1985年8月10日 ノシャップ岬
6時半、昨夜一緒に宴をした彼らに起こされた。
僕は雨のせいで寝入りが遅かったせいで目覚めが悪い。
起きるなり一緒に写真を撮ろうと促された。
撮影は別の旅人に頼んだので、昨夜のイヨマンテの鍋参加者4人全員で写った。
折角なのでこのままノシャップ岬まで一緒に行こうとなった。
約4キロの道のり。別に急ぐ必要はない。なのに彼らは恐ろしいくらい飛ばした。
僕はついて行くのがやっとだった。
新潟以来、いろんな人たちに一緒に走ろうと言われた。
ロードレースタイプの自転車はスピードに乗ると4人とも一番重いギアにチェンジして走る。僕のママチャリはある程度のスピードに達するとギア比の理由でペダルをどれだけ早く踏んでも加速できなくなる。重たいギアでゆっくり漕ぐレースタイプの自転車と、ギア変更ができない僕の自転車とでは走り方が全く違うのだ。にも関わらず、手加減せず彼らは走る。
彼らは「一緒に行こう!」と言いながら、最初から全力疾走!
「俺たち、こいつに負けるわけにはいかない!」
一番後方を走る僕の耳にレース悪魔の囁きが、風に乗って聞こえた気がした。
「行けぇぇぇ!!!」「負けるなぁぁ!!!」
ついに、先頭のメガネ青年が 「ギア、フルパワー!!」 と叫び、最大ギアにチェンジ!
ドォォォォン!!
…いや、そんな効果音は聞こえないはずなのに、確かに聞こえた。
まるで”何か”が降臨したかのようだった。
レース悪魔完全体、ここに爆誕——。
彼らの目はすでに「競争」に支配されていた。
これは旅じゃない! レースだ!!
「お前もギアを上げろォォォ!!!」
いや、俺の自転車にはギアが無いんだって……。
彼らの目が光る——悪魔に魅入られた者の目だ。
最果ての地・ノシャップ岬に向かう道で、彼ら彼らで”試されている”のかもしれない……。
……アッという間に
「ノシャップ岬、到着ーーー!!!」
全員、一斉にブレーキ!
キキィィィィーーーッ!!!
「レース悪魔、強制終了。」
静寂の中、波の音だけが響く。
全員、自転車を降りて肩で息をする。
「……おい、俺たち何してたんだ?」
「えっ、旅、だよな?」
「そう、旅……のはずだったんだけど……」
「……まぁ、着いたしいいか。」
かくしてレース悪魔は静かに消滅し、
僕たちは”旅人”に戻った。
ノシャップ岬は抜海と変わらないくらい何も無かった。
稚内駅のお土産屋さんも行っても仕方が無いと言っていたがなるほど本当だ。
早朝という事を差し引いても、私たち4人だけというのは最北の国鉄駅から程近い岬にしてはとても寂しい。稚内駅から4キロは徒歩の客には遠いし、バスやタクシーで来るには大した設備もない。10時になれば寒流水族館、南極観測コーナーがある少年科学館が開館するらしいが、それでもわざわざ来るほどではないのだろうか?
一番の見どころは夕景という事だった。この寂しいノシャップ岬の立て看板に夕景。想像するとその最果て感は見事だろうと感ぜられた。昨日、雨でなければ来ていたのかも知れないノシャップ岬の夕景。またいつか。
腹が減ったので昨日買ったパンを齧る。
このままでは、僕たちはパンになってしまうかもしれない——。
4人とも無言でパンをかじりながら、顔を見合わせる。
誰も口にはしないが、目が語っていた。
(やっぱり……ご飯だよな?)
(ああ……ご飯が恋しい……)
まるでパンを食べることで精神を侵食され、
日本人としての”魂”を吸い取られているかのようだった。
しばらくすると僕たち4人はそれぞれの今後の目的地を確認した。
南に行く者、北に向かう者、島に渡る者。
私も北、「宗谷岬」に向かうの予定だが、その前に稚内公園に行ってみたかった。
みんなバラバラだ。
じゃぁここでお別れだねと握手をする。
俺たちは、互いの本名すら知らなかった。
だけど、それが何だというんだ。
一緒に走り、同じ鍋を囲み、
鍋仙人のイヨマンテを共に聞いた。
たった数時間の関係だったかもしれない。
それでも、間違いなく俺たちは”旅の仲間”だった。
「またどこかで!」
彼らは笑って手を振り、それぞれの行先に散っていった。
もう二度と会わないかもしれない。
だけど、それが「ザ・旅」
稚内公園
僕が稚内公園に向かう目的は、
2年前に見た「南極物語」に出演した「タロとジロ」役を演じたエスキモー犬を見学する為だ。
「南極物語」は高倉健主演の映画で、当時大ヒットした。
内容は殆どが想像による脚色だが、物語のベースは事実に基づいている。
昭和33年2月、南極にて稀に見る悪天候の為、
15頭の犬を置き去りにしたまま脱出しなければならなかった南極観測部隊が1年後に再び南極にやってくると2頭の樺太犬タロとジロが生きていたという。
その後奇跡の物語が1983年映画化されたのだ。
その映画に出演した犬二頭が稚内公園で飼育されており、見学できるというので実際に会いたかった。
稚内公園は海抜0メートルから一気に100メートル以上を駆け上がった山の上にあり自転車を漕いで登れるような勾配でなかった。
その為、ほとんど自転車を押して上った。
自転車を押している途中、同じ年頃のいかにも軽装のハイキングといった姿の女の子が声を掛けてきた。
「その格好、サイクリングね!」
振り向いた瞬間、太陽に照らされる笑顔——
眩しい。可愛い。めちゃくちゃ可愛い。
(えっ、何これ? 何かのイベント? 俺、モテ期入った??)
「どこから来たの?」
「大阪……」
「えっ! この自転車で!?」
こくりと頷く。
もうダメだ。これ以上喋ったら 噛みまくる自信しかない!
「私は九州からフェリーで来たんだけどね!」
「でも二日間走ったら、無理だっ! ってなって、送り返しちゃった! ワハハ!」
……………
可愛すぎる。大罪!
九州から自転車旅しようと思った女子高生……すごくない!?…
でも二日でリタイアって、!?
「えっ……じゃあ今はどうしてるの?」
「普通に電車とかバスとか!」
「じゃあ、もしかして北海道一周する感じ?」
「うーん、どうしようかな? 考え中。でも、この一人旅の気軽さって楽しいよね!」
素晴らしい気軽さと切り替えの早さ、彼女はもしやプロ旅スト……??
そう考えているうちに、気づけばプロ旅ストの彼女はいなくなっていた——。
モテ期、終了……。
僕は何故か残念な気持ちになった。
彼女の自転車を送り返した話は、遠回しに僕の事を褒めてくれているのかなとも思った。
そうだとしたら、もう少しどんな旅をして来たのか聞いても良かったな。
男のサイクリストには「どこから来たん? これからどこに行くん?」と僕から何の気兼ねもなく聞くことが出来るのに、女の子となると何を意識しているのか言葉が出てこない。しかもいなくなった後、彼女に対する自分の受け答えの素っ気なさダメ出しの自分がいる。
もしかしたらお昼くらい一緒に食べることができたかも知れない。
いなくなったけど、稚内公園でまた会うかも知れない。
もしそうなったらもっと気さくに話してみよう。
タロとジロに会いに来たのに
稚内公園への最後の坂を登り切った。それにしてもキツかった。
眼下には稚内の市街地。とても眺めが良い。夜に来るとネオンが綺麗かも知れないと思ったが、昨夜野宿して稚内市内にネオンが少なかった事を思い出した。もしかしたら夜景というには程遠いかも知れない。
北東方面に目をやるとこれから目指す宗谷岬方面。天気も良く、青い海と空が眩しい。
「氷雪の門」「九人の乙女の碑」「樺太県慰霊塔」など、色んな記念像や記念碑などがあった。説明文を読むと、どれも悲しい事実を後世に残すための碑だった。
特に「九人の乙女の碑」は終戦後のソ連侵略による若き女性17歳から24歳の集団自決の悲劇の碑だった。
眩しい青い空とそんな悲劇の説明文のギャップにため息が出る。全てが悲しい事実なので、気分転換のためにもタロとジロを早く見たいと思った。
「南極物語」からまだ2年。その映画に出演したとあって「タロとジロ」は人気があるのだろう。地図にもタロとジロの飼育小屋が紹介されている。僕はその地図を見て嬉しくなって飼育小屋に向かった。それは小屋というより動物園でよく見る鉄格子のオリだった。
オリに犬はいなかった。注意書きがあった。
「タロとジロは風邪の為しばらくお休みします。」
…………え? 風邪?
タロとジロが……風邪……???
僕は何度も読み返した。
もしかして……目の錯覚か? いや、現実だ。
「−40℃の南極で生き抜いた伝説の犬、タロとジロ!!!」
その彼らが 「夏の北海道」で風邪!!!???
ちょっと待て!!!
「いやいやいやいや、ないないないない!!!
お前ら、南極に帰って出直してこい!!!!!!」
……って、本気でツッコミたくなった。
でも、考えてみたら。
タロとジロだって、生き物だ。
英雄扱いされてるけど、普通の犬なんだよな……。
「南極を生き抜いたからって、普通に風邪くらい引くよな」
そう思うと、ちょっと笑えた。
まぁ、仕方ない。
お大事にな、タロとジロ……。
遥か遠くに聳え立つ百年記念塔が見える。通常はロープウェイで行くようだ。
そうか、僕は知らずに自転車を押して来てしまったが、このロープウェイを使えば良かったんだ。ノシャップ岬から稚内公園を目指したので気づかなかったのだ。
宗谷岬
トイレに行きたくなって一旦稚内駅に戻った。
自転車で移動中はどこでトイレをすることになるか分からない。
だから、近くて良いトイレがあるならそこで済ましたい。
8時半、2度目の稚内駅からの出発。
宗谷岬までは約35キロ。
稚内駅前から始まる国道40号線を進む。
1キロ先の宗谷支庁を過ぎるとすぐに大きな分かれ道になった。
右手は旭川へ行く国道40号線。左手が網走へオホーツク海沿いを走る国道238号線。
僕は左手の238号線を進んだ。
最北端の小学校、最北端のガソリンスタンド、最北端の郵便局。
そんな看板が目に入る。
そのどれもがいよいよ宗谷岬到達を予感させる。
小さな「宗谷」の看板が目に入った。もうすぐそこか!とワクワクしてペダルを踏む。
しかし、宗谷岬は見当たらない。
そうこうしているうちに「清浜」という看板があった。
僕は宗谷岬を通り過ぎてしまったのかも知れないと思った。
地図を見ても分からない。
そんなはずはないと気を取り直して先へ進む。
しばらくすると国道238号線の海側に車やバイクの列が見えてきた。
何十台も連なる車列。そのもっと先に看板が見えた。
青い文字で「宗谷岬」
「よし!」
僕は思わず声をあげ、そして自転車のスピードを上げた。
100台、いや150台くらいの車やバイクが並んでいる。
時折自転車も目に入る。
僕は地道の中自転車を押して入って行き、宗谷岬の石碑の前に停めた。
そしてそのまま石碑へと歩み寄って、石碑の反対側に立った。
つまり石碑と海の間スペースに立って海を眺めた。
今、ここにいる誰よりも自分が北にいる。
それは今、日本で一番北にいるという事だ。
16歳の高校生が考えることだ。
あまりにも幼稚な満足感だったが、しかしそこに立たずにはおられなかった。
少し海風に吹かれると、石碑をバックに自転車の写真を撮った。
午前10時20分、宗谷岬着。
勢い余って自転車を乗り入れてしまったが、
そこは自転車を入れてはいけない場所だったようだ。
誰にも注意はされなかったが、ごめんなさいという気持ちで自転車を移動する。
最北端の店を売り文句にしている土産物店前に駐輪。
一応お土産を見てみる。
キタキツネや牛、熊がプリントされているTシャツ、宗谷岬と彫られたキーホルダーなどが所狭しと並んでいた。
Tシャツやタオルはいいかもなと思って品定めしてみると、
一回の洗濯でヨレヨレになりそうな質感で買う気にならなかった。
じゃぁ、飯にするか?
いやっ、お昼を食べるにも少し早い。
間宮林蔵の像など見て想いを馳せる。
考えられないくらい精密な地図を製作した人物だ。
敬う気持ちで像を眺める。
さて、出発だ。
今日の宿はまだ決めていない。ユースはと言うと、「紋別流氷の宿」。まだここから180キロ以上ある。今日到着は到底無理。途中、枝幸か雄武町辺りで野宿が妥当か?
これまでと違ってオホーツク側は町と町の距離が長く、予定が立てづらいなと感じた。
自転車を漕ぎ出そうとすると、
「あんた大阪から来たみたいやなぁ」と男が二人話しかけてきた。
「何で分かったん?」
二人のうちスポーツ刈りの男が僕の自転車の泥除けに書かれた住所を指差した。
「吹田からだね」と彼。僕は少し驚いた。吹田をさらりと読める人はあまりいないからだ。すんなり読めるのは大阪万博の事をよく知っている世代の人くらい。意外に大人でも「ふきた」と読む人が多い。
僕が「そうだ!」と返事すると、スポーツ刈りの男は僕に紙切れを手渡した。
「網走方面に行くんだろ。もしそうだったら今日は浜頓別に泊まるといいよ。ここに書いてる所、タダで泊めてくれるよ。」
僕は紙切れを手に取った。
手渡された紙切れに書かれた 『らんてい』 の文字。
まるで 旅人だけが知る幻の宿 のように思えた。
天塩の鈴蘭食堂のようなものか?
飯を食べなくてもタダで泊めてくれるが、布団はないので寝袋が必要だと言う。それでも建物の中で寝てくれるなら十分だ。
「タダ?」
「あぁ。行ってみな」
二人のサイクリストに礼を告げる。
振り返ると、宗谷岬の碑が遠ざかっていく。
“日本最北端” のその場所は、もう俺の帰りへの出発点だった。
これから大阪を目指す。
そして、次の目的地は 「らんてい」。
本当にそんな場所があるのか?
確かめるために、僕はペダルを踏んだ。
ぬめり翁に授かった昆布の力
浜頓別まで約60キロ。まだ午前11時であることを考えると、ゆっくり走っても夕方までには走り切れる距離だ。その余裕のおかげで小学校や民家を見て歩いた。
小学校はお盆が明けてすぐに2学期に入るらしい。冬の豪雪で突然の休校に備えて、そもそも夏休みがとても短いと言う。民家の住人は忙しくしている。刈り取って来たばかりの大きな昆布を浜辺にせっせと干している。この大きさが驚くほどで、何メートルもある巨大昆布なのだ。数十メートル四方にびっしりと敷き詰められた昆布の絨毯。まだ海水に濡れている黒に近い深緑の昆布はいかにもミネラル豊富なフカフカの絨毯に見えた。
大阪の昆布出汁のきいたうどんツユはこれらの昆布のお陰かも知れない。
大きな昆布の一枚がふわりと舞い上がった気がした。
「ウマウマ、ダシダシ〜」
ヌルヌルと揺れるシルエット。
漁師たちは見向きもしないが、僕だけはその異様な姿を捉えてしまった。
これは…… 昆布の精霊か!?

ぬめり翁
出現場所 宗谷 |
属性・・・神 |
昆布の神 「見た目はいったん木綿」 |
昆布漁の作業を見ることで、昆布だしの美味さを教えてくれる。 |
「ワシはヌメリ翁……おぬし、旅人じゃな? ウマウマ、ダシダシ〜」
なぜか話しかけられる。
そして 「昆布干しを観察する旅人には、昆布の力を授ける」 と言い残し、ヌルッと海へ消えていった……。
——昆布の力???
そう思った瞬間、僕の鼻腔に広がる 「圧倒的な出汁の香り」 。
目の前の海が “黄金色のつゆ” に見えてくる——。
「まさか…… これが昆布の力なのか……??」
昆布の精霊に認められし者だけが手にする 「出汁の極み」 。
この風景に出会えたおかげで、僕のこれからの昆布つゆは一層美味しくなるだろう。
昆布の力、まさかの “味覚強化” だった——。
しばらく昆布干しを見学すると宗谷の集落を後にした。
そこからは海岸線特有のアップダウンの連続。
時折オホーツク海を見渡せる一直線の道路が清々しい。
浜頓別
風車を模した喫茶店。これも最果てだからこそ一層洒落て見える。
前方から何やら作業者がエッチらホッチら現れた。
よく見るとリヤカーを引く3人組。地元民ではなさそうだ。掲げたノボリが目に入った。
「千葉大学」
罰ゲームではないだろう。千葉大学でリヤカーによる北海道一周を目的としたのサークルか何かなのだろうか?とにかく過酷そうだった。
浜頓別に入ると右手にポン沼、直ぐにクッチャロ湖が見えた。とても濃い青の湖で冬には大挙して白鳥が訪れるらしい。
「白鳥の飛来する町 浜頓別」と書かれていた。
浜頓別。サイクリスト二人にもらった紙に書いていた食堂「らんてい」のある町だ。
「らんてい」は本当にあるのか?
その食堂が確認できれば今日の走行は終了となる。そう考えると先に確認したかった。
その後、安心して「クッチャロ湖」を散歩すればいい。
クッチャロ湖
午後3時30分浜頓別駅に到着。
地図は浜頓別駅を起点に書かれたのでそこから食堂「らんてい」を探した。
場所は直ぐに分かった。
僕は「すいません」と店に入り、紙を見せながら事情を話した。
すると、食堂の営業が終わる午後7時ごろにまた店に来てと店主に言われた。
なるほど無料で泊めてくれると言うのは本当だった。
ただ食堂の営業が終わってから、店の中で寝袋を使って寝てもいいよと言う事だった。
別に食堂で食事をしろという縛りもなく、
ただ雨風を凌げる環境を提供してくれると言うのだ。
とにかくまだ客がいて営業中なので、「午後7時にまた!」と言うことで店を出た。
何も食べなくてもいい、夏とは言え外ではなく建物の中で寝ることが出来ると言うのは何と有難いことか。
7時までまだ3時間半ある。
浜頓別の銭湯の場所も分かった。
それでも時間が有り余る僕はもう一度クッチャロ湖に向かった。
駅から1キロほどだ。
白鳥にまつわる碑があり、地名に「日の出」と記されている。
ここまで来る間の「宗谷」や「猿払」にも「日の出」というバス停、もしくは看板を見た。
留萌から宗谷岬までの日本海側は夕日が綺麗という場所が多かった。
ちょうど宗谷岬を境目に西側は夕陽、こちらオホーツク海側は綺麗な日の出の名所が多いのだろう。
改めてクッチャロ湖を見入る。
釣り好きの僕はこの湖にルアーを投げ込んだら何が釣れるのだろうと気になった。
しかし2年前に鳥獣保護区域となっており、釣り禁止のようだ。
1時間半ほどして浜頓別に戻る。タオルを買いに店に入ると「蛍の光」が流れていた。
聞くと午後6時閉店だという。
そうか浜頓別では6時はもう閉店時間なのだ。
なるほど!食堂らんていが午後7時に来てと言った理由が分かった。
午後7時というと食堂にとってかき入れどきと思うが、それは僕の感覚であって、
浜頓別では午後7時は食堂閉店の時間。
大阪人の僕からすれば浜頓別は2時間ほど時計の感覚が早いらしい。
店内に流れる「蛍の光」を聴きながら、浜頓別時間の余韻に浸った。
僕は3枚のタオルを買って店を出た。
大阪から10枚程度のタオルを持参した。
自転車で走行する際、日焼け止めの為に腕などに巻いて走った。
夢中になって走っていると、気がつかないうちにタオルを落としてしまっているのだ。
しかも2日前に麦わら帽子を風で失った。
そのせいでカンカン照りになると頭を保護するタオルも必須になった。
タオルはとても貴重だった。
新しいタオルを手にし、もう落とせない、大事にしようと握りしめる。
銭湯着。
昨夜はイヨマンテの宴を楽しんだが、今回の旅で初めて風呂には入れない一夜となった。
汗だくになって走ったあと風呂は最高の心地良さ。
一日入浴できなかった事で、風呂の有難さを再確認した。
「お清めの儀」をいつも以上に丁寧に行う。
全身の垢を擦り、頭を洗う。
それからようやく1回目の湯に浸かる。
この爽快感は1日入らなかったせいで倍増だ。
心地良さもピーンと肌が張る感じに涙が出そうだ。
冗談のように聞こえるかもしれないが、この心地良さを味わえるなら時々わざと汗だくで風呂に入らない日を作ってもいいかも知れないなと思ったほどだった。
風呂から上がってもまだ午後7時まで少し余裕があった。
駅に行って時間を潰す。さっぱりした湯の余韻に浸りながら壁に貼られたポスターを見る。
「決定! ミスホタテ」
今年の浜頓別の美しい女性を決定するコンテストがあったのだろう。
上位何人かのミスホタテさんが写真入りで紹介されていた。
優勝者の受賞の喜びコメントが綴られていた。
「私が選ばれるなんて思ってもみなかった!」
6000人程の住民の中から年頃のお嬢さんを集めてコンテストを開催するだけでも大変だと思う。その他の参加しながら選考に漏れたお嬢さんを見てもどの方が優勝と言っても分からない程だと思えた。
そう言えば小平、天塩でも「ミス酪農」のポスターを見た。
僕には「ミス〇〇」のネーミングが冗談のように思えた。
「ミスジャガイモ」「ミスホッケ」「ミス流氷」「ミスタラバガニ」「ミス昆布」「ミスヒグマ」
妄想が止まらない。
今年のミス昆布の優勝者は「ぬめり翁」に決定!
「ウマウマ、ダシダシ〜」
もはや爆笑でしかない!
これらは「町おこし」の一環なのだと思った。冗談っぽいネーミングが過疎化しつつある町の憂いを物語っていた。
らんてい
ポスターを眺めながめていると、浜頓別の駅舎に3人のライダーが入ってきた。
ライダーたちはポスターを眺める僕に話しかけてきた。
話してるうちに悪い人達ではない事が分かった。彼らは今夜ここで野宿と言う。
そこで僕は今夜「らんてい」に無料で泊まることを話した。
するとライダーたちは
「君、騙されてるよ。そんなのおかしいよ!」と疑っていた。
しかし、二日前の天塩という町でも同じような食堂があった事を僕は話した。
「旅人が多い北海道では案外、こういう食堂が多いのでは?」
彼らもモノは試しと「らんてい」に行ってみたいと言い出した。
飯を食べなくても無料宿泊と聞いているが、折角なのでみんなで夕食をそこで食べないかと僕は提案。
僕が連れて行った全員が無料で泊まるだけと言うのは「らんてい」に申し訳ない気がした。ライダーたちは僕の提案を快諾し、午後7時「らんてい」に全員で向かった。
「らんてい」に入ると、あぁ、さっき来た人だねと今夜泊まる部屋に案内してくれた。
食堂の座敷部屋で寝るのかと思っていたが、部屋を用意してくれてたんだと思うと何でこんなに親切なんだろうとまた不思議に思った。
4人食事をさせてください、大丈夫ですかと聞く。
もちろんと座敷のテーブルにつき、メニューを渡された。
言葉は悪いが浜頓別にしては店構えが綺麗でこざっぱりした食堂「らんてい」。
メニューを見ると決して安くはなかった。
しかし折角なのだ、僕は浜頓別名物の帆立をふんだんに楽しめるという「ホタテ定食」にした。
他のライダーも同じで良いと4人前を注文。
僕は魚介類が大好きだ。カニは長万部で結構食べる事ができた。
今回のホタテは大阪ではまだメジャーではない存在。
ホタテ味と言ってスープで味わうことはあったが、生まれて初めてホタテ料理を食べる事に期待で一杯だ。
その前に北海道ならではの特濃牛乳が配られた。
ライダーたちは歓喜の声を上げる。
しかし、僕は先日峰川牧場で直接頂いた記憶があったので、特濃と言っても色合いが黄色くないこと、膜が漂ってないことに期待薄だと感じてしまった。
そして口にすると予想通り、確かに濃くはあるが牧場で飲んだ牛乳には程遠かった。
しかしそんな事は口が裂けても言えない。
「さすがだね」というライダーの笑顔に僕は微笑み返した。
ホタテ定食がやってきた。
酢の物、刺身、バター焼き、鍋、味噌汁。これにご飯。
とても美味かったが酒の肴として食べて、最後にご飯をサラサラといった内容で高校生の僕には足りなかった。
結局またカレーライスを追加する事になった。
無料で泊まれると喜んだけど、結局2000円近くかかってユースと変わらなかった。
まぁ、贅沢なホタテ定食が食べられたからいいか!
ホタテ御殿
僕らの食事が済むと店の主人が加わって話をした。
僕は浜頓別の冬の暮らしが気になって色々質問した。
浜頓別の冬は流氷が来る。そして、雪も尋常じゃないほど降るという。だから基本、家は2階まで。3階になると雪で家が押し潰されるからと言った。
実際浜頓別では鉄骨建築の役場以外高い建物はないらしい。
しかし最近になって国道沿いに立派な鉄筋の3階建ての家が建ったという。
「ホタテで一発当てた家なんだ。」
「どんな家ですか?」
「鉄筋3階建て。門にはホタテのオブジェ付き。」
「門にホタテ!? マジで!?」
「地元じゃ “ホタテ御殿” って言われてる!」
「ホタテ御殿?」
僕は御殿から登場するホタテマンの安岡力也を想像した。強烈すぎる!
店主は更にかなり儲かっていると口を尖らせていた。
いやいや!ご主人も三十代で高級志向の食堂を切り盛りしてるんだから凄くないのか尋ねると、桁が違うと笑っていた。ホタテは元々青森が盛んで北海道ではないらしい。しかし、北海道は慢性的に産業不足でどの地域も困っている。そこで何も特産物がない猿払や浜頓別がホタテの養殖を進めていたところ空前のホタテブームがやってきて時流に乗ったのだという。冷凍のむき身やラーメンのホタテ味スープなど、凄い人気であっという間に平家が鉄筋の3階建てになったホタテ養殖御殿誕生の顛末を語った。
また映画など見たい時はどうするのかと聞くと、稚内まで出るという。稚内まで約100キロ。じゃぁ1時間半はかかって大変だろうと返すと、1時間はかからないと言う。じゃぁ100キロ以上で走るのかと驚くと、ここらでは120キロは当たり前でそれ以上も出すと豪快に笑った。
「君らもそうじゃろ?」店主は3人のライダーに聞く。
「はい、もっと出す時あります。150キロくらい。」
僕は桁違いのスピードに驚愕した。その代わり事故となると死亡事故になる確率が高いから北海道は気をつけないと!と店主は注意を促した。
確かに。僕はここまでの行程で2度の事故を目撃した。いずれも北海道に入ってから。1度目は右折しようと減速した車に後続のバイクが追突。スピードは遅かったがライダーは倒れてきたバイクの下敷きになってしまった。
2度目は中山峠を必死に登っている時、反対側から来たバイクがすれ違ったと思うと、そのままけたたましい音を立てて山壁に激突。スピードの出し過ぎでカーブを曲がりきれなかったようだ。ライダーの一人が口を開いた。
「自転車も気をつけた方が良いよ。北海道は自転車も70キロくらい出す人がいて、警察に捕まってる人いたよ。自転車だから捕まらないと思わない方がいいよ。」
「俺も見た見た。警察に捕まってるサイクリスト。」
そうなのか、自転車も捕まるのか。僕の自転車では70キロは無理だが、それでも下り坂なら50キロくらいは出る。気をつけないと。
ふと猛烈な眠気に襲われる。
その上寒い。
僕はカバンからトレーナー、長ズボンを出して着た。
「……寒い」
8月とは思えない冷気が肌を刺す。
まるで秋が一気に訪れたようだった。
「これでも、今年は暖かい方だよ」
店主の言葉に、ゾクリとする。
もし真冬に来たら、一体どれほどの寒さなのだろうか——。
午後9時、僕はトレーナー、長ズボンを着たまま寝袋に入った。
反省会:16歳の僕と56歳の俺
16歳の僕「いやぁ、稚内公園の女子高生、可愛かった!」
56歳の俺「よく親も旅に出させたなぁ〜」
16歳の僕「今考えるとかなりしっかりした子やったと思います。」
56歳の俺「そうかぁ、あとエライ昆布を干すシーンに感動してたんやなぁ….」
16歳の僕「あーいうの見ると、昆布のありがたさが分かるというか、いいもんですね!」
56歳の俺「それはあるかもしれんな!意識するとせんで味も違ってくるな!」
16歳の僕「タダで泊まれる『らんてい』発見!ホタテ定食もうまかったし、最高でした!」
56歳の俺「結局、ホタテ定食とカレーで2000円。宿代浮いたのに、ユースと変わらんやん」
16歳の僕「ええねん!ホタテ美味かったし!あと、”ホタテ御殿” とかいう謎ワードにワクワクしたし!面白い話が聞けた!」
56歳の俺「ホタテオブジェの豪邸な。しかし、安岡力也のホタテマンが出てくるとは笑うな!」
- あなたの町で面白い「ミス〇〇」はありましたか?
- また、あなたの町で一発当てた人の〇〇御殿を知ってますか?
コメントでぜひ教えてください!😊
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