旅のタイムカプセル

#16 流氷亡霊の呪い 〜寂れゆく最果ての町、紋別〜(浜頓別〜紋別)

1985年8月11日 オホーツク海岸線を行く

7時半、遅めの起床。
僕は洗面所で歯を磨き顔を洗う。
寝袋を丸めてカバーに入れる。
出発の準備をしているとライダーたちも起き出した。
4人が行動しだすと俄かに騒々しくなった。
しかし、食堂の人は起きてこない。

知らない人が家で動き回っていて、気にならないのだろうか?

店主の呑気さに驚いてしまう。
私は外に出て自転車に荷物を括り終わって準備完了。
店主に別れの挨拶とお礼を言いたかったが、起こしに行くのも気の毒だ。
もう一度食堂に入って、2階に向かって

「ありがとうございました!」

恐らく聞こえてるだろう。
北海道の人たちのこれがデフォルトなのだろうか?
あまりにも人懐こいし親切だ。
僕はライダーたちにも別れを告げて「らんてい」を後にした。

再びクッチャロ湖に来た。
手持ちの食パンにジャムを付けて食べる。
2枚も食べると同じ味に飽きてしまう。
しかし朝開いている店は何処も見当たらない。
これしか食べるものが無いのだ。
何回か店や食堂がなかったせいで昼食を食べ損ねた事がある。

そう考えるとパンがあるだけでも有り難い。
湖と空を眺めながら、結局5枚切りの食パン一袋を完食した。
8時過ぎクッチャロ湖出発。

眺めの良いオホーツク海岸線を行く。

車もほとんどいない。

建物もない。

とにかく走る以外する事がないといったコース。
ただひたすら同じペースでペダルを踏む。
特にアップダウンや峠道でもないのにパンを完食して2時間も経たないうちに腹が減ってきた。

すき焼き弁当

10時半、枝幸町着。

枝幸は浜頓別より大きな町だった。
それもそのはず、カニや昆布など海産物で非常に潤っており、店なども多かった。
嬉しいことに弁当屋があった。
僕の胃袋は猛烈に肉を欲している。
稚内の夜、鳥や豚肉の入った鍋に圧倒的なエネルギーを貰った事を身体は知っていた。

連日のパン、昨日のホタテではダメなのだ。
肉、肉だと五臓六腑が要求する。
僕は弁当屋ですき焼き弁当の大盛り頼んだ。
出来立てホカホカのすき焼き弁当を振るえる手で受け取る。

嬉しい!

肉を食べると言うことをこんなに嬉しいと思ったことがかつてあっただろうか。
味覚以外にも肉の喜びを感じる感覚があるのではないかと思うほど、肉が僕を満たしていった。
「美味い、涙が出るほど美味い。五感全部が美味いと叫んでる!」

午後2時、雄武町着。
雄武町と興部町の間に日の出という岬があった。

これまでの日の出の地名とは規模が違って町を挙げて名所と謳っているようだ。
そうかぁ、オホーツク海から見る日の出を見なければならないな。
明日は早起きをしよう。

寂れた街「紋別」

午後3時20分興部。4時40分紋別駅に到着。

紋別のイメージは、オホーツク沿岸で網走の次に大きな街と思っていた。
しかし、駅前の商店街はシャッターが半分以上閉まっていた。
何とも言えない雰囲気だ。

ひとことで言うと暗い。

ゴーストタウン。
歩いている人も異様に少ない。
16歳の僕の正直な気持ちだった。
駅前の陰惨とした雰囲気に見るべきところもなく、
予約していた「紋別流氷の宿」というユースに向かう。
このユースも評価が高いと聞いていたので密かに期待して向かった。

5時チェックイン。

夕飯まで時間があるので壁に貼られた張り紙や写真を眺めていた。
部屋にはピアノもある。
私はネコ踏んじゃったくらいしか弾けないが、鍵盤に興味をそそられた。
ピアノ上部には「弾いても良い時間」と書かれていて今は丁度その時間に当てはまる。
よしと鍵盤を1つ押した。

すると後ろから「他の人の迷惑になる!」といきなり罵声が飛んできた。
振り返ると受付をしてくれたオジさんだ。
でも、ここに「弾いても良い時間」と書いてるよと告げる。

すると、訳の分からないことを捲し立ててきた。
まるでヒステリックを起こしたようだ。
鬼の形相に「人間じゃない!」僕は思わず呟いた。

「ダメなものはダメじゃー!キュー!グゴー!」

んっ?人間じゃない!

オジさんを見ると、姿が一変していた!

「流氷亡霊だ!」

流氷亡霊

出現場所 紋別流氷の宿ユース
属性・・・幽霊(憑依系)
ユースはもう長くないんだ……。」(幽霊に取り憑かれたような語り口)
ゴーストタウンの静寂を纏う「

まるで呪いをかけられたように怒り狂っている。
目が真っ白になって、寒気を纏っている!
白い息が噴き出し、まるで冷気の爆風のように周囲の温度を奪っていく。

寒い!

ヤバイ!このままでは氷にされてしまう!
僕は急いで部屋に戻ってドアを閉めた。

寒かった!冷たかった!

部屋に戻って落ち着きを取り戻し、相部屋の人にこのユースは評判が良いと聞いてやってきたことを告げた。
すると年配の客が「私もそれを期待して久し振りに来たんだが、以前と全く別のユースになっている旨を話し出した。

聞くところによると「紋別流氷の宿」は北海道らしい賑やかな名物ユースの1つだったらしい。しかし、紋別の街の荒廃共にお客も減り、人口も半減したという。
紋別を諦めて出て行く人も多く、住んでいる人の様子まで変わってしまったという。

「あのオーナー、昔は温かい人でねぇ〜、それこそ流氷のやってくる真冬でも旅人を温かく迎えた人だったんだよ。
賑やかに歌を歌ったり、赤字にならないかと心配するほどの料理を出したりね。
でも、もう先も短いかもしれないな、この名物ユースも」

もうね、紋別の町自体が大変なんだ。

なるほど、駅前の雰囲気にゴーストタウンを感じたのはそのせいか!

僕は納得した。

別の客が口をひらく。
「ピアノは賑やかだった頃にミーティングの伴奏に使われていたもの。
本当は「触るな!弾くな!」と貼りたいけれど、
オーナーも心のどこかで諦められないのかもね。」

姿は「流氷亡霊」になってしまったけれど、
心の奥底にはまだ人間だった頃の温かさが残っている。
だったらまだ間に合うんじゃないか!
完全に「流氷亡霊」になる前に、

それを期待してきたんだが….。
昔を知っている客が思わせぶりなセリフを言った。

そうか、もう手遅れ、、、
紋別の町全体の問題なんだと気持ちが沈んだ。

北海道はどこも仕事が少なくて、大変だよね。
夏は観光で賑わってるけど、冬はほとんど人が来ない。
そして、紋別はこの20年で一番人が来なくなった町じゃないかな?
寂れゆく北海道の代表的な町ということだった。

北海道はとにかく広くて自由な感じがする。

特に夏はこうして日本全国から旅行者が集まる。
しかし、厳しい越冬をはじめとして住民にとっては大変な土地であることは間違いない。
僕は良い面だけを見て勝手に羨ましがっている。
結局、都合の良い気楽な訪問者なのだ。

今回、色んな街を見て回った。
僕も教えてくれた年配旅行者のように、寂れてしまった町を訪れ、賑やかだった頃を思い出し、誰かに話すのかもしれない。そんな事想像した事もなかった。

僕は風呂に向かった。湯船に浸かりながらまだ考えていた。
以前は活気あった町。
しかし、今では寂れてしまった。
そうなんだな、町も生き物なんだな。
これから数年後、いや数十年後——紋別はどうなっているんだろう?

風呂から上がると夕食を取った。
真と静まり返った紋別流氷の宿で僕は誰とも旅の情報交換もせず過ごした。
紋別の夜は静かに更けて行った。


反省会:16歳の僕と56歳の俺

16歳の僕「いや、マジで怖かったって!流氷冷房の冷気、肌感でヤバかったもん!」

16歳の僕「違う!あのヒステリックな鬼の形相!”人間じゃない” って本能が叫んだんや!

16歳の僕「ほんまですね……賑やかだったユースも、今は流氷に飲まれてた……!」

16歳の僕「まさか……俺も流氷亡霊に!?」

  • あなたが旅先で感じた ‘町の衰退’ ってありますか?
  • もし ‘流氷亡霊’ に遭遇したら、あなたはどうする?
      (A)即座に逃げる!🏃‍♂️💨
      (B)対話を試みる!🗣️
      (C)一緒にブリザードを吹き出す!

コメントでぜひ教えてください!😊

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA