いざ、北海道へ
フェリーの出航時刻は12時30分。
チケットも買ったし、あとは乗るだけ。
1時間ほど時間があったので、青森フェリーターミナルの建物内で過ごすことにした。
これまでの道のりに想いが馳せる
ベンチに腰掛け、持ってきた地図を広げる。
北海道をどんなルートで走るか考えようと思っていたのに、
いつの間にか、大阪からの道のりをなぞるように視線が動いていた。
「ここまで、よく走ったな……」
鶴岡までは、景色を楽しみながらのんびり走れた。
でも、この3日間はまるで戦いだった。
日焼け、脱水、風邪。
楽しむどころか、生き延びるのに必死だった。
それでも、こうして青森までたどり着いた。
「もう余程のことがない限り、この旅は達成できる」 という自信が湧いてくる。
風邪をひいても、ここまで来たんだ。
これなら北海道も走りきれる。
そう思うと、不思議と体の疲れも軽く感じられた。
「第六青函丸」、乗船!
12時、乗船開始。
僕は車両甲板のハッチから、自転車を押してフェリーに乗り込んだ。
通常、自転車で電車やフェリーに乗る場合は「輪行袋」に入れ、手荷物扱いにする。
だけど、僕の自転車は折りたためない。
つまり、堂々と車両扱い で乗り込むしかなかった。
周りを見渡すと、ライダーたちがバイクに跨りながら乗船していく。
彼らのバイクは、船内の専用スタンドに固定され、
船員がしっかりとチェーンで縛っていく。
……だが、僕のママチャリは違った。
サイズが合わなかいのか、専用スタンドではなく、
フェリーの手すりに荒縄でぐるぐる巻きにされた。
「え……雑すぎない?」
船員も「これでいいだろ」と言わんばかりに、荒縄をキュッと締め直す。
ライダーのバイクが厳重に固定される中、
僕のママチャリは、なんとも貧相な扱いだった。
その姿を見て、思わず苦笑する。
「やっぱり、君は僕の相棒だ!」
どこに行っても雑に扱われる、けれど文句ひとつ言わずに走り続けてくれる相棒。
昨夜の弘前ユースの仕打ちを体現しているようだ。
なんだか、ますます愛着が湧いてきた。
「そうだよな、君も北海道は初めてだもんな。これからもよろしく!」
そう言って、荒縄で縛られたチャリにしばしの別れを告げた。
二等客室と月見そば
客室に向かうと、まだ誰もいなかった。
一般乗船はまだ始まっていないらしい。
せっかくだから荷物を置いて、船内を探索することにした。
売店や食堂を覗くと、すでに営業していた。
お腹が空いていたので、月見そば を注文。
温かい出汁が、疲れた体に染み渡る。
食べ終わり、二等客室に戻ると、
すでに乗客が増え始めていた。
荷物で場所を確保する人たち。
家族連れや団体客が、あちこちで落ち着く場所を探している。
混雑してきたので、僕は甲板へ向かった。
フェリー、ついに出航!……しない?
甲板に出ると、青森フェリーターミナルが一望できた。
青空の下、岸壁に並ぶトラックやバイク。
これまで走ってきた道が、少しずつ記憶の中でよみがえる。
そして、その先にある北海道。
「……こっちの方角かな?」
まだ見ぬ大地へ思いを馳せる。
ふと時計を見ると、12時30分。
出航の時刻。
しかし、フェリーは動かない。
「……あれ?」
トラブルだろうか?
数分が過ぎ、さらに待つこと15分。
12時45分、ようやくフェリーが動き出した。
青森が遠ざかる、不思議な感覚
船はゆっくりと離岸し、青森港が徐々に遠ざかっていく。
その光景を見つめながら、僕の心がざわついた。
大阪から青森までは、本州という陸続きの道だった。
どこまで走っても、地面の先にはまだ道があった。
けれど、今は違う。
僕が今いるのは、波の上。
そして、その先には未知の大地――北海道。
「本当に、遠くまで来たんだな……」
フェリーの振動が、ゆっくりと体に伝わってくる。
この船が着く場所は、僕にとって初めての土地だ。
見知らぬ風景、見知らぬ空気、見知らぬ道。
「北海道が、待っている。」
僕は甲板に立ったまま、進んでいく海の向こうをじっと見つめていた。

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