1985年8月18日 キャンセル待ちチケット争奪戦
寒さで目が覚めた。
まだ暗い。時計を見ると午前3時。午前0時の船が出てから寝たので3時間寝ていない。
寒さを我慢して寝ようとする。
しかしガヤガヤと話し声がする。しかも甲高い声でうるさいのだ。
「ブハハハー!」 と響く甲高い笑い声。
「……うるさいなぁ。」
顔を出すと、ターミナルドア前に陣取る 3人のババア がいた。
なぜこんな時間に? 目的は? 野宿組への嫌がらせ?
「苫小牧の妖怪 かしましババアだ!」
寝袋の中で震えていると、ついにライダーの一人がキレた。
「うっせーな! ババア!!」
拍手喝采! …と思ったのも束の間。
ババアたちは一瞬黙るも、「ヒソヒソ……クスクス……ブハハハー!」 と復活。
さらにボリュームが上がる。
「そいでさぁ、あの子ったらさぁ、○△×で、ブハハハ〜っ!ボエボエ!」
何なんだババア!一向に眠れない。
かしましババアは凄まじいババアサウンドを繰り出した。
僕はババアのダミ声の騒音に耐えながら、冷静になるよう努めた。
ふと思い出した。
キャンセル待ちの順番はリセットされて今日、また順番が決まる。
必ず上位の番号を確保しなければならないという事を思い出した。
ターミナルオープンは午前6時。ここでギリギリまで横になっていては確実に出遅れる。
それなら少しでも良い場所を確保すべきだ。
午前4時、僕は寝袋を畳み、暗闇のフェリーターミナル周辺入り口を入念に観察した。
ドアは2箇所あった。中を覗いてどちらのドアが受付に近いのか確かめた。
苫小牧のかしましババアは一つのドアの一番前に座っていた。
この妖怪達も一応フェリーのキャンセル待ちのようだった。
妖怪もフェリーに乗るのかと驚いた。
僕はかしましババアのいるドアはやめにして、もう1つのドアに向かった。
僕はそのドアの一番前を確保した。マットを敷き座ってただひたすら待つ。
昨夜のうちからここで寝ていれば良い話だが、すると夜の閉館前から玄関前に野宿者がたむろしてしまう。それを防ぐ為、玄関周辺は開けておかなければならなかった。
かしましババアが午前3時からドアの前に座って居場所を確保し、僕も別のドアの前に座ったことでキャンセル待ちレースの火蓋が切られた。
にわかに数人が寝袋から出て、かしましババアが先頭のドア、僕が先頭のドアに次第に列をができ始めた。
午前5時を過ぎる頃には、フェリーターミナルの2つのドアは大人気店に並ぶような活気ある、いや競争の活気と熱気がムンムンといった様相を呈した。
朝一番の9時出船のチケット争奪戦だ。
通常大人気の店の場合、並んでる順番に店内へと案内される。しかし、今回の場合ドアが開いた後、第一関門の受付台まで走るという種目がある。
そして、受付台に用意された用紙に必要事項を記入が第二関門。
その後、その受付用紙を受付に持ち込むという3つの競技で成り立っているのだ。
僕の目標順番は5番以内。昨日の様子を見て、5番以内ならほぼほぼ乗れるのではないかと予想していた。
僕はスタートダッシュは当然、受付用紙に書き込む速記のイメトレもした。
名前はカタカナの方が早いか?いや僕の場合は漢字の方が早いなど、
朝早くからかしましババアのバカ声で起こされた怒りのパワーを全てぶつけてやる!そんな気持ちで武者震いしていた。
午前6時、ついにフェリーターミナルのドアが開く!
しかし——
「先に開いたのは、まさかのババア側のドア!!!」
ババア軍団、先頭ダッシュ!!!
だが、ここで ライダーたちがタックル!
ババア3人、見事に将棋倒しッ!!!
僕の目の端でかしましババアがスローモーションで床に叩きつけられる。
一方、僕のドアも開いた!
負けるか! 走る! 走る!!
受付台に滑り込み、秒で記入!
——結果、7番!!!
クッ……微妙……!!!」
3番なら確実、5番でもほぼ大丈夫。
でも7番……これは…… ギリギリボーダーライン!!!
乗れるのか!? 乗れないのか!?
運命は、まだ神の手の中だった——!!!
直談判
僕は「キャンセル待ち7番」で、何もせずにただ待つつもりはなかった。
どうにか乗せてもらうよう交渉してみようと考えた。
まず腹ごしらえに午前7時朝食を取る。
昨夜のことを思い出す。
交渉するなら出船の1時間前ではもう遅い。
何故ならフェリーの出港1時間前は自動車やバイクの乗船時間だからだ。
そしてキャンセル待ちの呼び出しも1時間前だった。
そうなると、出港1時間前の時点でキャンセル待ちで積載可能台数は決定していることになる。乗船させた後、空きがあるからじゃぁ追加乗船!とはならないだろうと考えた。
「あっ、ここ止めれるスペースがあります!」
「じゃぁ、一台入れます!」なんてやり取りする余裕はないはずなのだ。
そういう訳で僕は乗船1時間半前までが交渉のタイムリミットだと考えた。
7時半、僕は受付に向かい。昨日詰め寄った内容と同じ事を告げた。
「僕は自転車です。通常自転車は折り畳んで持ち物して乗船します。しかし、僕の自転車は普通もお買い物自転車なので折り畳めません。しかし、北海道に渡る時、バイク扱いでしたが荒縄で隅に縛られ固定されました。バイクと同じスペースは必要ありません。
何処でも載せるスペースは十分にあるはずです。
すると余裕がある時間だったせいか、これまで聞くこともしてくれなかったのに目の前で無線で尋ねてくれた。
受付:「お買い物自転車、一台行けますか?」
無線:「行けます。どうぞ!」
……え?
「マジで……? 乗れるの?」
理解が追いつかないまま、受付の人がチケットを手渡す。
震える手で、それを受け取る。
「乗れる……俺、乗れるんだ!!!」
思わず 「ありがとう!!!!」 受付の人に大声で言った。
周りのライダーたちが「よかったな!」と肩を叩く。
涙が出そうになる。
昨夜のパンクも、絶望のキャンセル待ちも、かしましババアに邪魔された眠りも、
全部報われた気がした。
これはただのチケットじゃない。
「僕の北海道脱出チケット」なんだ。
手にしたチケットが嬉しくて手が震えた。
さらにここで嬉しいことがもう1つあった。
フェリーチケットは学生料金の設定があり、学生証を見せると割引になる。
しかし僕はその事実を知らなくて学生証を持参していなかった。
本来なら学生証がないと出来ない学生割引。それを受付担当者は特別に学生料金にしてくれたのだ。
所持金が1万1000円程になっていた僕には涙が出るほど嬉しかった。
大事にしていた最後の一万円札を渡すと、番号の書かれた目印を「これを自転車に括り付けて」と手渡してくれた。
僕はチケット。
相棒の自転車には番号の書かれた目印。目印をくくりつけながら僕は一緒に手にしたようでとても嬉しかった。相棒も喜んでいる気がした。
僕もボロボロだったが、自転車もタイヤを筆頭にボロボロだった。
僕たちは北海道を走りきり、そしてついに脱出チケットを手にしたのだ。
「よく一緒にここまで来たな、相棒。」
「もう少しだけ、頑張ろうな。」
さらば北海道
乗船時間は瞬く間にやってきた。
僕は自転車を押してバイクや車と同じルートで車載デッキに乗り込む。
一般乗船30分前なので2等客室はガラガラ。
僕は広々とした客室の気に入った場所に荷物を置いた。
朝が早かったので眠気がする。
しかし船に乗り込むと毎度のことながらウキウキしてしまう。眠気を堪えて船内を回った。
甲板で出て北海道を見渡す。8月4日に函館に降り立ち、今日18日苫小牧を経つ。
ちょうど2週間。
たった2週間。
されど思い出すととても2週間とは思えない濃厚な時間が過ぎていった。
全てが克明に思い出せる。
行きたいところも沢山あった。
もう一度行きたいところも沢山ある。
泊まらせてくれた食堂やユースホステルもまたいつか来たい。
だけど、もう一生会えない人もいるだろうな。
北海道の思い出を吸い込むように僕は呼吸に集中した。
北海道の空気さえ名残惜しい。
もう一度もう一度と思い出が巡りゆく。
午前9時20分、バニア号出港。
僕は甲板に立ち、離岸して遠ざかる北海道を見つめていた。
海面には、白い航跡がスーッと伸びていく。
まるで僕と北海道をつないでいた一本の糸が、じわじわとほどけていくようだった。
船室に戻り夕方着く八戸からどう走るか考えようとした。
ただ、3時間睡眠の僕の睡魔は限界に達していた。
毛布をかぶると、もう何も考えられなかった。
全身が鉛のように重い。
気づけば、意識が深い海の底へ沈んでいくように、泥のように眠った。
本州上陸
目が覚めると午後2時を過ぎていた。実に5時間近く眠っていたのだ。
腹がなる。朝7時に食べただけだから、腹は減るわなと思った。
ただ今日は少しも走っていない。
だけど全力で走ったのと同じくらい何度も腹がなる。
フェリー代を払いもう残金は7000円を切っていた。これはマズイぞ。と改めて思った。
恐らく八戸で都市銀行は望めない。
すると仙台までこの残金で過ごさなければならない。
それでも腹が減った僕は何か安いものはないかと売店に向かった。
幸か不幸か売店は閉まっていた。
お金を使わなくて済んだと思った。しかし、やることもないので色々と物色する。
すると青森函館間ではなかったインスタントうどんの自販機があった。
200円…….、か。
僕はこれくらい!と自販機に100円玉2枚を放り込んだ。
自販機とはいえ生麺のうどんは美味かった。腹を満たすと風呂へ向かった。
昨夜入ってなかったので気持ち良い。しかも海の上の風呂。窓から見える海景色はさも移動銭湯といった雰囲気だ。
船室に戻り、地図を広げた。
残った残金で仙台までの行程を考えた。
ルートは2つ。
内陸部を走る国道4号線。距離は360キロ程度で途中盛岡市を通る。
仙台まで行かなくても盛岡なら都市銀行があるかもしれない上、北上川沿いのコースどりは比較的アップダウンも少ないようだ。
一方、太平洋側を走る国道45号線。
日本屈指の険しい海岸線でアップダウンは尋常でなく、サイクリストにとって「天国の海道」という人もいた。
「天国」とは決して良い意味でなく、途中で挫折して終わってしまうという意味だ。
しかも直線的な4号線に対し、弓なりの45号線では距離がかなり違う。
コースの良し悪し、距離、途中の経由地、どれを取っても国道4号線を選ぶべきなのは分かり切っていた。しかし、どうしても心が45号線だというのだ。
ここまで来て逃げるも何も無いはずなのに、過酷な方を選べと半ば強制のように心が訴えかけてくる。
このルート選択は単なるルート選択ではないと思った。
ここで僕が楽なルートを選択するということは、究極仙台までフェリーで行くのと同じではないか。
もちろん、極端な解釈だとは思う。
しかし、これまで3,000キロ以上走ってきて、ここで楽なルートを単純に取るのは今回の旅を全てぶち壊すような気がした。
残金六千数百円。こんな状態だけど、45号線を行こう。
……いや、行くしかないんだ。
ここで逃げたら、北海道を走り抜いた自分に嘘をつくことになる。
それだけは、絶対にイヤだ。
午後5時前、予定より早くバニア号は青森県八戸港に着岸した。
フェリーでの睡眠と今日1日全く走っていない事でエネルギー全開だった僕。
「よしっ!行くぞ!」
国道45号線を目指して勢いよく走り出した。
現金がないので仙台まで全て野宿確定。
それならば、走れるだけ走れば良いと思っていた。八戸港から真っ直ぐ走ると大きな道に出た。それは僕が仙台まで走る国道45号線で「八戸バイパス」と呼ばれていた。
まだリアス式海岸沿いの過酷なルートの雰囲気は微塵も感じられない。
僕は55キロ先の久慈まで進んでネグラにしようと走り出した。
守銭奴蛇と金額交渉
「パァーン!」
と大きな乾いた音がした。
5回目のパンクの時と同じ派手な音。もう見て確かめずとも分かっていた。
そうだそうだ、忘れていた。
苫小牧か青森でタイヤ交換は絶対だと思っていたのに、船に乗って気分爽快の勢いですっかり忘れていたのだ。
僕は少し前に自転車屋を見た事を思い出し、そこまで歩くことにした。
すぐあったと思われた自転車屋は歩くと意外に遠かった。
自転車屋に到着し、タイヤの値段を聞く。
自転車屋のおじさんは3600円と言う。それだと残金3000円を切ってしまう。
仙台までの三日間をそれだけで過ごすには心許ない。
少しでも安くと思い値切ってみる。
すると3600円の価格はチューブもセットだと言う。
だから負けられないとおじさん。
僕はチューブは必要ないと言ったがおじさんはチューブの交換を執拗に進める。
お金の事情も話して、とにかくタイヤだけで良いと念押しすると、
タイヤだけなら2,900円ということで話がついた。
「じゃぁ、取り付け代はサービスしとくから。」
とおじさんはタイヤ交換を任せとけと言わんばかりに始めた。
当然自分ですると思っていたが、それなら任せようと眺めていた。
それにしても痛々しいタイヤだ。
表面はズタズタ。ゴムは裂け、糸が飛び出し、まるでミイラの包帯みたいにボロボロだ。
パンクの修理跡が何層にも重なり、もはや原型を留めていない。
「よくここまで耐えてくれたな……。」
僕はズタズタの後ろタイヤに心の中で謝った。
思えば抜海の砂利道が相当堪えた。
初めてタイヤ交換を意識したのは稚内だった。
それから網走、釧路、帯広と結局替えずに八戸まで来てしまった。
そのせいで稚内以降今回を含め実に6回のパンクに見舞われた。
稚内で交換していたら、恐らく6回という回数になっていなかった事は明白だ。
タイヤ交換が仕上がり、おじさんが手を出しながら言った。
「はい3,400円」
「えっ!?2,900円の間違いでは?」と僕は問いただした。
すると2,900円+交換料の500円で3,400円と言うのだ。
おじさんの目は吊り上がり口角が意地悪く上がる。舌はチロチロと蛇のよう。
手は金を出せ出せとこまねいている。
「あっ、人間じゃない!こいつは守銭奴蛇だ!」
「ほれ出せ!お前の旅をジリ貧にしてやる〜!」守銭奴蛇は完全に蛇の目になっていた。
僕はこのままお金を払うわけにはいかない。こちらも必死だ。
僕は詰め寄る。
守銭奴蛇
「チロチロ、とにかく3,400円だ〜!払え〜!」
僕「「は? さっき2,900円って言いましたよね?」」
蛇「そこに。交換料が500円プラス。」
僕「いや、サービスって言いましたよね?」
蛇「だから、普段1,000円のところを半額サービスで——」
僕「それ、サービスじゃなくて普通に請求してるだけですよね?」
蛇「……。こざかしい!払え〜!」
僕はこの後の3日間の食費がかかっていた。
また僕の金銭事情を話した上で交渉し2,900円になったのだ。
姑息なやり取りをしてきた守銭奴蛇への怒りが爆発した。
僕は「明確に金額提示をせず、サービスという曖昧な言い方で後で要求するやり方は汚い。絶対に2900円しか払わない。しかも金が掛かるというならば僕は自分で交換した!」と一気に捲し立てた。500円といえば、一回の食事が出来る金額だ。
断固譲るつもりは無かった。
しかし、取り付けたんだから払えと守銭奴蛇も舌を出す。
僕は腹を決め、
「じゃぁ修理前の状態に戻せ!僕が自分で交換する!」
一瞬、沈黙。
守銭奴蛇の目がギラリと光る。
しかし、その目がほんの一瞬、揺らいだように見えた。
「……わかった、2,900円でいい。」
勝った!!!
午後5時に八戸港に到着した頃はまだ明るかった。
しかし走って戻ってタイヤ交換し、守銭奴蛇と戦ううちに午後7時になっていた。
八戸の町はすっかり暗く、僕は久慈に向かうことを諦め本八戸駅を目指した。
小さなビアガーデン
午後8時、散々迷いながら本八戸駅到着。
駅舎の土産物屋はまだ空いており、僕は駅前に自転車を停めると人気のない土産物屋を見て歩いた。どうせ買う気はない。僕は飽きて、自転車に戻る。
周囲を見回すと向かいに明るく光る食堂があった。
寂しい本八戸駅には似つかわしくないほどの明るさで、しかもテレビが外向きに置かれていた。僕は自転車を押しながら食堂の前まで近づいた。
ちょうど見覚えのある番組がやっている。
しばらくテレビを見ていなかった僕は久しぶりに新鮮だった。
そうして僕はそのテレビを眺めると言うより、本格的に見入っていた。
小さな食堂は開放的でテントが設営されており、小さなビアガーデンといった感じだ。
客は数人。本八戸駅前の細やかで開放的なビアガーデン。
高校生の僕が食事をせずテレビを見ていても誰も咎める事はなかった。
しばらくすると「おーい!おーい!」と声がする。
追加注文の為、店員を呼ぶ客の声かと思ったら、どうやらその声は僕を呼ぶ声だ。
テーブル席に目をやると、20歳前半といった感じのアニキ二人が僕を手招きしている。
完全に酔っ払っている。絡まれるかも?
とイヤな予感を感じながら、僕は自分を指差して「僕ですか?」とうジェスチャーをした
「そうそう!君だよ!」
と二人のアニキ。僕は一瞬躊躇した。
するとその仕草を見逃さなかった一方のアニキが焼き鳥の乗った皿を少し持ち上げ、
「これ食えよ!」と言った。
僕はひらひら手を羽のようにして笑顔でテーブルに向かった。
今日はほとんど走っていなかったので夕飯を抜くつもりでいた。とは言え当然腹は空いている。と言うより毎日飢えている。食べるか?と言われれば何時でも食べられる。
「ありがとうございます!」と元気よく焼き鳥を食べ始める僕に、これも食えアレも食えと、残っていたものを全て僕の前に寄せ並べた。
声をかけられた時は絡まれるかと思ったが、正反対のエンゼルアニキだったのだ!
フェリーでのうどん以来の食事。僕は全ての料理を食べ尽くしていった。
「うわぁー、よく食うねー! 何も食べてなかったんじゃない?」
いかにもその通りである。
エンゼルアニキ2人は笑いながら言い、その後は質問攻めになった。
「何歳?」
「どこから来た?」
「どこに行った?」
「何でここにいる?」
「どこに泊まった?」
その全ての質問に丁寧に答えながら、僕はひたすら食べた。
「うわぁ〜、若いなぁ!」
「16歳かぁ……俺たちも、そんな時があったんだよなぁ。」
2人のエンゼルアニキは、遠くを見るような目をした。
「お姉さん!この子16歳だって〜!」店員のお姉さんに向かって大きな声でエンゼルアニキ1号が言う。するとエンゼルアニキ2号が叫ぶ。
「お姉さん!もっと焼き鳥追加して!」
僕の為に追加してくれている事に嬉しくて涙が出るほどだった。
その後、稚内で野宿したこと、喉が渇いて牧場に駆け込み牛乳を貰ったこと、さっきのパンクを含め4日連続5回パンクした事。しかしタイヤを丸ごと交換しもう大丈夫だということ。
「わぁ、俺感動しちゃったよ!」とエンゼルアニキ1号は涙ぐんでいた。
「俺もね、本当はね、そういう事したかったのよ!でも、ありがとうありがとう!」
「で、君、年いくつ?」
「16歳です!」
「うわぁ〜、若いなぁ!」
もう既に年齢は4回も5回も聞かれていた。
エンゼルアニキたちは酔いもあったが、それよりもそんな16歳の時代が自分にもあったことを再確認するように何度も尋ね、「16歳」の響きを聞く度に涙ぐむのだった。
彼らもまだ20代半ば、いや、もう少し若いのではないかと話してるうちに思われた。
しかし自動車か何かの整備工の職に就いているという二人のエンゼルアニキは、もしかしたら高卒か高校中退で仕事に就いたのかもしれない。
そう考えると16歳は遠い昔の事なのかもしれなかった。
2人のエンゼルアニキと僕以外の客は全て帰ってしまった。
お店の営業も終わりの時間のようだ。
「俺、感動しちゃったよ、お姉さん、彼に明日のおにぎり作ってやってくれ。」
エンゼルアニキ1号は僕に明日のおにぎりを持たせてくれた。
そして、ビアガーデンのお姉さんも
「凄いよね!私も感動しちゃった!」とジュースを2本くれた。
それも普通の清涼飲料水ではなく「青森りんご」と書かれた果汁100%の本物のジュースを袋に入れて持たせてくれた。
「朝ね、霜が降りるから。それに雨もあるかも? だからこのテントの下で寝なさい。」
とお姉さんはビアガーデンのテントの中で寝るよう言ってくれた。
そこまで見届けるとエンゼルアニキたちは「帰るわ!」と勘定をお姉さんに促す。
エンゼルアニキ2号が「メモあるか?」と言う。
僕は宿泊先で書いてもらうノートを出した。
すると、エンゼルアニキ2人は順番にノートに向かった。
……何を書いてるんだろう?
僕は黙って見つめる。
エンゼルアニキ1号が、僕の胸にノートをポンと当てる。
「じゃあな!」
「ありがとうございます!」
僕は胸にノートを抱えたまま深くお辞儀をした。
エンゼルアニキ2人が行った後、僕はノートを開いた。
「頑張れ!あと一息!」
「ありがとう!勇気に感謝!」
ヨレヨレの字で書いてあったが、
心を込めた事が容易に伺えた。
ありがとうは僕だよ!
反省会 16歳の僕と56歳の俺
56歳の俺「とうとう北海道を出たか……感慨深いな。」
16歳の僕「ですね……。でもキャンセル待ちの不安、もう二度と経験したくない!」
56歳の「まぁ、あれは頑張った。受付の人も協力的やったな。」
16歳の僕「はい!ありがたかったです!」
56歳の俺「で、八戸着いた瞬間パンクやろ?」
16歳の僕「はい、ド派手に……⤵️」
56歳の俺「で、守銭奴大蛇とバトル?」
16歳の僕「詐欺まがいの金額請求されました!」
56歳の俺「お前もだいぶ喧嘩慣れしてきたな……。」
16歳の僕「喧嘩というより交渉です!平和的解決です!」
56歳の俺「で、夜はエンゼルアニキ降臨?」
16歳の僕「はい、もう涙出そうなくらいの優しさ!」
56歳の俺「お前、焼き鳥何本食った?」
16歳の僕「たぶん10本以上……。」
56歳の「タイヤ交換分は食うとるな…..。」
16歳の僕「……むしろお釣りがくるレベルかも……。」
56歳の俺「そらエンゼルアニキも泣くわ!」
16歳の僕「えっ!エンゼル兄貴の涙の理由、そっち?……..。」
- あなたは旅先で不当な請求をされたことありますか?
- あなたのご馳走してもらった思い出話を聞かせてください。
コメントでぜひ教えてください!😊
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