた。

やがて最後に 小さな涙のような光 を放ち、スッと消える——。

その瞬間、ミーティングで浴びた 妖気がすべて燃え尽きた気がした。

僕は静かに目を閉じた。

「明日になれば、僕はまた旅に出る。」

線香花火の残り香だけが、夜風に消えていった——。

16歳の僕 vs 56歳の俺 反省会(12日目)

札幌駅・野宿者撃退の朝

16歳の僕
「まだ寝ぼけてたのに、一瞬で野宿者どもを蹴散らしました。」

16歳の僕
「それは言わんといて…でも確かに札幌駅の公衆便所は、ほぼ妖怪の巣窟やったな。」

16歳の僕
「まぁ、目覚めは最悪やったけど、おかげで早く出発できたわ。

黒ツナギの女神降臨

16歳の僕
「いや、マジであれはズルいやろ。黒のツナギ、バイク、振り向く美しい横顔……惚れるに決まってる!」

16歳の僕
「ほんまにあの峠、女神のために登れた!」

妖怪ユース・小平町立望洋台ユース

16歳の僕
「完全に 妖怪生産工場 やったな。」

16歳の僕
「マジでヤバかった。あのミーティング、もう妖怪の儀式やったわ。」

16歳の僕
「線香花火で妖気が浄化された気がした。」

16歳の僕
「そうそう。最後の『静かな炎』は聖なる炎。」

16歳の僕
「うん。まぁ…でも、黒ツナギの女神のことは一生忘れへんわ。

16歳の僕
「マジで!?」

  • 駅での野宿エピソードがあれば教えてください。
  • 北海道に限らず、凄いユースに泊まった事はありますか?

コメントでぜひ教えてください!😊

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