1985年8月20日 水筒と胡桃
風呂に入らないのはこんなに辛い事なのか。
眠くて眠くて堪らないのに寝汗で痒さがぶり返すたび目が覚めた。
夜が開ける前とうとう、目が冴えて起きてしまった。
腕をこすると、白い粉のようなものがポロポロ落ちる。
まるで砂漠の岩肌が風化するみたいだ
塩がふいている。とはこれなのか?
肌の痒みの原因が分かった。
僕は駅舎のトイレに行き、濡らしたタオルで身体を拭いた。
午前6時、ライダー、サイクリストも起きてヤァと挨拶。
キオスクで朝食となる。
僕は食パンを買って、手持ちの残り少ないジャムを付けて食べる。
昨夜、水筒が無くて、苦しかった僕の話を気にしていたライダーが水筒を投げてよこした。
「やるよ!」
「ありがとう!」と言う僕に、
「君の昨日の状態は危険だったと思うよ。水分補給は絶対。そして昼抜きはダメ」
と念を押し、続いて胡桃が入った袋が投げられた。
受け取る僕。
胡桃をこんな。
確かに、飯抜き、水分補給なしがあの突然の脚の硬直だったのだろう。
そんな話を覚えてくれていて、水筒をくれて、本当にありがたい事だった。
午前6時50分、気仙沼駅を目指して出発。
気仙沼にたどり着けば、仙台までの距離がグッと縮まる。時間的にも、金銭的にもギリギリの戦い。あと2日で仙台に行けなければ、残金2000円のまま行き倒れてしまう——
そう思うと、ペダルを踏む足にも力が入った。
銃声
気合を入れて走り出すが、出発直後から腹具合が悪い。
国鉄駅までもてば、駅のトイレに駆け込めた。
しかし、次の駅まで峠を越えなければならない。
峠は漕いで登れないほどの勾配になった。
自転車を押している時に便意をもよおした。
あっ!これアカンやつ!
猶予はなかった。
昨日食べた3つの弁当と今朝の食パンが、腸の高速道路で大渋滞を起こしている。
前の車(昨日の3つの弁当)が立ち往生しているのに、後続車(今朝の食パン)がクラクションを鳴らしまくって猛スピードで迫ってくる。
『早く行け!詰まってるんだよ!』腸内大パニック——まさに暴動寸前だった。
「ギュルルル〜ッ!」
僕は眼球が裏返るかとの思いで自転車を停め山に駆け込んだ。
昨日から国道45号線はとにかく車が少ない。
今日も車の往来は殆どなく、先ほど走っていて前後の気配から誰も来ない。
そう思って、僕は数メートル入った草むらの陰で用を足した。
お腹の具合は思いの外悪い。
もうこれ以上出るのか出ないのか、
出そうな気がするし、
大丈夫な気もするし、
イヤやっぱりまだという非常に微妙な状況だった。
まぁ、焦ることはないと思っていると、遠くに乾いた銃声。
「パーン!パーン!」
乾いた音が遠くで響いた。
『え、何? 銃!?』
一気に全身の毛穴が開く。
国道沿いにあった“狩猟解禁”の看板が脳裏に浮かんだ。
……いや待て、まさか俺、シカかイノシシと間違われて撃たれたりしないよな?
でも、しゃがみ込んでるこの姿勢……ヤバくないか?
それ以外にも「狩猟解禁につき山入り注意!」という看板もあった。
銃を持って猟をする人も、猟はしないが山に入る人もお互い注意しろ!と言うことなのだろう。もちろん銃弾が道路まで飛び出すことはないだろうが、
銃声を聞きなれない僕は間違って当たらないかと恐怖を覚えた。
なかなか踏ん切りがつかないでいると、絶対に人が来ないと思っていた道路脇を男が歩いてくる。
「嘘やろ!」と思ったが、時すでに遅し、道路脇の僕の自転車を見て、男は咄嗟に草むらに目をやる。
茂みの中で、完全に『隠れているつもり』だったが……
男とバチッと目が合う。
(やばい、見られた!!)
僕はそっと葉っぱをずらし、僕は息を呑んで顔を隠した。
まるで狩人のように。
僕は「キジうち」という言葉が痛いほど分かった。
胡桃のお礼
午前11時20分、釜石駅到着。
釜石といえば、新日鉄釜石のラグビーのイメージ。
ラグビーをしっかり見たことはないが、にも関わらず、
初めての釜石と言えばラグビーと直結した。スポーツの力は恐ろしい。
釜石駅で朝買って残っていた食パンを食べた。
とうとうジャムも無くなってしまった。
僕は、何も付けない食パンを甘くなるまで噛んだ。
釜石は着いた時から独特の臭いを放っていた。
駅前の黒い工場、白と赤のツートンカラーの高い煙突。
しかし海沿いに出ると海産物の直売店がひしめき合っていた。
環境がいいのか悪いのかよく分からない組み合わせが古き良き町の感じで、工場と漁業が戦っているようだ。
なるほど身体と身体がぶつかり合うラグビーが強いのが分かる気がする。
パンを全て食べ終わると眠気がしたのは覚えている。
気がつくとベンチに横になっていた。
時計を見ると午後1時半。あれから2時間近くも眠っていたようだ。
僕は飛び起きて釜石駅を出発。
しばらくすると白い釜石の大観音が左手に見えた。
姿は見えるが、観音様は海を見ていて僕からは丁度背を向けられた格好だ。
写真を撮ろうかと思ったが、観音様に背を向けられシャッターを押す気になれなかった。
150メートル級の峠をいくつか、350メートル級の峠を越え4時30分大船渡市に入った。
釜石から大船渡まで40キロもない。なのに3時間を要した。平均13キロ以下。
これが国道45号線なのだ。
大船渡市に入って、駅を目指す。
しかし、なかなか分かりにくい。
僕は通りがかりの小学生4年生くらいの男の子に尋ねた。
男の子は首を傾げ、うーんと表情を曇らせた。
「ややこしいんだよね。ちょっと来て!」
僕に着いてこいと先導する。
ある程度わかりやすいところまで連れて行ってくれるのだろうとついて行った。
すると驚いた事に大船渡駅まで連れて行ってくれたのだ!
こんな長い距離なのに!
3キロ、いやっそれ以上の距離だった。
僕は何かお礼をしたかった。が、何にもない。
あっ、あった!
朝、ライダーにもらった胡桃があった。
僕は男の子に胡桃を1個手渡して、ありがとうと頭を下げた。
「ありがとう!」男の子のさらに元気な声が響いた。
「僕の方こそありがとうだよ!」
これはもう、導きの天使に違いない。
残り少ない夏休み
5時、大船渡駅。時間的にここで野宿でも構わない。
しかし、そうなると明日午後6時までに仙台着のハードルが高くなる。
気仙沼までは厳しいかもしれないが、せめて陸前高田までと気合いで出発。
スタート直後の5キロ程度は比較的平坦で走りやすく助かった。
しかし程なくしてアップダウンが始まった。
クネクネと曲がりくねる道。
僕はアップダウンだと思っていたが「通岡峠」だと分ったのは上り切った時だった。
僕は強烈に甘いものが欲しくなった。
今日は朝に買った食パンだけだった。
昼はジャムさえなかったので糖分が切れたのかもしれない。
現金は1000円を切ってしまったが、足が動かなくなった昨日を思い出してコーラを買って飲んだ。
「喉を通る冷たさと、シュワッと弾ける炭酸。染み渡る甘さ。ヤバい、美味すぎる!」
甘さとシュワシュワの融合。これは発明と言っていいだろう!
イエスコーク。まさにその通りだ。
通岡峠を下る。もう真っ暗だ。
午後7時、迷うことなく陸前高田駅に到着。
まずは駅舎に入りボーッとした。
最近楽しみになってきている運賃表を見上げる。
大阪までの運賃が見る度に安くなっているのが面白かった。
鼓動が平常時に戻ると、弁当屋がないか確かめた。
宮古駅の時と同じように駅前にあってホッとした。
のり弁280円、有り難い。
のり弁は今の僕には凄いご馳走だ!
僕は2個買った。残金400円。
駅に戻って駅舎のテレビを見ながら弁当を食べていると、改札口から制服姿の学生が束になって出てきた。恐らくクラブ活動でもあったのだろう。
学生を見て、僕は8月があと11日しかない事を思い出した。
「8月もあと11日間。なんだ、この焦り。あんなに長かった夏休みが……終わる?」
8月という満杯の砂をたたえた砂時計。
それが残りわずかになって、減りゆくスピードがみるみる分かる。
いやだ、落ちていかないで!!
手で止めようにも出来ない過ぎゆく時の砂。
残り時間の重圧が僕の双肩にのしかかる。
恐怖の駅ホーム野宿
午後8時、もう起きていても仕方がない。
僕は駅舎を出て、マットを自転車の横に敷き出した。
すると駅員さんが出てきて、
「今日、ここで野宿するの?」
「はい。」
「ここはダメダメ。変な賊が毎晩来るから危ないよ。本当に襲って来て、物をとったりされるから。」
僕はどうしようかと黙っていた。
「あのね、駅舎で寝てもらうことはできないけれど、終電が出た後ホームで寝るのはどう?」と駅員は言う。
ホームで?そんなんしたことないですけど、、、、
僕は駅舎で午後10時の終電を待つ事になった。
待つといっても起きてることは不可能で、いつの間にはベンチに横になって眠っていた。
ホームで寝て良いと言ってくれた駅員さんに起こされ、僕は酔っ払いのようにフラフラと歩き、ホームに案内された。
その時の僕は亡霊のようだったであろう。
疲れと眠さの中、マットを敷いて寝袋を広げ身体を収める。
先ほどの眠りの続きに入っていった。
しばらくすると、蚊の音で眼が覚めた。
どうやら凄い数の蚊が飛んでいるらしい。
しばらくは手で払うなどしていたが到底熟睡は望めないと諦めた。
僕はリュックの蚊取り線香を取り出し火を付けた。
ホームは暗いと思っていたが、まだ看板の電気がついていた。
目が慣れると意外に明るかった。
蚊取り線香は2個の方が良さそうだと風向きを見て2個体制にした時、
ホームの電気が一瞬で落ちた。闇が一気に迫ってくる。
真っ暗だ!
しかし、また目が慣れてくると月と星が意外に明るい。
寝始めた時には思わなかったがホームがやけに狭く感じる。
寝ぼけて落ちたらシャレにならん。そう思い、ホームの下を覗いた。
暗闇の中、線路だけが月光を浴びて鈍く光る。その輝きが、妙に生々しい。
不気味だ。何とも言えない不気味さが漂う。
分厚い線路が、まるで切れ味鋭い刃物のように見えるのだ。
陸前高田駅。
もちろん初めての駅だ。
しかし、いつから列車が走っているんだろうか?
恐らく長い歴史があるだろう。
これまで一度も列車事故はなかったのだろうか?
いやっ、事故でなくとも飛び込みの1度や2度はあったかも知れない。
見なくても良い長いホームの先を首を起こして見てみる。
誰か歩いて来たらどうしよう。
線路の上を上半身のない下半身が、「ないない……」と呟きながら、
線路の上を何かが這い寄ってきたら……!?
「いや、それなら”ないない…”じゃなくて、ズル…ズル…って音だけが響くのか?」
上半身が「ないないない!」
下半身が「ズルズルズル…..。」
何でこんな時にと思えば思うほど想像力が膨らんで考えた事もない恐怖の映像が頭に浮かんでくる。
怖い。ホンマに怖い。
賊も怖い。でも、……幽霊っているのかなぁ…..。
俺、ホームに落とされる?
駅のホームの野宿、有り難かったが怖くもあった。
反省会 16歳の僕と56歳の俺
56歳の俺「お前、朝から水筒もらって、もう毎日誰かの世話になってるなぁ、」
16歳の僕「その通りです。小学生の導きの天使の世話にもなってしまって、」
56歳の「年上から年下まで世話になりっぱなしや!」
16歳の僕「もう、助けてくれるものは藁でもすがる感じです!」
56歳の俺「残り400円でどないすんねん!」
16歳の僕「とにかく明日は絶対仙台に着きます!」
56歳の俺「そやなぁ、でないと行き倒れるなぁ…….。」
16歳の僕「はい、それは絶対阻止します!」
56歳の俺「しかし、国鉄の駅のホームで寝るって凄いな!」
16歳の僕「そうなんですか?」
56歳の俺「2025年では考えられへんは!野宿者を入れるって絶対ないわ!」
16歳の僕「時代は変わる。」
56歳の俺「そやな、40年前にはまだ”昭和の自由”があったんやな。
16歳の僕「ありがたいけど、怖かったです。」
56歳の俺「確かに!駅ホームで寝袋で寝る肝試しイベントとか流行るかも?」
16歳の僕「……は?」
56歳の「”JRホーム野宿体験ツアー”とか、売り込めへんか?」
16歳の僕「誰が行きますねん!!」
- あなたは「凄まじい便意で大変な思い」をした事ありますか?
- 恐怖を感じた野宿のエピソードがあれば教えてください!
コメントでぜひ教えてください!😊
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