1985年8月9日 鈴蘭の翁、お元気で! 旅人を送り出す”伝説の朝ラーメン
「おーい!」
午前6時、翁の声で目が覚めた。
「おーい!!起きろー!!」
また翁の声。僕は天気が気になって真っ先に窓を開ける。雨は降っていない。
が、安心できる空模様ではなかった。
まだ眠い。もう少し寝ていたかった。
しかし、翁は早急に降りてこいと言う。
翁の声には迫力があり、「まるで新兵を叩き起こす鬼軍曹!」のようだった。
僕たちは急いで階段を降りた。
するとテーブルに4人分の湯気の立った熱々のラーメンとご飯が並べられていた。
僕は驚いた。通常は超速と言えばパンとか卵かけご飯だろう。
なのにラーメンとご飯。
まるで旅人の心を鷲掴みにするような朝メニュー。
そうか!早急に降りてこい!という迫力はこの熱々のラーメンを僕らに食べさせるためのものだったのだ!
それまでノソノソ動いていた僕たちは素早く席に付きラーメンに向かった。
「いただきます!」
湯気が立ちのぼるスープに箸を入れると、モチモチの麺が顔を出した。
レンゲでスープを一口——染みる!身体の芯まで温まる味だ!
ほどよいコクと塩気が舌に広がる。
“これだよ、これ!”
まるで長旅の疲れを癒やす”旅人専用”の一杯じゃないか!
僕は今後、「すべてのユースの朝食はラーメンご飯で統一すべきだ!」と真剣に思った。
僕たちは口も聞かずにラーメンとご飯を平げた。
さすが天晴れ!これまで旅人を沢山面倒見てきた鈴蘭の翁に心から称賛の拍手を送った。
私は幸運にもこの北の大地に伝わる伝説の朝ラーメンを味わうことができたのだ。
テレビから気になる天気予報が流れていた。
「今日の北部は全般的に曇り時々雨。降水確率は80%」
僕たち全員小さくため息をついた。ただ、昼までは何とか持ちこたえそうだ。夕方からが本格的な雨。夜は本降りの予報。それなら昼までに稚内駅に着けば良い。ここから稚内まで約70キロ。無理ではない距離だ。
荷物を用意して外に出ようとするとサイクリストの二人がこの自転車で大阪からやってきた君と一緒に走ってみたいと言う。彼ら二人も稚内を目指すらしく、どうせなら一緒に行こうと言うのだ。二人は当然レースタイプの自転車。ペースが合うかな?と思ったが、一緒に飯も食って風呂も入って、とても気の良い二人なので「あぁいいよ!」と快諾した。
じゃぁ、全員で出発準備だ。
準備が整うと翁に声を掛ける。
「僕たち出発します。本当にありがとうございました!」翁は別れを告げに店を出てきた。
手には缶ジュース3本。それぞれ僕らに一本ずつ手渡してくれ。
「お前はよく食ってたからな。」とそれとは別に僕にだけ天塩名物と包み紙に書かれた饅頭を3つくれた。
「元気で行けよ!……またな。」
この人はただの食堂の主人じゃない。旅人を育てる “旅の師匠” なのだ。
しかも2度と会えないかもと感じる寂しさを分かってるかのように「またな」なんて、、、
ジーンと瞼が熱くなる。それでいて僕もこうありたいと一種の敬いの気持ち。
感謝と寂しさと、もう戻れない旅の時間がグルグル渦を巻いていた。
いつも以上に深々と頭を下げ、鈴蘭食堂を後にした。
サロベツ原野 道道909号線
天塩を出るとすぐに分かれ道にでた。
右手は国道40号線に続く稚内へのメインロード。
国鉄と並行して走っており、途中幌延や豊富などそこそこの規模の国鉄駅がある。
左手は道道909号線。
昨夜鈴蘭の翁に聞いたら半分くらは舗装されてないし、長いところは10キロ近い砂利道が続くよとの事だった。
国道40号線は綺麗な舗装道路。
普通に考えると国道40号線を選ぶ方が賢明だ。
しかも空には重い雲が立ち込め天気予報も危うい。
最北のクライマックスにふさわしい道はどっちだ?
もちろん決まってる——道道909号線!
「この道を選ばずして、最北の旅は語れない!」
一緒に走ろう稚内を目指す二人もそれは承知の上だったので、再度確認し、日本海側をへばりつくように走る909号線を進んだ。
僕はこの909号線という番号も気に入っていた。
いかにも果ての道路という雰囲気だ。
909号線に入り1キロ、時間にして5分ほどで早くも砂利道になった。
苦難の砂利道
「ほほぅ、きなすったか!」” なんて余裕ぶっこいてたけど、すぐに後悔することになった。砂利道は重い。
まるで重い足枷をつけて走るような感覚だ。
平坦な道でありながら坂道のように徐々に体力を奪っていく。
「時折、タイヤがガツン!と石にぶつかり、身体ごと跳ね上がる。」
本能的にタイヤへのダメージを避けるべく中腰になる。
つまり中腰で膝をクッションにしてタイヤのダメージを避けるのだ。
こうして砂利道は走ってみると思った以上に過酷なことが分かった。
また、レーサータイプのサイクリスト二人はタイヤが細く僕以上に気を使っていた。
そうなのだレーサータイプは舗装道路を走るのに特化した自転車なのだ。
僕たちは未舗装が続く909号線を選んだ事が間違いだったかもと顔を見合わせた。
約10キロ続いた砂利道は舗装道路に変わった。
僕たちは舗装道路の走りやすさに感嘆の声をあげる。
「うわぁ、滑るようだねー。」
「自転車が進む進む!」
これまで味わったことのなかった自転車の乗り心地に感動すら覚えた。
しかし3キロも走らないうちにまた砂利道に戻ってしまった。
もうアップダウンでしんどいなんて言いません。
舗装道路への感謝を忘れません。
そんな冗談を言い、苦しみながらも砂利道を進む。
苦しくはあったが、周囲の景色は素晴らしかった。
天気は悪い。
それでいて、左右に広がる一面の草原はただただ圧巻だった。
サロベツ原野だ!
手の加わっていない原野というにふさわしい風景。
左手の原野の先に荒波の日本海が見える。
右手にはサロベツ原生花園。
今年は6月の季節外れの寒波で草花は全滅。
ただの草むらだが、それが余計に北の最果ての原野を演出しているように見えた。
天気が良ければ日本海の向こうには立派な利尻島が見えらしい。
案内板に天気の良い日の風景が紹介されている。
利尻富士と呼ばれる海から一気に聳え立つ利尻山は本家の富士よりも見事と自慢する地元民もいるほどだ。
しかしこの日、利尻島は垂れ込む雲に隠れていた。
稚内まで約70キロ、通常の舗装された道路であれば4時間もあれば十分と考えていたが甘かった。もう11時だ。
その上、延々と走り続けた砂利道のせいでタイヤの空気が減っているのがわかった。
マズいな。
ロードレースタイプの自転車もタイヤの減圧に苦しんでいたが、僕の自転車も如実にわかるほど減圧していた。
持参の空気入れで空気を入れるがパンパンにならない。
『稚内だ!』と先頭のサイクリストが叫ぶ。
本当か?
見上げると、そこには『稚内市』の看板。
俺たちはついに、最果ての地へ辿り着いた。
周囲は何にもないが僕たちにとっては1つの到達点。
果てしなく続くように感じられた砂利道に、ポツンと立つ「稚内市」の看板。
僕たちにとっては「大丈夫!」と語りかける激励のメッセージに思えた。
3人は看板の近くに自転車を停め小休止を取る。
車は全く来ない。
一人のサイクリストがシールを取り出し、自分の名前と日付時間を書いて、稚内看板のポールの後ろに貼りつけた。
僕は「何かの記念か?」と問うてみた。
するとシールの彼は今回友達4人でバラバラのルートで北海道を旅してるという。
こういった目立つ地名看板のポール裏に各々通過した時にこのシールに名前、通過日時を書いて貼ろうと言って作ったらしい。
だから看板があるとシールが無いかポールの後ろを見るんだ。
ほとんど見つからないけど、見つけた時はすごく嬉しいし、シールから元気をもらえるんだと笑った。
なるほどそれは面白いと感心した。
本来なら公共のものだからダメだとは思う。
しかし、友達と励まし合う方法と言えばそんな事しかないだろう。
もしかしたら昔々の旅人も旧街道などで同じことをしたかも知れないなと思いを馳せた。
シール男に稚内看板と僕の写真を撮ってもらうよう頼んだ。
いつもは自転車と看板の写真だが、この写真は僕と自転車と看板が写っている数少ない貴重な写真となった。
天塩からここまで35キロほど、約3時間を要した。
峠道と変わらないほど時間がかかっている。
そうか未舗装道路は峠道と同じという事を学んだ。
抜海岬とスコールジジイ
稚内市の看板を後にし15キロほど走ると、12時、抜海という変わった地名に到着した。
抜海(ばっかい)は絶海をイメージさせてくれ、私たちは妙に惹かれた。
折角なので「抜海岬」を目指した。堤防に入って行って一番先まで乗り入れた。
抜海岬の先端に立ち、僕は静かに息を呑んだ。
目の前に広がるのは、”ただただ無” の景色。
空と海の境界線は、どこまでも曖昧。
風は強く、波は荒く、それでも世界は、何も語らない。
「ここが、俺の旅の終着点——」
そう思った瞬間、潮風が強く吹きつけた。
まるで「まだ終わりじゃない」と言われているようで、
まるで「よくここまで来た」と讃えられているようでもあった。
何も語らないが、しかし多くを語る。
風も、波も、僕自身も。
この馬鹿げた旅——俺のゴールにふさわしい。
きっと宗谷岬にはたくさんの観光客がいて、にぎやかな雰囲気なんだろう。
だからこそ、”自分だけのゴール” は、賑やかであってはならないのだ。
もう昼だ。3人とも腹が減っていた。
しかし、周辺には何もない。ただ抜海の中心地に戻ると観光バスが何台も停まっていて、観光客もいた。だけど食事をするような店がないのだ。とにかく食事するには稚内まで出るしかない。僕たち3人は腹を空かせたまま稚内を目指した。
抜海から稚内までの道路は舗装道路だ。これまで未舗装道路で苦闘していたロードレースタイプの2人のスピードが上がる。腹が空いているので尚更だ。僕も遅れないように懸命にペダルを踏む。
海岸線から山道へ。この峠を終えると稚内市街地だ。
一気に行きたいところだが、先頭を走るメガネの彼が峠に差し掛かる頃、急に雨が降り出した。
「ポツポツ…..」
メガネの彼は「行ける行ける!一気に行ける!」とシール男と共にスピードを上げた。
走り去る二人を「霧吹きジジイ」が追いかけているように見えた。
いやっ、霧吹きなんてもんじゃない。もっと強力なヤツだ!
僕は目の前の坂の勾配を確認する。
僕の自転車だとこの勾配は上りきれない。
歩く事になるかも知れないと思った。
そうなると諦めもついた。
僕は自転車を停め雨合羽を着た。
荷物にはビニールシートを被せてその上からゴム紐で押さえた。
丁寧に雨に備えて走り始めると、先を行った二人の姿は既に見えなかった。
走り出すと雨は次第に強くなった。そしてとうとう本降りになった。
「バシャー!そんなもんで俺様の豪雨攻撃を防げると思ったか!?甘いぞ!!」
スコールジジイだ!
スコールジジイ
出現場所 サロベツ |
属性・・・妖怪 |
視界がなくなるくらいのスコールで旅人を襲う。 |
全てをずぶ濡れにする。 |

バシャァアアアアア!!!
まるでバケツをひっくり返したような豪雨! 視界はほぼゼロ。
「おのれー、上下とも雨合羽を着やがって、荷物もシートでガードとは生意気なぁ!」
バシャァアアアアア!!!
しかし、備えあれば憂いなし。僕は大ダメージを受ける事はなかった。
スコール河童は負け惜しみを言いながら、渋々退散していった……と思った、
その瞬間——
「待てぇぇぇぇい!!俺様をナメるなよ!!!」
バッシャアアアアア!!!
まるで最後の悪あがきのような、一撃必殺の”ダメ押しスコール”。
しかし、僕の雨合羽は最後まで耐え抜いた!
「チィィィ……次こそは、お前をびしょ濡れにしてやるからなぁぁ!!!」
スコールジジイは未練たらしく叫びながら、峠を目指して消えていった。
峠の頂上に差し掛かると二人は大スコールの中、自転車を停め雨合羽を着ているところだった。既にスコールジジイのやりたい放題にあったのだろう。
衣服も荷物もビショビショ。
あそこまでなるともう雨合羽を着ても意味はないだろう。
しかし、彼らはスコールジジイにもみくちゃにされ、既に正気を失っているかのようだ。
意味が無いどころか小さなスコール河童を荷物や身体に背負い込むような行動をしていた。
僕は取り憑かれそうな彼らを気の毒に思いながら、「先行っとくね!」と峠を下って行った。
南稚内駅に着く頃には激しいスコールは治っていた。
僕は合羽を脱いで、南稚内駅のベンチで待っていた。
しばらくして「参ったよ〜、」と彼らはずぶ濡れになってやって来た。
ずぶ濡れの上に合羽。火照った身体の湯気モワモワとした向こうに風呂上がりのような顔がのぞいていた。合羽は完全に意味をなしていなかった。
空腹
とにかく腹が減った。
どこでも駆け込んで食事を摂りたかったが僕たちが希望するようなたい大衆食堂がない。
あるのは高級なお店ばかり。
途中自転車屋さんがあったので空気入れを借りてタイヤをパンパンにする。
この時ふと、もう2000キロ近く走って来たからタイヤごと変えようかと考えた。
しかし、タイヤの値段を聞くと大阪の倍近い価格に驚いてやめた。
午後1時、食堂を探しながらとうとう稚内駅まで来てしまった。
北海道最北、いや日本最北の市なので立派だろうと勝手に思っていたが、3人が思っていたほどではなく、むしろ場末といった様子だった。
途中、パン屋があった。
あそこしか無いなと僕たちはパン屋に向かった。
体力の限界は、とうに越えている。
「……はぁ、パンかぁ。」
朝のラーメンが恋しい。
“あの熱々のスープと、モチモチの麺が、遠い昔の記憶のように思えた。”
天塩と違って稚内は新しいパンが売っているかなと期待したが同じだった。
とにかく自分の好みというより新しいパンを選ぶことがマストなのだ。
ロールパンが6つ入ったものを2つ、そして1リットル牛乳を一本買って稚内駅に戻った。
また雨が強くなってきた。
稚内駅の庇で雨を凌ぎながらパンをかじった。
止まないかなぁと降りしきる雨を眺めるが、時間が経つにつれ雨は強まるばかり。
大阪を出てからここまでの雨は初めてだ。
天気予報も夕方から本格的と言っていたから止む事は期待できそうにない。
午後2時過ぎ、一緒に走ってきたメガネのサイクリストが諦めたように、「3時半の船で礼文に渡るからもう港に向かうよ。
この雨だからもしかしたら欠航かも知れないけど、その時は戻ってくるよ!」と稚内港を目指して雨の中去っていった。
午後3時、もう一人のシールの彼も友達と落ち合う約束をしていて、会えるかわからないが目指さないとと大雨の中走り去った。
彼はさっきずぶ濡れになって「寒い」と言っていたので、僕は心配して考え直すようにと言った。
しかし、彼はしんどそうな顔をしながらも「もし来てたら悪いから」と話した。
とても友達思いの男だと思った。
そして、あのシールも含めて旅の中で起こる小さな幸せを感じるために彼は走っているのだと思った。
そうだ、行くべきだ。
彼は行かなければならないのだ。
彼の旅は今日、この悪条件で走り出す事そのものなのだ。
「じゃあな!」
「うん、またどこかで!」
だけど——
「またどこかで」なんて、本当にあるんだろうか?
旅先で出会った仲間は、いつも突然現れて、突然消えていく。
まるで、”夏の蜃気楼” のように——。
彼からすれば僕も蜃気楼。
そう考えれば蜃気楼同士の一期一会。
走り去る彼の背中を見送りながら、僕は改めて旅の “一期一会” を思い知った。
一人になった僕は雨を見ながら、今日はこの稚内駅で野宿だなと覚悟を決めた。
天塩でお金をスられて楽しみにしていた旅を諦めなければならなくなった彼の言葉を思い出した。「稚内駅で野宿するなら気を付けろ」
天気が悪くなければ、今日は宗谷岬に到着して、その先のどこか別のところで野宿の予定だった。折角の忠告なので稚内の野宿はやめようと思っていた。
それが彼の無念さを供養するかのようにも感じた。
しかし、どういう訳か雨に祟られ稚内で野宿。
面白いものだな。
しかし、とにかく気を付けないとな。
一人になった事で気を引き締めた。
鍋仙人登場
午後5時。
駅舎の庇の下、自転車を停め、持参の折り畳み椅子に腰掛ける。
ゴミ箱で拾った少年漫画をめくっていると、
気の良さそうな大学生風の兄ちゃん二人が声をかけてきた。
「今、変な人に絡まれててさ、一緒に飯を食おうって言われてるんだけど……付き合ってくれない?」
何だそれ?
詳しく聞けば、飯はその”変な人”が全部用意してくれるらしい。
——タダ飯!、、、、タ・ダ・メ・シ!
僕の脳内に、その四文字がでかでかと浮かぶ。
だが、”変な人”というワードが気にかかる。
(天塩で聞いたスリ妖怪の手口か?)
疑念はあったが、もしヤバかったら途中で逃げればいい。
それよりタダ飯の魅力の方が勝った。
念のため、近くで雨宿りしていたバンダナのサイクリストにも声をかける。
どうせ行くなら大勢のほうが安全だ。
彼も「怪しいな……」と疑いながらも、「タダ飯」の響きに抗えずついてくることになった。
初めに誘ってきた二人、そして僕が声を掛けたサイクリストとの計4人で駅舎目の前のロータリー沿を歩き出した。
前方に殆ど乞食かと思うような老人がいた。
一目見て関わりたくない人種だと判断していると、
僕に声を掛けてきた2人のうちのリーダー格のような男がその老人と話をし出した。
「えっ、嘘!あの人がタダ飯の人?あかんヤツやん。」
僕はバンダナ青年に思わず呟いた。
次に老人の両手に下げたビニール袋に目が行った。
一方には肉や野菜、一方にはビールなどの飲み物が入っておりとても重そうだ。
持っているのは豊富な食料。
「あれっ?あかんヤツではない!?」
僕の頭は混乱した。
「これっ、イケてるヤツ?あかんやつ?どっち?」
僕はボソボソと実況中継のようにバンダナ青年に呟いた。
「それはダメでしょ」リーダー格の男は老人に言う。
どうやら場所が決まらないらしい。
老人は「みんなが自転車を停めている駅舎の前でいいじゃないか。」
「いやいや一般人の往来があって、そこで火を使うのは迷惑だ。
その上、雨なのでどんどんライダーやサイクリストが増えてるし、まだまだ増える。
やり出してから駅員さんに注意されても移動が大変」と説得。
リーダー格は意外にしっかりしている。
「面倒くせぃ!あそこにしよう!」と指差した。
「嘘やろー!」
老人が指差したのはロータリー中央の花壇。
花壇と言っても中央に花は植えられておらず、
しかもその中央だけ雨が凌げるように屋根がある。
入るだけでもヒンシュクものだ。
ただ、雨に濡れないし、ちょうど良い広さだ。
老人は僕たちに最終確認もせず、中央花壇に向かって歩き出した。
もう一度「嘘やろー!」一番常識人っぽいメガネの青年が声を上げた。
彼の言葉は全員の気持ちを代弁していたが、
老人の自信にみなぎった歩みと、そして抱えられたビニール袋の食料が
僕たちをロータリ中央花壇へといざなった。
老人は花壇中央ドカリと腰を下ろすと、リュックから鍋やコンロを取り出した。
鍋に水を入れ肉、野菜を適当に切って入れる。
そして醤油を垂らして蓋をする。全てその老人がやってくれた。
その流れるような手ほどきに、幾度となくやってきたであろう歴史が窺えた。
花壇内に座るのを拒んでいたメガネ青年とバンダナ青年も腰を下ろした。
彼らは何か言われたら仲間でないと逃げるつもりでいたのだ。
僕は年少者なので老人は一番気を遣ってくれた。
僕はビールを手渡され、飲めという。
まだ16歳だと断りを入れると、もう16歳、飲める歳だと言う。
またこういった飯の時にはむしろ飲んだ方が良いのだと独自の見解を話し、まずは若いお前が最初に飲めと勧められた。
僕はそれまでふざけて親のビールを舐めるぐらいの事は経験していたが本格的に飲んだ事はなかった。
苦いだけのビール。飲めるかな?と恐る恐る飲み込んだ。
「ウマイ!ウマスギル!」
こんなに美味いものがあるのかと思った。
老人は笑い、さぁみんなもやれ!と宴は始まった。
温かい鍋料理はとにかく美味かった。
知らない者同士ではあったが、みんなで1つの鍋から食事をするのは腹だけでなく、心も満たされる。参加した僕たちは色々不安も感じたが、心から良かったと思い老人に感謝した。
老人は昔登山家だったと言った。
かなりの山を登ったが、
今ではハードな山登りは出来ないので歩いて全国を旅してるという。
そして今回のように出会った若者に鍋を振る舞うのが最高の楽しみという。
「鍋仙人!」
どうりで適当に作った鍋も美味いはずだ。

鍋仙人
出現場所 稚内駅 |
属性・・・仙人 |
旅人に鍋を振る舞う。 旅魂を伝える哲学者でもある。 |
「旅人よ、北の風を感じるがいい……」酔いが回ると「イヨマンテー!」と歌う。 |
「君たち全員自転車なんじゃな?」
「はい。」
「うん、旅というのは自転車までじゃな。
旅は自然と一体となる事じゃから。
バイクは風切り音で自然の音が聞こえんじゃろ。
鳥の囀りも気付かんじゃろ。
電車でも車でもそう、でも目的地について、歩けば旅になる。
行き先のわかっている乗り物に乗っているだけではただ通っただけ。
一駅くらい歩いて初めて旅になるんじゃ。」
鍋仙人を当初「乞食と判断した」自分を心を詫びた。
そんな言葉の端々に登山家、日本全国歩いて旅している凄みを感じた。
「ちょっと飲みすぎたな。」鍋仙人はすくっと立ち上がり、「便所」と言った。
駅舎の便所までは少し距離があるな、酔った老人大丈夫かな?
そう心配していると、「ジョボジョボ」とすぐ近くで音がする。
何と老人、花壇の外ベリから道路に向かって小便をしている。
言ってることは立派だが、何処か抜けているというか、遠慮がないというか動物的というか。
食料が足りなくなり、老人は金を渡してバンダナ青年に追加の肉野菜を買いに行かせた。
とにかく美味いのでみんなバクバク食べるのだ。
本来なら年少者の僕が行くべきだが、老人は僕の旅の話が気に入って話が弾んだ。
今回の旅に普段乗りの自転車で来たこと。
世界一周をしたいが、日本全国全てを回ってから行こうと思ってること。
僕の話に
「そうだそうだ。」と老人は相槌を打って聞いていた。
雨の夜空にイヨマンテ
みんな本格的に酔ってきた。僕も初めての酔いを経験していた。
老人が立ち上がった。またトイレかと思ったら、歌を歌うという。
演歌でも歌うのかと思っていたら、いきなり重低音の声
「アーホイヨー、アー、イヨマンテー」
僕たち一同は固まって動けなかった。
イヨマンテ 燃えろ ひと夜を
あぁ、我が胸に 今宵 熊祭り
踊ろう メノコよ
コタンの 掟やぶり
熱き吐息よ 我に与えよ
ララホイヨー アーホイヨー
イヨマンテー
僕は凄いものを見てしまった。
日本最北の稚内駅ロータリーのど真ん中で立ち上がり、
夜空に向かって雄叫びを上げる「鍋仙人」
両手を高々と掲げ、厳かな神事にも見えた。
「僕たちをはじめ、全旅人たちの魂を送り出す祈りの歌に聞こえた。
イヨマンテー
イヨマンテー
北の大地、北の空にこだました。
「鍋仙人」はイヨマンテを歌い切り、すっかり役目は果たしたといった様子で身支度を始めた。
聞くともうすぐ出る列車で立つと言う。
僕は当然野宿するものだろうと決めつけていたので、突然の別れに驚いた。
しかもただご馳走になってしまって感謝。
数時間前、「鍋仙人」を見た瞬間、「これはアカンやつ」などと判断したくせに。
感謝と申し訳ない気持ちが交錯した。
僕は鍋を洗うなど、とにかく出来ることをさせてもらい、礼を言った。
鍋仙人は「ワシもまだ、旅の途中よ!今夜はありがとうな!」と言って、残ったインスタントラーメンや缶詰ををくれた。僕は稚内駅を行く鍋仙人の後ろ姿を見送った。
今日は朝は鈴蘭の翁、夜は鍋仙人と二人の旅の師匠に巡り会えた。
彼らはただ優しいだけではない。
鈴蘭の翁の軍曹のような号令。鍋仙人の心を洗う重低音の歌声。
圧倒的な余韻の中、自転車に戻る。
地面は雨で濡れている。その他の野宿者を見るとダンボールを敷いていた。
聞くと近くの土産物屋で貰ったらしい。
僕も土産物屋でダンボールを調達し、その上にマットを敷いて寝袋に入った。
僕はその日の一番乗りの野宿人。
だから一番庇が広い場所を確保した。
しかし、僕の寝ている真上が丁度雨漏りをしていて、弱い雨だと気付かなかったが本降りになると、ピチャピチャと水滴が落ちてくるのだ。
寝ようにも顔に水滴が掛かると寝入る事ができない。
傘を使ったり、自転車にレジャーシートをくくり付け斜めに垂らし雨よけとして工夫する。何度か角度を調整しているうちに顔に掛かる雨を防ぐ事ができた。
雨の日の野宿。普段何でもない安眠という有り難さを教えてくれた。
反省会:16歳の僕と56歳の俺
16歳の僕「いやぁ、すごい1日でした!朝は鈴蘭の翁の号令で目覚め、夜は鍋仙人のイヨマンテで締め!」
56歳の俺「朝は軍曹ラーメン、夜は熊祭り。お前、ホンマに人生RPGやな。てか、最初『タダ飯!』で釣らてれるな〜。下手したら怪しいヤツだったぞ」
16歳の僕「それはそうなんですが、結果オーライ!旅は冒険、怖がってたら面白くない!」
56歳の俺「まあ、確かにな。けど、”見た目で判断するな” って教訓やな。最初『アカンやつ』言うてた仙人が、一番旅をわかっとったし」
16歳の僕「ほんまそれ。鍋も語りも最高やった。鍋仙人、今どこにおるんやろなぁ……」
56歳の俺「ああいう旅人はな、気づいたらどっかの旅人の前に現れるんや。今もどこかで若い旅人にイヨマンテ聞かせとるで」
16歳の僕「それ、めっちゃカッコええやん!」
56歳の俺「お前もそのうち “旅の翁” になるかもな」」
16歳の僕「それを言うならまずアンタでしょ!」
56歳の俺「そうかぁ、俺もそんな歳かぁ…..」
- あなたには旅先で出会った “伝説の人” はいますか?」
- もし鍋仙人が現れたら、一緒に鍋を囲みますか? それとも逃げますか?
コメントでぜひ教えてください!😊
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