1985年8月8日 旅に油断は禁物
目を覚ますと昨日のソフトボールメンバーが集まらなかったことが真っ先に思い出され憂鬱だった。朝食をとりゆっくりと身体を休める。
札幌の朝の出来事を埋め合わせるかのように。
8時30分、宿を出る。
自転車に荷物を積んでる時に異変に気付いた。
自転車の後部につけていた旗がないのだ。
僕の自転車が車の運転者からわかりやすいように黄色い旗を立てると良いと金沢の土産物屋で貰ったものだ。土産物屋の店主が好意でくれたのだ。針金でぐるぐると巻いて括り付けていた。
その旗がない!
昨日まで確かにあったのに!
いや、落としたのか? 風で飛ばされた?
……違う、昨日の夜までは確かにあった。
あの一見大学生風ライダー……「欲しい欲しい」って言ってたな。
まさか、そんなはず……いや、まさか……
そう言えばしんどいからとソフトボールを断ったのもアイツだった。
「ダラけ連泊妖怪!」
こいつの能力は 「寝て起きても昨日の続き」
だらけ連泊妖怪
出現場所 小平町立望洋台ユース |
属性・・・妖怪 |
連泊妖怪のだらけバージョン 他人の物に手を出す |
それっいいなぁ〜! 欲しい欲しい! ちょうだいちょうだい! |

旅をしない旅人。ユースホステルに宿る怠惰の化身。
綺麗な風呂を妖怪風呂に変え、ソフトボールには参加せず、他人のものを欲しがる妖怪——
そいつが、僕の旗を持って消えた。
「あいつだ!」
疑いたくはないが僕は確信した。
怒りが込み上げる。でも、それ以上に虚しい。
こんな旅をしてる奴らは、みんな同じ「旅の仲間」だと思っていた。
旅人は旅人を助け合うものだと、そう信じていたのに——。
「……こんなことも、あるんだな」
盗られたのは旗だけじゃなかった。
僕の中の、旅人同士の信頼までも奪われた気がした。
盛大な見送り
ユースを出発しようと荷物を積んでいると、外から声が飛んできた。
「行くか!大阪人!」
昨日アイスをくれたスタッフ、そして連泊組の中でもまだ人間の心を残していたらしい3人が、玄関先に出てきていた。
そのうちの一人が、紙に包んだものを手渡してくれた。
「昨日も言ったけど、この先すぐに心臓破りのアップダウンがある。駅も無人駅ばっかりで何にもない。もし腹が減ったら、食ってくれ」
……あったかい。
紙のぬくもりで、すぐにそれが“おにぎり”だとわかった。 開けると、包み紙に手書きでこう書かれていた。
「気をつけて、よいたびを。あんたはすごい!」
そのひと言で、朝のしょんぼりが吹き飛んだ。
「ありがとうございます!!」
思わず深々と頭を下げた。
そして、まさかの合唱が始まった。 「思い込んだら〜試練の道を〜♪ 行くが男の〜ど根性〜♪」
……なぜ「巨人の星」やねん。
「また来いよー!」 「いや、もう来るなよー!」 「俺みたいになるなよー!」
と、大漁旗を振りながら叫ぶ声の中に、なぜか切なさが混じる。
きっと、妖怪になりきれない、どこかに残った人間の魂が叫んでいたんだと思う。
振り返ると、あの何もない草原の中に立つ小さなユース。
飯は普通、風呂は最悪、連泊者は半分妖怪。
だけど、何かが心に残った。
人になるか、妖怪になるか。それを決めるのは、自分自身なのだ。
【そして事件は起きる】
小平トンネルを抜けて1時間後、時刻は9時40分。
「プシューッ!」
あー、通算3度目のパンク。 ちょっと間隔が短くなってる。これは全体的にタイヤが傷んできたのかもしれない。 落ち着いて修理するけど、気持ちは正直どんより。
朝から旗を盗まれ、感動の見送りで泣きそうになり、そしてパンク。
まさに心のアップダウンが激しい1日だ。
【再び、海へ】
11時45分、苫前駅に到着。
道中、裏庭の倉庫かと思うような「力昼駅」をはじめとして聞いた通り無人駅ばかり。
ようやく人の気配のある駅に辿り着いた。
それでも町は閑散としていた。
「羽幌まであと8キロか」
地図を見ると、羽幌の方が町の規模が大きそうだったので、そのまま走る。
やがて、海が見えた。
海岸線で、自転車を停めて深呼吸。
例のおにぎりを取り出し、ひと口噛んだ。
うまい。
しょっぱすぎず、優しい味だった。
目の前には、広がる日本海。
風は強く、波は高い。
そして空は、どこまでも果てしなく広い。
大阪を出発したのがずいぶん前のことに感じる。
「ああ、旅してるなぁ……」
ふと振り返ると、遠くに小さくなった道と、僕が走ってきた軌跡。
宗谷岬まで、あと200キロを切った。
明後日には着けるかもしれない。
旅の“前半”が終わりに近づいている。
暴風魔人とアップダウンデビル
さぁ、行こう。
羽幌の町を抜け、次の町へ向けてペダルを踏む。
……と、すぐさま、僕は目の前の光景に言葉を失った。
「……これ、が、本番か……」
僕は、小平から羽幌までのアップダウンが例の“心臓破りの道”だと勝手に思っていた。
甘かった。
あれは前菜で、ここからがフルコース。
目の前に広がる道は、まるでジェットコースターのレール。
ぐわんぐわんと上下しながら、遥か彼方まで続いている。しかも……
猛烈な風!それも、ただの向かい風じゃない!
風は巻き、押し、引き、時に自転車ごと持ち上げようとする。
──ブワァアッ!
「ウラーッ!お前など吹き飛ばしてやるー!ブローッ!ブローッ!」
出た! 暴風魔人!!
暴風魔神
出現場所 サロベツ、黄金道路、日本の暴風地域 |
属性・・・悪魔 |
強風で自転車の行手を阻む。時に車さえも吹っ飛ばす。 |
「ハッハッハ!進ませるか!」 |

その姿は見えないが、確かにそこにいた。
風という風が怒りを宿して僕を襲ってくる。
道路脇には「横風注意」「強風による事故注意」と書かれた、
車が浮いてる標識が散見される。
「これ……車でもアカンやつやん。」
そして、魔人の怒りが僕の相棒を襲った。
ブチッ!
僕の大切な麦わら帽子の紐が、風に引きちぎられたのだ。
「あっ……!」
次の瞬間にはもう、帽子は小さな渦に巻かれて海の向こうへと消えていった。
相棒の最期は、潔すぎるほど潔かった。
「さらば、麦わらの友よ……」
そのとき、新たな敵が姿を現す!
「兄弟!俺も加勢するぞ!」

アップダウンデビル
出没場所・・・日本全国。坂道を司る魔人 |
属性・・・魔人 |
容赦ない登り坂の連続でサイクリストを苦しめる |
「グハハハっ!どうだ登り降りの連続は! 諦めて帰れ〜!」 |
アップダウンデビル!
道そのものがトリックのように、上へ、下へ、まるでトランポリンのようだ。
しかも坂を登る時には向かい風、下る時にも風が巻くのでスピードが出せない。
暴風魔人との連携プレイが完璧すぎる!
しかも急に舗装道路が終了し砂利道へと変わった。
「……えっ、これ国道!? 砂利道やぞ!?」
地図を確認して驚く。
今走ってるこの道……ちゃんと「国道232号線」って書いてある。
もはやアップダウンとか風とかいう以前に、道そのものが裏切ってきた感覚だった。
国道って、もっとこう……舗装されてるもんじゃないのか!?
さすがは最果ての北海道。
常識なんて、ここでは役に立たない。
このような場所では砂利道であっても国が管理した有難い国道なのかもしれない。
僕は、暴風魔人の罵声とアップダウンデビルの罠に耐えながら、黙々とペダルを踏み続けた。
牛乳大明神
昨日買い直した水筒の水も空になった。
水をもらおうにも駅は全て無人。
ほとんど民家もない。
一軒一軒の家の間隔が2キロも3キロもあるのだ。
「民家で水をもらおう!」
喉の渇きは限界に達し、頭は朦朧。身の危険を感じた。
しかし、民家が見当たらない。
仕方がないので国道から見えた牧場らしい所に向かった。
近くに思えたが走り出すと結構な距離がある。
とにかくあそこまでいけば何とかなる。
両サイドの草原には柵はあるものの牛が放し飼いをされていて草をはんでいる。
フラフラになりながらようやく玄関らしい所に着いて「すいませーん」と声をかける。
しばらくすると、無地のTシャツとダブダブの作業ズボンを履いた、ガッシリした男が現れた。
まるで牛を擬人化したような体格。まさに “牛乳の申し子” という感じだ。
「神々しい!牛乳大明神の降臨だ!」

牛乳大明神
出現場所 羽幌〜初山別間 |
属性・・・神 |
あまりにも過酷な道中で、限界に達した旅人の前にのみ現れる。 |
片手に搾りたて用ガラスの聖杯を持つ |
私はその姿を見てついつい
「牛乳分けてもらえませんか?」
予想外の頼みだったのか、一瞬キョトンとした顔をしたが、
「あぁ、いいよ!」と笑ってくれた。
奥に戻ると、透明のグラスに なみなみと注がれた乳白色の液体。
それを手渡されると、すでに喉が「早く飲め」と言わんばかりに鳴っている。
「この牛乳はな、今朝取れたもので熱入れてあるけどそれ以外は何にも手はくわてないよ。」と私に手渡してくれた。
一口飲む。当たり前だが美味い。よく見ると黄色っぽい湯葉のようなものが浮かんでいるし、全体的に象牙色といった感じだ。
ゴクッ……ゴクッ……ゴクッ……!
一気に流し込む。
身体の奥に “命の水” が染み渡る。
指先に力が戻ってくる。朦朧としていた意識がクリアになっていく。
「うまい……!これが本物の牛乳か!」
グラスの表面には 黄色っぽい湯葉のようなもの がふわりと浮かぶ。
「まるで牛乳の精霊が舞っているみたいだ……」
“牛乳大明神” はニッと笑って言う。
「もう少し早かったら、水筒に入れて持たせてやれたんだけどなぁ。」
申し訳なさそうに言う。
申し訳ないのはこちらの方だ。
突然現れて、牛乳を催促するなんて。
でも——
この牛乳がなければ、僕は本当にヤバかった。
そして空の水筒に水を満タンにしてもらった。
「ありがとうございました!」
僕は深々と頭を下げた。
ふと見ると、牧場の看板にこう書かれていた。
「峰川牧場」
この名前は、一生忘れない——。
スリ妖怪
牛乳と水筒満タンに充してくれた水のお陰で地獄だったアップダウンを走り抜いた。
午後5時10分、国鉄天塩駅到着。
駅舎は庇もなく、こぢんまりとしていた。
今日はここで野宿のつもりだ。雨こそは降らないが今にも降り出しそうな空。
僕は心細さを感じていた。
とにかく雨が降らないことを願う。
程なくすると、駅舎の前に自転車を停める人がいた。
自転車と積んでいる大荷物からサイクリストなのは間違い。
「今日、ここで野宿?」僕は彼にそう聞いた。
彼は返事もせず首を横に振った。
彼の表情は暗く沈んでいた。
「今から苫小牧に帰るんだ。」ようやく思い口を開いた。
苫小牧と言うとここから300キロ以上もある。自転車では到底不可能な距離だ。
「ここから今から自転車って?」僕は驚いて聞き返す。
「親が車で迎えに来るんだ。」
僕は急に自分の立場と置き換え、そうか同じ道内なら体調が悪くなったら迎えにきてもらえるな。だけど僕の場合、大阪からでは到底無理だな。
そうなったら自転車を置いて列車で帰るしかないなと身が引き締まるように感じた。
彼の表情は暗かったが、自転車でここまでやってきた様子を見ると、
体調が悪い訳ではなさそうに思えた。
「何かあったんだ!」
僕は色々詮索するのは良くないと思い、ここまで色々尋ねた事を申し訳なく思って黙った。すると自分からは全く話さなかった彼が急に話し出した。
「あんたこれから北の方に行くのか?」
「うん、宗谷岬を目指してるから。」
「そうか、もし稚内駅で野宿するなら十分気をつけろよ。」
「えっ、」
「あそこは野宿仲間のふりをしたスリがいる。」
詳しく聞くと、彼は昨夜稚内駅で野宿をしていて、
ちょっとした隙に小銭以外のお札、全部を盗まれたと言うのだ。
夜には確かにあったと言うが、
今朝出発する時に気付いて寝ている時か、
夜の時点ですでにスられていたのかは分からないと言う。
彼は僕と同じ高校2年生だった。
「折角の夏休みの旅が、、、」実際に涙は見せなかったが、
彼の心が泣いているのが分かった。
あっ、そう言えば、今朝僕も旗が無くなっていた。
盗ったと思われるヤツの顔が浮かんできた。あのニヤケ顔。
「スリ妖怪め……!こいつは旅人の弱みにつけ込む狡猾な妖怪だ!」
「純真な旅人の財布を狙い、夢を食らい、希望を飲み込む——そんな妖怪が、旅の世界に潜んでいるのか!」
まだ記憶が鮮明なので、その顔がリアルに思い出される。
目の前のサイクリストのお金も「スリ妖怪」が盗んだように思えて、
許せない気持ちになった。
僕もここまでは何も無くて済んだが、そうか貧乏旅行の仲間といっても所詮他人だ。
先程までこの天塩駅に野宿するなら、
誰か仲間が来ると良いなという自分の軽率な気持ちを諫めた。
どんな奴でも妖怪かもしれないのだ。
彼は稚内で今朝お金を盗まれたことに気付き、家に電話をした。
稚内から天塩まで約70キロ。
彼が自転車で天塩に来る時間と、3
00キロ先の苫小牧の彼の親が車でここに来るのにかかる時間は大体同じだろう。
彼が到着して1時間も経たないうちに彼の親はやって来た。
別れは呆気なかった。
大きな声で別れの挨拶をするでもなく、彼は無言で折りたたんだ自転車を車に積み込み、試合に負けた敗者のように去って行った。
彼は負けたのではない。
しかし、彼の今後の旅人や人に対する不信感。
人を信用しきれないトラウマのようなものが確実に植え付けられただろうな。
先ほどより更に雨が降り出しそうになってきた。
霧が濃くなり視界も悪くなってきた。
また一人になった。孤独感に苛まれる。
「ポツリポツリ」
とうとう雨が降り出した。庇がないので駅舎に入る。
雨は彼の涙のように感じた。
きっと親が運転する車の中で、色々聞かれて悔しくてようやく今、
本当に涙を流しているかも知れない。
鈴蘭食堂
雨が本格的になった頃、
3人組のサイクリストが駅舎の前に自転車を停め「参った参った」と駅舎に入ってきた。
彼らも高校生に見えた。
「雨の中大変やったねぇ」
僕は彼らに声を掛ける。
「そうなんよー、まだこれから豊富まで走らないと」と言う。
もう6時過ぎ。豊富までは30キロ以上ある。
この雨だと2時間は掛かるだろう。
しかし彼らはすでに豊富温泉ユースを予約しており、
雨に濡れても温泉に入れるからと行く気満々なのだ。
大雨に当たりながら走って、その後の温泉。羨ましい気もした。
彼らは数分ほど休みをとって、雨合羽を整えると3人で
「行くぞー、おー!」と気合を入れ直し、走り去って行った。
その姿を見ていると、僕に元気を注入するかのように思われた。
「ザーザーザー」
雨は本格的になってきた。
「雨が止んでくれたら、」ベンチに座りながら薄暗くなってきた雨降る外を眺めていた。
駅舎には僕一人。
駅員さんが声をかけてきた。
「ここに野宿する気かい?」
「はい。」
「ここは無理だよ。駅舎は夜になると締めるし、外も今夜は霧が深いし雨も止みそうにないよ。」
「分かってる。」と言いたかったが、そうか駅舎も戸締りするのかと絶望的な気持ちになった。雨を凌ぐ場所が何処にもないのだ。僕は困った顔をするしかなかった。
「よしっ、良いところを教えてあげよう。」と駅員さんが手招きする。
立ち上がって駅員のいる窓口に行くと駅員は紙とペンを持ちながら、
「夕食と朝食を食べれば無料で泊めてくれる食堂がある。」と地図を書き始めた。
「鈴蘭食堂と言ってね、気の良いお爺さんがやってるよ。」と書き上げた地図を手渡してくれた。
「そんなところがあるんですか!」僕は驚いて尋ねる。
喜びもあったが驚きが先だった。
喜ぶ僕に駅員さんは「ちょっと待って、この雨だし他に人がいて一杯とか、急な休みだったりするといけないから」と電話の受話器を取った。
鈴蘭食堂に電話を入れて確認してくれているのだ。
「今から一人向かいます。」と電話を切った駅員さん、「大丈夫空いてたよ。行きな!」
僕は深々と礼を言い駅舎を出た。
外は土砂降り。
僕は合羽を着込んで鈴蘭食堂に向かって走り出した。
飯も食える。雨も凌げる。まさに逆転ホームランのような流れ。
やがて、雨に滲んだ鈴蘭食堂の看板が見えてきた。
鈴蘭の翁
出迎えてくれたのは70歳前後のお爺さん。
駅員さんが行った通り気の良さそうなお爺さんだ。
お爺さんは「鈴蘭の翁」といった感じで、昔話に登場するメルヘンの世界に生きている感じがした。

鈴蘭の翁
出現場所 天塩・鈴蘭食堂 |
属性・・・神 |
あるものには見え、あるものには見えない幻の食堂。食事をすれば寝床を提供 |
旅人に温かい食事を授ける。「しっかり食っていけ!」 |
「……お主、ここへ導かれたか。」
お爺さんは、まるで 旅の運命を見透かすような目 で僕を見た。
「ほら、2階に上がれ。仲間が待ってるぞ。」
まるで、僕がここに来ることが 最初から決まっていたかのような 口ぶりだった——。
駅員さんが電話で確認してくれているとは言え、全然知らない人間をこんなにも簡単に家に招き入れる事に少し戸惑った。
「お邪魔します!」とだけ言って、僕は2階へ上がる。
2階には二人のサイクリストらしき人がいて、二人とも寝そべって漫画を読んでいた。漫画まで置いてあるのか。とりあえず挨拶代わりに僕は「どっからですか?」と尋ねる。二人は同時に俺か?と顔を見合わせた。
どうやらこの二人も知らないもの同士らしい。
二人の話を交互に聞いていると、僕が来るまで会話が一切なかったことが伺えた。
僕は誰でもすぐに話しかける性格だ。初対面はお互いの情報を交換する貴重な機会。
しかし誰もがそうではないらしい。
二人の話を一通り聞くと「ところで君は?」となった。
僕は大阪からお買い物自転車で来たことを告げると「ウソや!来れるかー?」全く信じてもらえなかった。
「おーい!」お爺さんが下から呼んでいる。どうやら夕食を何にするか決めろという。
下に降りて壁に貼ったメニューを見る。
そんなに種類はない。
とにかく夕食と明日の朝食を食べる事が無料宿泊の条件。
この雨の中泊まらせてくれるだけでも有難いので、夕食は何でもよかった。
「オススメは?」と聞くと「すずらん丼」だと言う。
鈴蘭食堂なので、店名に丼が付いただけの代物。
「鈴蘭の翁」の眼光は全員同じそれにしなさいとでも言うような威圧感を感じた。
その威圧感から優しい翁でありながら歴戦の猛者でもあったことが伺えた。
僕たちはそれに従い3人ともすずらん丼を頼んだ。
頼んで気が付いたが、親子丼や天丼と違って何が上に乗ってくるのか見当がつかない。
なるほど、その日の余り物を使えると言う点ですずらん丼はとても便利の良いネーミングだ。感心しているとすずらん丼がやってきた。
すずらん丼はお麩をだし卵でとじたものだった。
「腹が減ってるだろうから、みんなご飯は大盛にしてるからね。」
「ありがたい!」
3人はアッという間にすずらん丼を完食。
2人は満腹と言っていたが、僕はまだ腹八分目も満たされていなかった。
お爺さんにカレーライスは出来ないかと尋ねた。
「さすがよく食べるねー!すぐ作るよ!」
良かった。昨日まで食欲があまりなかったが、胃腸も完全復活と感じた。
「すまんかったな」とお爺さんはカレーを出してくれた。
そしてカレー代は半額にしておくよと言った。
夕飯が終わると銭湯に向かった。
賞味期限内のパン探し
まだ7時過ぎだが、外はすでに真っ暗。
雨は小降りになっていた。
サイクリストの一人が僕の自転車を見て、「本当にこれで?」と笑っていた。
お爺さんに詳しく聞いて銭湯に向かうが迷ってしまった。
そんなにややこしくない小ぢんまりとした町なのに。
結局人に尋ねて銭湯に到着。
すでに雨は上がっていたので濡れずに済んだ。
風呂から上がると、また腹が減ってきた。
昨日まで食べられなかった分の埋め合わせをするかのように腹がグーグーと要求する。
彼らも本当はすずらん丼だけでは足りなかったと言い、パンを買って食べようとなった。
銭湯に来る前に見たパン屋があったので向かう。
さて、どのパンにしようかと探す。
しかしあるパンあるパン古いものばかりなのだ。
3日前は当たり前で、一週間前のもある。
お店のおばさんも真っ先にその事を言った。
「期限をよく見て買ってね。」
クリームパンやジャムパン、味で選ぶのではなく期限が切れていないか、もしくは少しでも新しいパンを選ぶというこれまで経験した事のない選択方法で選ばなければならなかった。また、飲み物も牛乳とコーラ、オレンジジュースしかない。
コーヒー牛乳はないかと尋ねると、売れないから置いてないと言う。
大体牛乳でさえもあまり売れないと言うのだ。
僕は北海道といえば、牛、そして牛乳。
牛乳といえばご飯でなくパンと連想し、北海道の人はパンをよく食べるのではと勝手に連想していた事を告げた。
しかし、おばさんに「北海道の人はパンは食べないよ、力が出ないからね。みんなご飯。」
先日同じ話を聞いた気がした。
パンを齧りながらすずらん食堂に戻る。
2階に上がるともう一人サイクリストが増えていた。
新しい情報を聞きながら、部屋を見回すとこれまで沢山の旅人が訪れた思い出の写真や手紙が貼られている。
また、徒歩で日本縦断をした人が紹介されている新聞なども貼ってある。
偶然とは言え、凄いところに来てしまった。
だけど、ユースホステルと違って、すずらん食堂を知る情報元がない。
僕も偶然駅員さんに教えてもらったのだ。
こんな貧乏旅行者にありがたいところなら噂になってもおかしくないのに。
今度は誰かに会った時、もしその旅人が「天塩駅」で泊まるなら教えてあげると良いかも。
だけど、すぐに考えを改めた。
あんまり沢山人が来てもお爺さん大変だろうな。
また沢山来すぎて断るのもお爺さん気の毒だな。
結局雨に降られて困った人が駅員さんに選別されて、悪くなさそうな人だけがやってくる。それがすずらん食堂なのかもしれない。
よく不思議な話であるような、ある人には存在して、ある人には存在しない場所。
そんな御伽話の世界だけにある食堂に僕は幸運なことに招かれたのだ。
ありがとう。
感謝の余韻に浸りながら眠りについた。
反省会:16歳の僕と56歳の俺
16歳の僕「この日のアップダウンと暴風はキツかった!」
56歳の俺「お前、ジェットコースターかってくらいヒィヒィ言うてたな」
16歳の僕「しかも、暴風魔人がずっとビンタしてくるんですよ!」
56歳の俺「麦わら帽子も一撃で飛ばされたな。妖怪に供物を捧げた気分や」
16歳の僕「ほんとキツかった…でも、峰川牧場の牛乳大明神が救ってくれました!」
56歳の俺「あの牛乳はガチで神やったな。ま、オレは今なら道の駅でカフェラテ飲むけどな」
16歳の僕「え、ずるい!」
56歳の俺「そやけど鈴蘭の翁! すごいなぁ。キミはメルヘンの扉を開けたんや!」
16歳の僕「はい!雨の野宿から部屋で布団に昇格!ありがたかったです!」
56歳の俺「ほんま、地獄で仏とはこの事やね!」
- あなたは旅先で何か盗まれたりしたことはありますか?
- 旅先で雨の日に泊めてもらった経験はありますか?
コメントでぜひ教えてください!😊
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