旅のタイムカプセル

#9 さらば本州!北海道上陸と”イクサンダー大沼”の夜

一年前の思い出

フェリーはゆっくりと青森港を離れ、遠ざかる陸地を眺めながら、
僕はふと一年前の夏(1984年)を思い出していた。

ちょうどこの頃、僕はローラースケートで四国を旅していた。

「ローラースケートで四国!?」 と思う人もいるかもしれないが、本当の話だ。

そのときは僕の他に自転車組の友人4人がいて、5人での旅。
僕はローラースケートだった。

最初は「ワイワイ楽しいイベント!」という感じだった。
でも、全員が同じ気持ちだったわけではない。

旅のスタート、大阪から神戸へ向かう途中――

「しんどい!こんなの馬鹿げてる!」

そう怒鳴って、一人が帰っていった。

大阪から神戸までの移動ですら「バカバカしい」と思う人もいるのだ。
その友人とは、その日を境に疎遠になった。

結局、最後まで走ったのは自転車3人と僕(ローラースケート) の4人だけだった。

ローラースケートの大変さ

四国のアスファルトは、地獄だった。

自転車にとっては何でもない道でも、ローラースケートには凶器。
微妙なガタガタした振動がダイレクトに足に響く。

また、坂道では、登りはいい。
けれど、下りが怖すぎる。

そして、旅の終盤。

靴下には血が滲んでいた。

それでも、楽しい旅だった。
泳いだり、釣りをしたり、キャンプをしたり――。

みんなで旅をするのは、やっぱり楽しい。

だから、今年も同じメンバーに「俺は自転車で北海道行くけど、どうする?」と聞いた。

返ってきた答えは、あっさりしたものだった。

「もう自転車はいい。バイクの免許取ったし、行くならバイクで。」

旅が楽しくても、進む道はそれぞれ違う。

それは仕方のないことなのかもしれない。

一人旅を選んだ理由

「じゃあ、一人で行くわ。」

僕がそう言うと、友人は驚いたように言った。

「寂しくないのか? 一人はキツいで。」

……寂しい?

その時、僕はなんとも思わなかった。

むしろ、去年の旅で「集団の面倒くささ」も感じていた。
途中で帰ってしまった友人のこともあったし、ペースを合わせるのも大変だった。

「一人なら、自分のペースで走れる。」

そう思っていた。

でも、同級生たちは「一人旅なんて無理だろ」と言う。

国鉄で北海道へ行く仲間も、2〜3人で組になって行くらしい。
親が「一人で行くのはダメだ」と言っていたそうだ。

送り出す親も、不安なのだろう。

……だけど、僕の家は違った。

「自由」だった家庭

僕の家は、昔から放任主義 だった。

6歳のとき、親が離婚した。

それから、母のもとに籍の入っていない男が同居するようになった。

僕は家の中での居場所を失い、夏休みや冬休みになると親戚の家を転々とする生活 を送った。

だから、子どもの頃から「いつ家を出てもいい」「どこに行ってもいい」環境だった。

誰も止めないし、誰も気にしない。

そんな生活の中で、僕は知らず知らずのうちに**「寂しさに対する耐性」** を身につけていたのかもしれない。

そして、そんな家庭環境が孤独耐性を形成し、
北海道一人旅を可能にしたのだ。

悪くない。

北海道へ向かう武者震い

フェリーの甲板から、青森港が遠ざかるのを見つめる。

陸続きだった大阪から青森までの道のり。

そこには、たしかな繋がりがあった。
でも、今は違う。

本州が遠ざかる。

今、僕が向かっている北海道は、もう別の世界 だった。

武者震いがした。

「一人が向いてるのかもしれないな。」

この旅が終わっても、僕はサラリーマンにはならない気がした。

青森の山々が、少しずつ霞んでいく。

やがて、フェリーは湾を抜け、スピードを上げた。

船内での眠り

海の上は、これまでとは空気の冷たさが違った。

潮風に吹かれ、肌寒さを感じた僕は、客室に戻る。

二等客室の自分の荷物を置いていた場所へ向かうと――

僕の荷物は眠りにくい真ん中に追いやられていた。

「……まぁ、いいか。」

眠くて仕方がない。

船室の片隅にスペースを確保し直し、毛布を手に取る。

そのまま横になり、毛布に包まった。

風邪、疲れ、そして安堵。

すべてが重なり、僕はすぐに眠りに落ちた。

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