旅のタイムカプセル

#29 土曜の新宿は魔境!?ジキルハイドアニキのギフト(笠間〜新宿)

1985年8月24日 冷え込み

寒い。

寒さで目が覚めた。
外はまだ真っ暗。
寝袋の中で体を丸め、少しでも暖を取ろうとするが——無理だ。

「……寒すぎる!!」

地面から伝わる冷気が、マットを通して体に突き刺さる。
まるで氷の上に寝ているかのような感覚。
腰、足先、肩——すべてが冷たい。

「とてもこのまま横になっていられない……。」

時計を見ると、午前2時50分。
眠気と寒さの間で葛藤するが、このまま寝袋の中にいても、冷え切るだけだ。

「エイッ!」

思い切って起き上がった。

できる限りの防寒対策

真っ暗な中、ランタンに火をつける。
バッグを探ると、Tシャツが1枚、予備のズボンが1枚。
それしかない。

僕はズボンを腹と腰に巻きつけ、Tシャツは背中と地面の間に敷く。
少しでも冷気を遮断しようと試みる。

再び寝袋に潜り込む。

「……これでマシになるか?」

だが、午前3時。

寒さは増す一方だった。

足先の感覚がどんどんなくなっていく。
震えが止まらない。

「これは、もう無理や……。」

寒さに耐えられず、体を動かす

僕は立ち上がり、スクワットを始めた。

「とにかく、動かないとヤバい!」

ジャンプをする。
腕を振る。
だが、一度冷え切った体はなかなか温まらない。
そんな時、ふと駅舎の前にある自動販売機が目に入った。

「もしかして、温かいコーヒーとかあるんじゃ……!?」

わずかな希望を胸に、駆け寄る。
目を凝らしてボタンを確認する。

……しかし——

全部、冷たい飲み物。

「……そりゃそうか、まだ8月やもんな……。」

自販機に温かい飲み物が並ぶ季節は、もう少し先だった。
寒さに震えながら、寝袋を畳み、荷物を積み込む。

午前3時50分。
真っ暗な笠間駅を発った。

レインコート

寒い。痺れる寒さだ。

走り出すと、冷たい風が容赦なく体を襲う。
ペダルを踏むたびに、風が全身を切り裂くようだ。

「北海道で落としたトレーナー……あれがあれば……。」

今さら悔やんでも仕方がない。
むしろ、北海道より寒いんじゃないか?

秋を通り越して、まるで初冬。
手は凍え、顔は痛いほど冷たい。

「……あっ、そうだ!」

レインコート!!

僕は自転車を停め、急いでバッグを探る。
レインコートを取り出し、サッと羽織る。

「これは……いける!!」

ペダルを踏む。

それまで、体温が上がっても冷たい風ですぐに奪われていた。
だが、レインコートが冷気を遮断するだけで、少しずつ体の芯が温まってくる。

寒さはまだ厳しいが、これなら耐えられる——
……いや、これがなかったらヤバかったかもしれない。

とはいえ、ハンドルを持つ手先と顔は、相変わらず痛いほど冷たかった。

オートスナックの救い

しばらく走ると、簡素なネオンの建物が目に入った。

「オートスナック」

自動販売機が並んだ、無人の店舗だ。

「何か温かいもの、あるかも……!」

期待しながら入ると、「うどん」の販売機を発見!
すぐに小銭を投入する。

ガコンッ!

湯気の立つカップを手に取る。
恐る恐るすすってみると——

「……ぬるい。」

けれど、この状況では十分すぎるほどありがたかった。
冷え切った体に、ぬるいうどんの温もりが染み渡る。
午前5時前。外は少しずつ明るくなり始めていた。

スクーター山姥

うどんで温まり、エネルギーチャージ完了。
ペースが一気に上がる。

国鉄高崎線沿いの国道17号線

この辺りには、珍しく「自転車専用道路」が整備されていた。

「おおっ、走りやすい!」

道路は段差もなく、まるで滑るように進める。
もし、この道が旅の最初からずっと続いていたら、どれだけ楽だっただろう?
「将来、こういう道がもっと増えたら最高だな……。」

そう思いながら快適に走っていると——

反対側から、スクーターがやってくる。

「……ん?」

ヘルメットも被っていない。
運転しているのは、年配のおばさん。

そして——
「なんで、自転車専用道路のど真ん中を走ってくるんや……!?」

普通なら、お互い左右に寄れば余裕ですれ違える道幅。

なのに——

おばさんは、そのまま真ん中を直進してくる!!
徐行もしない。避ける気配もない。

僕はギリギリまで左に寄せ、スピードを落として様子を伺う。
それでも、おばさんはまっすぐ正面から突っ込んでくる!

「おいおい、マジかよ!?」

僕は思わず、おばさんを睨みつけた。
すると——

「ギロッ!」

おばさんも、僕を睨み返してきた!!

「目が……目が人間じゃない!!」
「スクーター山姥だ!!!」

ヤバい!! 目を逸らさなければ、食われる!!

僕はとっさに視線を逸らし、なんとか接触を避けた。
おばさん——いや、山姥は、僕の横をそのまま走り去っていった。

妖怪に交通ルールは通じない

「危なかった……!」

走り去る後ろ姿を見送りながら、ふと道路脇の標識に目をやる。

「自転車専用道路 バイク❌」

そう、ここはバイク禁止の道だ。
だが——

「いや、これは”人間”に対するルールやろ……。」

山姥とか妖怪に、交通違反の概念は通じないのだ。

「警察よ!捕まえてくれ!!」

……と思ったが、無理だろうな。
僕はため息をつき、再びペダルを踏んだ——。

金欠の現実

午前6時、気温上昇。レインコートはもう不要だ。

午前7時、栃木県入り。
国道50号線から4号線へ。

午前8時半、再び茨城県へ。
午前9時、埼玉県入り。

ここまで来ると、どの道も東京を目指しているように感じる。
地図で調べるよりも、案内標識を見て走った方がスムーズだった。

——のはずが、どこをどう間違えたのか、125号線を経て県道へ。

一面、田んぼ。
時折、梨の直売所が並ぶ。
「美味しそうだな……。」
実家に送ってやろうかとも思ったが——

それはもう、不可能だった。

スイカ、メロン、カニ、エビ……
これまで色々送ってきた。
2万円以上を使い、その結果——

「もう、銀行に金が残っていない。」

持っている現金が、すべて。
もう一銭もおろせない。

「送りたくても、送れない。」

しばらく走り、国道17号線に出る。

「とにかく、東京へ向かおう。」

僕はペダルを踏み続けた——。

道迷い

「とにかく東京へ!」

そう思ってひたすらペダルを踏んでいた。
だが——

「どこへ向かってるんや、俺……?」

目的地を具体的に決めていなかったことに、ようやく気づいた。

なんとなく「東京駅」を目指しているつもりだったが、
道路の「東京」の看板が示しているのは**「東京都庁」**。

つまり——

「新宿を目指してた……!?」

東京駅と新宿。
全くの別方向だ。

気がついた時には、すでに「池袋」に到着していた。

「いやいや、めっちゃ遠回りしとるやん!!」

慌てて道を修正しようとするが……

「道が分からん!!!」

迷子生み妖怪の巣窟・新宿

道を尋ねても——

「そこを早稲田通りに入って、靖国通りを抜けたら明治通りに出るから、それを……」

「?????」

新宿の人間、みんな「○○通り」で説明してくる。
だが、そんなものを知らない旅人にとって、

「この説明、呪文やん……!!」

「そこの新宿通りを左に行って青山通りに出たら……」

いやいや、「新宿通り」ってどれやねん!!!

……分かった。

これは、新宿に巣くう「迷子生み妖怪」の仕業や!!!

京都、八戸で遭遇した、あの「旅人を迷わせる妖怪」——

やつらが、新宿に集結し、巣窟を作っていたのだ!!

全国に散らばったと思われた迷子生み妖怪は、ここを本拠地にしていた……!!

「新宿、恐るべし!!!」

大都会の地獄・新宿

午後7時。

まだ、自分がどこにいるのか分からない。
辺りはすっかり暗くなった。

「やばい……!」

午後8時。

もう完全に夜。
しかも腹が減ってきた。

「大都会のど真ん中、こんなところで野宿なんかできるわけない!!」

完全に詰んだ。

「もっと考えておくべきやった……!!」

午後9時、ついに新宿に到着。

……だが、そこに広がっていたのは——

「絶望。」

ネオンは煌々と光り、まるで「これからが本番だ!」と言わんばかりの狂気。
しかも今日は土曜日。

「土曜の夜は俺の生きがい!」

そんな感じの人間たち(いや、もう人間じゃない)が、街中を縦横無尽に蠢いていた。

ここは、もはや——

「人間の街じゃない!!!」

新宿にいるのは、

妖怪! 亡霊! 鬼! ゾンビ!!!

僕は自転車を押して進む。
車道は車の洪水、歩道は人の渦。

「これは、自転車に乗るとかいう次元じゃない……!!」

とても自転車に乗って移動できる状況ではなかった。

「やばい……どうする、俺!?」

ジキルハイドに絡まれる!

新宿のカオスな夜。

僕は自転車を押して歩いていた。
人混みをかき分けながら進んでいると——

「痛ぇなー!バカヤロー!」

突然、怒鳴り声。

見ると、すれ違った男が僕の自転車の荷台にぶつかっていた。
少し呂律が回らない口調——酔っ払っている。

目つきがヤバい。
足元もふらついている。

「やばい、これは絡まれるパターンや……!」

僕は本能的に身構えた。

だが——

男は急に表情を変え、落ち着いたトーンでこう言った。

「汚ねぇなぁ、家出かー?」

——さっきまでの怒りはどこへ行った???

まるで別人。

「え、この人二重人格?……!」

ジキルハイドアニキ、降臨。

僕は警戒しながらも、「サイクリングです」と答えた。

「サイクリング?どこに?」

簡潔に、大阪から北海道を目指していたこと、今は帰り道で東京に向かっていること、そして**「土曜の夜の新宿に迷い込んでしまった」** ことを伝えた。

すると、男は**「そうか、そうか……」** と何度も頷きながら、ありえないことを言い出した。

「俺も昔サイクリングやったことあるぜ〜。」

(嘘つけ!!!)

全然そんな感じしない。
だが、どうやら僕の話に共感したらしい。

「今の若い奴は根性が足りないと思ってたが、兄ちゃんの根性は気に入ったぜ!」

男の表情が、まるで”酔いどれ天使”のように柔らかくなる。

だが——

「でも、本当にお前、北海道に行ってきたのか?」

——突如、悪魔の顔。

「気に入ったぜ!」
「本当に行ったのか?」
「気に入ったぜ!」

——ジキルとハイドが、交互に顔を出す!!!

僕は胸を張って「行ってきましたよ!」とキッパリ言った。

「そうかぁ……やっぱり気に入ったぜ!!!」

男は完全に「気に入ったモード」に突入した。

謎の大阪アピール

「なぁ、お前今夜泊まるとこあんのか?」

「それで困ってるんです……。」

「よしっ!! 俺の知ってるカプセルホテルに泊まれ!! 俺が金を出してやる!!!」

「ええええええっ!?」

突然の大盤振る舞いに、思わずひっくり返りそうになった。

さっきまで 「痛ぇなー!バカヤロー!」 と凄まれていたのに、
「金を出してやる!」 に変わるなんて……。

これは「瓢箪から駒」ならぬ、「酔っ払いから宿」 だ!!!

ジキルハイドアニキは**「ついて来い!!」** と豪快に歩き出す。
僕も自転車を押しながら、後をついていく。

歩きながら、アニキが突然話しかけてきた。

「お前、大阪から来たって言ってたな?」

「はい。」

「俺の女も大阪なんだぜ。」

——だから何!?!?

僕が微妙なリアクションを取ると、アニキはさらに続けた。
彼女を指差し、

「なぁ、懐かしいだろ?」

——え???

「いや、1ヶ月くらい大阪を離れてるけど、知らん大阪の女性を見ても懐かしくならんのやが……?」

もしかして、ジキルハイドアニキは、**「大阪の女を見ると、大阪の風土を感じる能力」**でも持ってるのか!?

「どんな特殊能力やねん!!!」

僕が困惑する中、ジキルハイドアニキと彼女は先へと進んでいった。

「俺の名前を言え……いや、やっぱ言うな。」

午後10時。

ついにカプセルホテルに到着。

ジキルハイドアニキは受付に向かい、こう言った。

「俺じゃなくて、コイツを泊めてやってくれ。」

その後、僕に向き直り、もう一度念を押してきた。

「お前、本当に北海道に行ったんだろうな?」

「はい!」

僕が力強く頷くと、アニキは満足げに笑った。

どうやら本当に、「北海道まで行った根性を讃えたい」 ということらしい。

去り際、アニキはこう言った。

「この辺は変な奴が多いから気をつけろ!」

——お前が言うな。

「もし変なのに絡まれたら、俺の名前を言え!」

——ちょっと頼もしい……?

「まぁ、言ったら余計にぶん殴られるだろうけどな! ハッハッハ!!!」

全然笑えなかった。

ジキルハイドアニキはまだ豪快に笑いながら僕をチラリと見る。
僕も笑わなくてはと「ハハーっ!」と笑った。

すると「何がおかしい!」と悪魔の顔で怒る。
また、僕の肩を叩いて天使の笑顔を見せる。
だんだんジキルとハイドの入れ替わる時間が短くなっている。怖い。

アニキは豪快に笑いながら、大阪生まれの彼女とともに去っていった。

僕は、なんとも言えない気持ちで、夜の新宿を見上げた——。

新宿の夜

「これはラッキーやな……。」

新宿のカプセルホテル。
ついさっきまで、「野宿する場所がない!」 と焦っていたのに、
まさかのカプセルホテル泊。

これほど嬉しいことはない。

「とりあえず、風呂やな。」

そう思った瞬間、ある問題に気づいた。

「あ、綺麗な下着がない……。」

せっかく風呂に入るなら、清潔な下着を着たい。……洗濯するしかない。

フワフワの衣類

フロントでコインランドリーの場所を聞いてみた。

「うーん、分かりませんねぇ。」

新宿のホテルだけあって、周囲の地理には無関心らしい。
仕方がないので、持っていた**「東日本地図」** で周辺をチェック。
すると、近くに大学生の下宿エリア があるのを発見。

「あの辺なら、コインランドリーがあるかも……!」

半信半疑で向かい、人に聞くと——

「ああ、あそこにたくさんあるよ!」

大正解!!!

洗濯物を放り込み、乾燥までの間に食事を済ませる。
戻ってきて洗濯機を開けると——

「おおっ! フワフワや!!」

乾燥まで終わった衣類は、まだホカホカだった。

風呂上がりに、この清潔な衣類を着られる。
それだけで、最高に幸せな気分だった。

「日本一」だらけのカプセルホテル

カプセルホテルに戻ると、すでに日付は変わっていた。
今朝は午前3時に寒さで目が覚め、そのまま走り出した。
約21時間起きている。

「これは……さすがに疲れた……!」

とにかく、風呂へ。

「おおっ!?」

驚いた。
このカプセルホテル、やたらと**「日本一」** を強調している。

  • 「日本最大の収容力!」
  • 「風呂の延べ面積、日本一!」
  • 「サウナ、日本一!」

壁には、そんなポスターがベタベタ貼られている。

「ほんまかいな……?」

感心しながら見て回っていると、「トレーニング室」 を発見。
本格的なマシンや、ダンベルセットがズラリ。

「これは……やるしかない!」(いや、寝ろよ!!)

滅茶苦茶疲れているはずなのに、なぜか「やらないと損」な気がしてくる。
僕は気づけば、ベンチプレスを持ち上げ、ダンベルで上腕カール運動をしていた。

サウナの誘惑と自己ツッコミ

さらに、その先にサウナがあった。……入りたくなる。
だが、ふと考えた。

「あれだけ昼間に汗かいて、まだサウナ!?」
「やめとけやめとけ!!」

サウナ前を素通りし、風呂へ直行した。

「We Are the World」が完璧な子守唄に。

お清めの儀の後、身体を洗って広い風呂に浸かってまた身体を洗った。
そしてまた広い風呂にゆっくり浸かる。

「極楽……。」

風呂を上がると、ホールの大きなテレビで**「24時間テレビ」** が流れていた。

「We Are the World」のメイキングシーン。

「……これは、じっくり見たいな。」

でも、ホールで立ち止まって見るのはなんとなく落ち着かない。
僕はカプセルに戻り、テレビをつけた。

「We Are the World」本番スタート。

  • スティービー・ワンダーとブルース・スプリングスティーンのデュエット。
  • ビリー・ジョエル。
  • マイケル・ジャクソン。

ひとつひとつの歌声が、疲れた身体を優しく包み込む。

完璧なる子守唄だった。

気づけば、僕は深い眠りへ落ちていった——。

反省会 16歳の僕と56歳の俺


  • あなたは交通ルール無視の「スクーター山姥」に遭遇したことはありますか?
    → どこ走ってんねん?もう少しでハネられそうやった!という危ないスクーター山姥との危険な遭遇。
  • 身近にいるジキルハイドアニキみたいな人の面白いエピソードがあったら教えてください。
    → 怒りと笑いの境界線が分かりにくい人の話。上司や友達にいませんか?

コメントでぜひ教えてください!😊

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